03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
MENU

NEW ARRIVAL

PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

【新聞から】卒業式の式辞に思う

その他




京都大学


 京都大学の卒業式

 京都を代表する大学と言えば、やはり京都大学。
 そのため、京大の卒業式は新聞記事やテレビニュースになります。今年(2017年)も、3月24日に行われた卒業式は、京都新聞に報道されていました。

 記事やニュースの内容は、毎年似通っていて、奇妙な扮装をした卒業生がいること! と、総長がどういう式辞を述べたかということです。
 今年は、朴槿恵前大統領や安倍総理に扮した学生がいたそうです。トランプ大統領はいなかったのですかね(笑)

 京大の現在の総長は、山極寿一氏です。専門は霊長類学。京大の伝統ある学問分野のひとつですね。

 新聞には、山極総長が、英国のブレグジットやトランプ大統領誕生など、激動する世界情勢について触れ、オルテガ・イ・ガセットの「生はすべて、いやでも応でも自分自身を弁明しなければならない」という言葉を引いて、生きる力を養うことの重要性を述べた、と書かれています。

 また、式辞の最後は、「京都大学は「地球社会の調和ある共存」を達成すべき大きなテーマに掲げているが、現代はその調和が崩れ、多様な考えを持つ人々の共存が危うい時代だ。世界のあちこちでこの課題に出合うと思うが、大学での経験を生かし、果敢に向き合ってほしい」と締めくくったそうです。
 実は、このくだりは昨年度の卒業式でも述べられていたようで、山極総長にとっては学生にぜひ伝えたいことなのでしょう。


 激動する世界のなかで

 京大の卒業式が行われた前々夜も、英国の国会議事堂前でテロリストによる凶行があり、数名の犠牲者が出たばかりでした。
 山極総長の言う「地球社会の調和ある共存」をどうすれば実現できるのか、私たちは日々重い課題を突き付けられています。

 昨年の式辞で、山極総長は、自分の学生時代は1970年代で、大阪で日本万国博覧会が開催されたと述べられています。

 その万博のテーマが、「人類の進歩と調和」でした。

 私は、15年ほど前、つまり万博から30年後に、万博を振り返る展覧会を開催しました。
 そのとき感じたのは、人類は確かに「進歩」したけれど、その「調和」は達成されたのだろうか? という思いでした。
 万博で夢見た未来社会は、多くの面で実際のものとなりましたが、世界の国家、民族、宗教などの対立は止むことを知りません。いまからすると、三波春夫が唄った「世界の国からこんにちは」という歌が、牧歌的にさえ聞こえます。

 関西で歴史学を学んでいる私にとって、今日世界に拡がっている貧困や移民といった問題は、これまで、そして現在も、私たちが暮らす地域が抱えている課題です。

 一昨日、英国でテロを起こした男性は、いわゆるホーム・グロウン・テロリスト(自国内で生まれ育ってテロリストになった人)だと言われています。欧州における異なる宗教や民族の対立、社会の分断というテーマは、私たちが従前から取り組み続けてきたものであり、現在も考えなければならない課題です。
 最近、自分のなかで、それらのことがひとつに結び付いて来て、欧州や米国で起こっていることは “対岸の火事” とは片付けられないものになっています。

 私自身も日々勉強ですが、若い学生や社会人たちにも、過去に経験されて来たさまざまなことと、現在起っているさまざまなことを伝えていかなければならないという思いを強くしています。

 3月から、4月へ。
 この世界のなかで「調和ある共存」へ向けての模索と格闘が続きそうです。



【大学の窓】卒業式のシーズンに思う

大学の窓




大学


 はかま姿の女子大生も

 先日、街を歩いていたら、袴姿の女子大生を見掛けて、もう卒業式シーズンか、と思いました。

 そう言えば、私が非常勤で行っている上京大学(仮称)も、毎年、昨日今日あたりが卒業式なんですよね。
 もっとも、私自身は卒業式に出るわけもなく、ただニュースなどで、○○大学の学長の祝辞がこんなふうだった、という記事を読む程度です。

