10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
MENU

NEW ARRIVAL

PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

まいまい京都で、大阪・パノラマ地図ツアーを開催!

その他




西梅田


 秋の連休、まち歩き

 10月、体育の日を含む3連休に、まち歩きツアー<まいまい京都>で解説をしてきました!

 この日は、10月とは思えない暑い日で、まち歩きには少し厳しい一日でした。

 コースは、まず西梅田に集合。
 そこから、「大阪市パノラマ地図」を見ながら、100年前の街をイメージしつつ歩きます。

 大阪市パノラマ地図は、大正13年(1924)1月に発行された鳥瞰図です。
 その名の通り、当時の大阪市全域を収めています。

 今回は、そのうち、梅田~堂島~肥後橋あたりを巡りました。

  堂島アバンザ まいまい京都撮影

 写真は、現在、堂島アバンザとなっている旧毎日新聞社屋のモニュメントです。
 大正時代に建てられた大阪毎日新聞の本社屋の玄関廻りを残したもの。竣工時の写真と今の記念物とを見比べながら、同じですねぇ、と感心したのでした(笑)

 いまは失われた堀割の跡、江戸時代の蔵屋敷跡、水の都の川や橋、名建築、古い小道など、みどころ満載のコースとなりました。
 約20名の参加者のみなさんにも、満足いただけたものと思います。

 とても興味深いパノラマ地図。
 また別のコースを歩いてみたいですね。

  まいまい京都解説  まいまい京都撮影
  解説中の筆者



【大学の窓】秋学期がはじまった

大学の窓




大学キャンパス


 研究発表は12月に 

 どの大学も、先週あたりから秋学期が始まりましたね。
 私が非常勤で行っている(仮称)上京大学でも、学生たちがキャンパスに戻ってきました。

 担当している1回生の演習は、テーマを決めてグループで研究を行う授業。
 春学期に、テーマの方向性を定めて、秋学期に発表します。

 全部で9グループあるので(私は2つの班を担当)、発表は11月下旬から1月上旬まで5週間に及びます。
 秋の最初は、じゃんけんで発表順を決定します(笑) 
 私の担当班は、どちらも12月で、まぁよい順番というべきでしょう。

 例年、夏休みは余り勉強が進まないのですね(苦笑)
 でも、今年は2班とも、結構やってきた様子。さかんに意見交換していました。

 私のクラスは、「写真」と「繁華街」という2テーマです。
 写真班は、戦時下の新聞に掲載された写真を調べています。
 繁華街班は、大阪をフィールドに調査しています。

 図書館



 街をあるけば…

 繁華街のグループは、夏休み中に手分けして大阪の繁華街を歩いてきたようでした。
 ふだん意識しない街並みも、問題意識を持って歩くと感じ方が違うよう。JR大阪駅の北側に行くと、大きなビルがあるが、会議場などが入っているだけで「繁華街」とはいえないようだった、とか(グランフロントのことかな)。また、大阪駅の西の方に行くと、福島というところだが、ここはオフィス街で、アフターファイブに行くような飲み屋さんはあるが、ここも「繁華街」とは言えそうにない、とか。
 なかなか、的確な観察をしているのですね。

 朝から夕方まで、ずっと街を歩いていると、ある場所からガラッと雰囲気が変わるところがあったりと、おもしろい発見をしたりしています。
 これも、実際、自分の足で歩いて感じた賜物ですね。

 「繁華街」のテーマは、昨年から始めたものです。
 昨年の学生も、実は大阪(ミナミ)を取り上げていました。やっぱり、繁華街といえば大阪をイメージするのでしょうか? でも、今年はキタが中心になるのかな?

 一昨年までは「建物」がテーマで、これは7年くらいやっていたのですが、毎年うまくいかない傾向にありました。
 そこで、“実際に街に出て、自分の足で歩き、目で見て、感じてもらおう” というコンセプトに切り替えたのです。すると、全員とは言えないまでも、現地を歩く学生も出てきて、そのおもしろさを語ってくれるのですね。「ブラタモリ」の影響もあるみたいで、テレビで見ていることを自分でやってみるというのも、楽しいのかも知れません。

 こういうふうに実地を歩いてもらうと、私としては言うことはないのですが、いちおう歴史専攻なので(笑)、現在から過去にさかのぼって考えてもらうよう、アドバイスしました。
 100年前、そこはどうなっていたのか?、200年前(江戸後期ですね)はどうだったのか?、さらに500年前は? 
 大阪の場合、およそ500年の変化を考えればよいといえるので、そんな話をしています。


 繁華街はどこにある?

 ところで、いま京都で繁華街といえば、四条・河原町とその周辺。大阪では、ミナミとキタ、というイメージでしょう。

 しかし、半世紀ばかりさかのぼってみると、京都では西陣織の産地「西陣」(地名)にも、劇場、映画館、飲食店などが密集する繁華街がありました。その中心には「西陣京極」と呼ばれるエリアもありました。

 西陣京極
  西陣京極の一画

 一方、大阪では、ミナミとキタ以外にどんな繁華街があったのか?
 ここからは、学生には言っていない“ヒミツ”のコメントです(笑) まぁ、そう大層じゃないですが……

 もっとも、繁華街って何か、という定義がまず必要なのでしょうか。
 歴史的に考えてみると、娯楽の要素、小売りの要素、飲食の要素、売買春の要素、といったものが、集中的、複合的に混在していて、たくさんの人が集まってくる地区といえそうです。
 単に「小売り」だけだったら近所の商店街も当てはまるし、集中・複合していなければUSJのような遊園地もそうですよね。
 また、小売りや飲食については、高級性が見られ、商っているものの値段が高い傾向があるように思います。ご近所で買う洋服よりも、繁華街で買う洋服の方が高価ですよね。大阪でいえば、小売り街・心斎橋筋が、東の銀座とならぶ日本随一の名店街だったのはその典型です。

 そのうえで、ミナミとキタ以外の繁華街について考えてみると……

 天満宮裏門
  天満天神の裏門

 ひとつは、上の写真、大阪天満宮の周辺(北区)です。
 ここは現在では、天神橋筋商店街という長いアーケード街で有名ですが、かつては劇場、寄席が集まり、近くには待合もありました。天満天神の裏門といわれるエリアで、現在、落語の定席・天満天神繁昌亭があるあたりです。

 いまひとつは、西区の松島から九条にかけての地域です。
 現在も、九条新道の商店街とその周辺は、なかなかにぎやかですね。
 戦前は、東寄りの尻無川と木津川に挟まれた島・松島に遊廓があって、そこに劇場、寄席や料理店も並んでおり、さらに西へ商店街が伸びるようになって、繁華を極めました。遊廓を核とした典型的な戦前の繁華街といえ、「西の千日前」「西の心斎橋」と称される地区となっていました。

 天満天神と松島・九条は、かつては大阪の二大ローカル繁華街で、爆発的に増えた労働者を慰安するエリアでした。
 でも、私の学生たちは、まだこのことを知らないようです。
 古い資料に接し始めると、気付いてくれるかも知れませんね。



台風シーズンに思う - 室戸台風のことなど -

その他




室戸台風で倒壊した西陣小


 今日は台風接近

 今日(2017年9月17日)は、関西に台風18号が接近中。
 京都でも、雨