 大学の卒業式は、学位授与式、つまり学部なら「学士」という学位を与える式ということです。
 戦前では、学士というとちょっとしたエリートでしたが、今では大学を卒業しても、自分が「○○学士」になったという実感すらないでしょう。

  煉瓦校舎


 4年間での成長

 私の非常勤の授業は、1回生(1年生)が受講生です。演習なので、ふつうの授業より近い距離で接することが多いかも知れません。歴史研究のやり方を初めて実践してもらう入門編的授業です。
 
 いつも気掛かりなのは、この学生たちが4年間大学で学んで、どう成長していくのか、ということです。
 毎年毎年、1回生ばかり教えているので、専任の先生方のようにその成長を追っ掛けていくことができません。なので、彼らの2年後、3年後がとても気になるのです。

 まぁ、常識的に考えて、4年も在籍していれば成長して当たり前、ということで、疑問を持つ方がおかしい。
 と言いつつ、気になるのが “親心” かも知れない……と思います。

 実は、自分の本職(博物館の学芸員)でも、近年、若い人にお話しするとか指導するとかいった機会が増えてきてるんですね。
 自分が年を取った証拠ですが(苦笑)、若い人を育てるということに少し責任感みたいなものすら感じるようになってきました。困ったなぁ、というのが偽らざる気持ちです。

 椅子

 私にとって、1月から3月というシーズンは、新学期を控えて「教育」というものに関心が高まるシーズン。
 いつもこの時期になると、書店の棚の前で教育や授業の本を探してしまう――そういう季節です。

 ところが、今年はなぜかそのような感じが薄くて、不思議です。
 もちろん、昨年の授業がうまくいったから、ではなく……、なんでしょうか、少し割り切れたのかも知れません。

 ただ、今年度ひとつよかったなということがあったのです。
 年に1回、みんなで本を読んで感想を述べ合う時間があります。私の選んだ書物は、石牟礼道子の『苦海浄土』でした。水俣病を取り上げた小説です。

 これは、初めて選んだものでした。
 そのため、学生の感想がどうなのか、少し不安でした。
 結果的には、みんな水俣病に関心を持ってくれ、企業と地域・公害の関係などについて、いろいろ思いをめぐらせてくれたようでした。

 年度末に授業の感想を問うアンケートで、このことを取り上げている学生がいました。
 彼は九州の出身だったと思いますが、『苦海浄土』を読んだことで水俣病に強い関心を抱き、ぜひ水俣にも足を運んでみたいと書いていました。

 こういう声は、とてもうれしいですね。
 授業というのは、文字通り、何を授けるかが問われるのだと思います。その意味で、今年授けたひとつ『苦海浄土』は、我ながらよいチョイスだったなと安堵しました。

 という間に、新学期まであと10日。
 また考えないといけませんね。 



【駅から、ふらっと1時間】京阪・三条駅から東へ、三条通界隈を歩く(その4)~寂光寺・頂妙寺~

洛東




寂光寺墓地


 要法寺の北、仁王門通へ 

 三条京阪から、ぶらっと歩くシリーズ。
 要法寺まで見てきましたが、その西門(高麗門)を出て、北に向かいます。 

 三条周辺行程図

 地図の新高倉通を北へ上がると、突き当たって東西の道に出ます。
 この街路が、仁王門通です。
 地図にも「西寺町」「東寺町」とあるように、このあたりは寺院が密集しています。もとは洛中(鴨川の西)にあったものが、江戸時代の大火の影響などで、ここに移転してきたものです。

 ちなみに、京都の人に「仁王門」と地名風に言うと、だいたいここをイメージしますね。
 バス停でも「東山仁王門」というのがあります。

 仁王門の名の由来は、のちほど訪れる頂妙寺の仁王門から来ています。正確には、二天門と言った方がよいかも知れませんが。

 頂妙寺二天門
  頂妙寺二天門

 その新高倉仁王門を左へ曲がると頂妙寺、右へ曲がると……

 寂光寺
  寂光寺

 寂光寺(じゃっこうじ)です。

 大原(左京区)の寂光院は知っているけれど、寂光寺は知らないなぁ、という方が多いでしょう。
 確かに、余り有名なお寺でないかも知れません。もっとも、今回歩くコースのお寺――檀王法林寺、要法寺、寂光寺、頂妙寺――は、みんな観光寺院ではありませんね。
 でも、結構おもしろいのです。

 寂光寺の門前には、こういうものが立っています。

 寂光寺

 「碁道名人」とあるように、囲碁の本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)の墓所があるのです。

 寂光寺本因坊墓所

 本因坊というと、江戸時代の囲碁の家柄として著名です。
 もともとは、寂光寺の塔頭・本因坊から来た名前です。その塔頭の僧・日海が、囲碁の名手で、本因坊算砂を名乗ったのです。

 寂光寺

 お墓には、「当山第二世/本因坊元祖/経 算砂日海上人」と刻されています。

 寂光寺も法華宗の寺院ですが、囲碁がお好きな方には欠かせないお寺ですね。


 仁王門通を西へ 

 三条周辺行程図

 寂光寺を出て、仁王門通を少し西へ戻ります。鴨川に向かう感じですね。
 すると、北側に立派な門が見えて来ます。

 頂妙寺
  頂妙寺

 頂妙寺(ちょうみょうじ)です。
 こちらも日蓮宗で、かつて京都にあった有力寺院(法華21か寺)のひとつです。

 私は、この頂妙寺が大好きで、ちょこちょこ訪ねています。まあ、ここをしばしば訪れるという人は、そんなにいません(笑)
 このブログにも何度か書いているので、読んでくださっている方もあるかも知れません。好きさが昂じて、見学会でみなさんを連れて行ったこともあります。

 どこがいいかというと、その第一は、やはり二天門ですね。

 頂妙寺二天門

 この門は、「都名所図会」や「花洛名勝図会」といった江戸時代の名所図会にも登場します。
 仁王門ではなく「二天」門と称されるのは、門の左右に持国天と多聞天を祀っているからです。でも、一般には仁王門で通っていたのでしょう。

 通りの名になるほど有名だったわけですが、門の立派さもさることながら、この二天にお詣りするとご利益があると信じられていたからです。

 花洛名勝図会(頂妙寺)
  「花洛名勝図会」より「頂妙寺」

 左の建物が二天門。右の建物が、門の拝殿!
 門に拝殿があるなんて、とっても珍しいですね。割拝殿(わりはいでん)だったので、拝殿の中を通り抜けて参拝できたのです。

 そして、門のまわりをお百度参りの人々がぐるぐる回っています。
 信仰があついなぁ、と思うと同時に、江戸時代の人ってイベント好きなので、こういうのをみんなでやるのも楽しかったのだろうな、とも思わせられます。

 「花洛名勝図会」より頂妙寺 お参りの女性たち

 門自体は、幕末の「花洛名勝図会」と比べても、ほとんど変わっていません。
 ただ、門前にあった拝殿は失われています。ちょっと残念な気分。

 でも、頂妙寺は、日蓮宗のお寺だけあって、本堂のほかにも妙見さんなど種々のお堂があります。
 それらをひとつずつ見ていくと、また1時間では足りなくなる…… ということなんですね。

 なお、二天門については、これまでに書いた記事もご覧ください。

 記事は、こちら! ⇒ <仁王門通の由来である頂妙寺とナゾの絵>、 <仁王門通の由来となった頂妙寺の門の上には、手紙が>
 
 ということで、頂妙寺を見終わったら、西方の鴨川べり(川端通)に出ます。
 川端通に出ると、三条京阪の駅までは3分ほどでしょうか。

 三条京阪
  京阪「三条」駅

 いかがでしたか?

 1時間の旅と言いながら、どうみてももっとかかってしまいそうな……
 でも、歩行距離は2km足らず。

 三条京阪で時間が余ったら、ぜひ訪ねてみてください!




 寂光寺

 所在  京都市左京区仁王門通東大路西入ル
 拝観  自由
 交通  京阪「三条」下車、徒歩約10分



【駅から、ふらっと1時間】京阪・三条駅から東へ、三条通界隈を歩く(その3)~要法寺~

洛東




要法寺


 日蓮本宗の本山

 三条通を東に向かって進みます。

 三条周辺行程図

 南北に走る電車道(赤線)は、東大路通です。
 その少し手前、スタートの三条京阪から500m弱の地点に、こんな石標が立っています。

  要法寺石標

 日蓮本宗本山、要法寺。

 要法寺(ようぼうじ)は、鎌倉時代末に六条油小路に創建され、京都にあった法華宗二十一か寺のひとつとして勢力を張りました。
 天文法華の乱では堺に移りましたが、のち京都に戻り、豊臣秀吉の時代には寺町二条に寺地を構えました。
 江戸時代の宝永の大火(1708年)で類焼し、その後、鴨川の東の現在地に移っています(『京都市の地名』)。

 京都には、意外に日蓮宗の大寺が多いし、場所も頻繁に移転していて、要法寺もその典型に思われます。
 ちなみに、本能寺の変で有名な本能寺も日蓮宗ですし、たぶん次回訪れる頂妙寺も日蓮宗の大きなお寺です。
 日蓮宗では、その信仰の中心に法華経があり、「南無妙法蓮華経」という題目を唱えます。そのため、お寺の名前も「妙」や「法」のつくところが多いのです。京都で「妙」「法」のついた寺院に出会ったら、まずは “日蓮宗かな” と思ってみるといいですね。
 そう、大文字五山の送り火「妙法」も、もちろんこのことと関係があります。

 三条通からの導入路は、案外狭いです。

 要法寺への道

 進んで行くと、立派な四脚門があり、表門になっています。

 要法寺表門

 南面する表門。立派ですけれど、ここは閉ざされています。どうやら江戸時代から閉じられていたらしい。
 いまでは、便宜のためでしょう、この左の壁に穴門が穿ってあります。

 すぐに入ってもいいけれど、例えばこういうものを見るのも愉しいですね。

 高欄

 上部の水平材は鉾木(ほこぎ)と呼ぶのですが、それを支えている X形の材を握蓮(にぎりばす)と言います。元来はハスの形をしているわけですね。
 高欄の装飾によく見られる意匠ですが、もうハスじゃなくて別ものに変化していますね。こういうのもおもしろいです。
 あとで出て来る幕末の絵には描かれていないので、明治時代くらいに造られたものでしょう。場所柄、北白川あたりの石工の仕事かなと、勝手に想像したりします。


 池もある広い伽藍

 要法寺

 境内の東南隅から撮った写真。
 要法寺の全景写真は、なかなか難しく、撮れた人がいたら天才か魚眼レンズの持ち主ですね(笑)

 代わりに、幕末の「花洛名勝図会」(1864年)の絵図を紹介しておきましょう。

 花洛名勝図会1
  「花洛名勝図会」より「要法寺」

 右ページの端に表門がありますが、よく見ると柵で閉ざされています。「花洛名勝図会」の記述によると、ふだんは左ページの高麗門から入るようになっているそうです。図では「裏門」と書かれています。

 要法寺高麗門
  高麗門  西に向いて建っている

 中心部の拡大図です。

 花洛名勝図会

 ひときわ大きい本堂は、南面して建っています。
 その右に「新堂」と書かれているものがあって、現在の開山堂です。「花洛名勝図会」といった古い史料などには、お釈迦さんを祀る釈迦堂と記載されています。

 本堂の前には池があって、これは清涼池と呼ぶそうです。
 その左右に、鐘楼(右)と経蔵(左)があります。鐘楼は、袴腰のある背の高い典型的なスタイル。経蔵は、宝形造の屋根をした土蔵で、これもよく見るタイプですね。
 鐘楼は先ほどの写真に写っていますが、経蔵は今はありません。明治中期には、すでに山内の西端に移動していたようです。

 経蔵の左側には、手水舎があり、要法水などと呼ばれていたようですが、こちらも現在はありません。


 本堂を見る 

 本堂は、大きいですよね。桁行五間、梁間五間、江戸中期の建物です。
 非常に背が高い印象。江戸時代の仏堂らしい感じです。

 要法寺本堂
  要法寺本堂

 扉などを見てみるのも、おもしろいですね。

 本堂正面扉
 
 正面の五間は、フォールディングタイプ、つまり両折の桟唐戸(さんからど)になっています。桟などもガッチリしていて、大ぶりな造りです。
 
 本堂側面扉

 一方、側面には、横桟のある引き戸、舞良戸(まいらど)がはまっています。ちょっと簡素化したわけです。四間は舞良戸ですが、最後の五間目は花頭窓にしています(写真には写っていませんが)。上部は、菱格子でオシャレですね。

 昔、棟に上げられていた鬼瓦が、客殿の前に置かれています。明和8年(1771)の銘があるそうです。

 鬼瓦

 ちなみに、その横には立派な手水鉢があって、これは「花洛名勝図会」にみえる高麗門内にあったものなのでしょうか?

 手水鉢

 こちらは、寛保2年(1742)寄進と刻まれています。

 さらに、本堂の裏に回ってみました。

 本堂背面

 後ろにも、ちゃんとした向拝と扉がある近世仏堂らしい雰囲気です。
 どうしても気になるのが、樋の雨水を受ける天水桶。花崗岩で造られていて、左右一対です。

 天水桶

 正面には鶴丸の紋。
 少し丸みを帯びた造作で、きっちり脚も付いています。

 天水桶背面

 裏側を見てみると、明治27年(1894)5月に、大阪・蓮興寺の檀越・松原八重野という女性が寄進したことが分かります。
 もう一方の裏には、開山・日尊上人の550年遠忌に際して、ご先祖の菩提を弔うために造ったと記されています。日尊は、康永4年(1345)に没していますから、年も合います。

 1894年というと、歴史の教科書では日清戦争が勃発した年、ということになっています。
 でも、このお寺では、開山の遠忌が執り行われ、全国から大勢の信徒がやってきたことでしょう。そのさまをイメージするのもおもしろいです。

 私は、ここに刻まれた蓮興寺というお寺が気になって、帰ってから調べてみました。
 大阪市北区末広町にある要法寺の末寺で、大塩平八郎が出た大塩家の菩提寺として知られているようです。
 京都には本山寺院が多いので、大阪をはじめ各地の末寺から寄進が行われることも多く、お詣りしていると出会うこともよくあります。

 こういう石造物や奉納物を見るのは愉しいですよね。
 いろいろと想像が拡がりますし、調べると意外なつながりが分かったりもします。調べが付かないことも多いのですが、それもまた一興。昔の信仰の様子をうかがえる存在です。


 池と垣 

 本堂の前には、清涼池と称される四角い池があります。

 清涼池と本堂

 清涼池

 架かっている石橋は、救済橋というそうで、確かに親柱に「救済」の2文字が刻まれています。

 救済橋

 私が気になるのは、またしても石造物で、池を囲う垣です。
 上の写真にもあるように、小さな石製の柱を鉄棒でつないでいます。

 このひとつひとつに寄進者の名前が記されているのです。

 玉垣

 よく見ると、「大阪 中井○○」とあるでしょう。たぶん中井さん一族が各人の名前で寄進しているわけですね。
 
 玉垣

 別の箇所ですが、「大阪 津田○○」とありますね。こちらも一族ですね。

 四周ひとつ残らず見たのですが、全部大阪なんですよ!
 
 おそらく、先ほどの蓮興寺のような大阪の末寺の檀徒さんたちが、集団的に寄進したのではないでしょうか。

 要法寺のウェブサイトに掲載されている明治26年(1893)の全景図には、この垣は描かれています。
「大坂」でなく「大阪」と書いていることから、まずは近代のもので、明治時代の前半に建てられたものだと考えられるでしょう。

 参考までに、大阪で要法寺末の日蓮本宗の寺院がどれぐらいあるか、調べてみました。
『大阪府宗教法人名簿(平成3年版)』によると、大阪市内では蓮興寺、圓頓寺など5か寺、府内に2か寺あるということです。

 そんな感じで、いろいろ愉しめる要法寺。
 本堂の左には、江戸後期の開山堂もあります。

 本堂と開山堂

 要法寺開山堂

 天保頃のもののようですが、裳階(もこし)が付いた一見二階建風の造りで、背が高い建物です。
 正面の唐破風も、時代を感じさせますね。

 ということで、要法寺だけでも1時間くらい掛かりそう(笑) 
 全体を1時間でという企画に違反しますので、急いで次に歩を進めることにしましょう。


(この項、つづく)




 要法寺

 所在  京都市左京区法皇寺町
 拝観  自由
 交通  京阪「三条」下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 「花洛名勝図会」1864年
 『日本歴史地名大系 京都市の地名』平凡社、1979年
 三好貞司編『大阪史蹟辞典』清文堂出版、1986年
 『大阪府宗教法人名簿』大阪府宗教連盟、1991年



【駅から、ふらっと1時間】京阪・三条駅から東へ、三条通界隈を歩く(その2)

洛東




三条通の長屋


 増えていく更地 

 前回、三条京阪の駅をスタートし、篠田屋や檀王法林寺をのぞいてみました。

 さらに、東へ向かいます。

 いろは旅館跡
  三条通 東を望む

 道路右側(南側)の空地は、いろは旅館が建っていたところです。
 いろは旅館は、2015年12月に閉館しました。

 私は京都に住んでいるので泊まったことはありません。修学旅行生などがよく宿泊していた印象です。旅館の前には空港バスのバス停があって、ここから早朝、伊丹空港へ向かったことをなぜか覚えています。

 跡地には、ホテルが建設されるということです。


 2軒の家屋
 
 いろは旅館跡の東側に、2軒の木造家屋があります。

 三条通の長屋

 長屋のような二階屋。
 実は、右の建物は有名で、「伏見」という居酒屋でした。

 伏見

 看板に「味の店 伏見」とあります。
 ここも入ったことがないのですが(すみません)、BSの「吉田類の酒場放浪記」などで見たことがあります。
 カウンターのある狭い店で、ボリュームのある料理を出す店と見受けました。

 こちらも、2016年5月末に閉店。
 京都新聞によると、昭和30年(1955)頃から60年にわたって営業してきたと言います。

 2軒の家の間には、路地があったようです。

 通路

 入口の上には、今では無用になった奥に住んだ人たちの表札が掛けられていますね。

 壁

 壁も年季が入っています。

 この2軒の隣りには、フェンスが立てられています。

 伏見と空地

 その向こうには広大な更地が拡がっています。

 空地

 先ほどの新聞記事には、「道路や公営住宅を整備する市の住宅地区改良事業」が行われると記されています。
 この空地にも、近いうちに高層住宅が建つのでしょう。
 

 さらに東へ 
 
 「伏見」から東へ進むと、仕出し店の辻留(北側)や、千鳥酢の村山造酢(南側)など、特徴ある顔ぶれが。

 辻留
  茶懐石 辻留

 村山造酢
  村山造酢

 辻留は明治35年(1902)の創業。初代は辻留次郎、二代目は有名な辻嘉一です。
 仕出し店は、いわば “出張” して料理を出されるので、店構えは普通の仕舞屋です。でも、名店であるのが京都らしい。
 仕出しは、京阪でよく使われるもので、家などに料理を取るスタイルですよね。辞書には「料理などを、注文に応じて調理して届けること。また、その料理」とあります(『日本国語大辞典』)。
 京都には仕出し屋さんが多いので、街を歩くときに気を付けて見るとおもしろいと思います。

 一方、村山造酢は、江戸中期の享保年間からご商売をなさっていると言います。なにげない店でも老舗が多いという、こちらも京都らしいですね。
 だいぶん前に社屋を建て替えられたのですが、古い建物のときは三条通に酢のにおいが漂って、少しばかり強烈な印象でした(笑)

 道沿いを見るだけでも、あきない三条通。
 こういうなにげない通りを歩き、ちょっとだけ脇にそれながら歴史を考えることが、実は大切。目的地に一目散ではなく、できるだけキョロキョロ、ウロウロして、感じることが大事です。

 そうこうするうち、左側にこんな標柱がありました。

  要法寺石標

 「本山 要法寺」。
 
 ここもちょっとおもしろいのですが、つづきは次回に。


 (この項、つづく)




 伏見

 所在  京都市東山区三条大橋東入ル二町目
 見学  外観自由(営業は閉店)
 交通  京阪「三条」下車、徒歩約3分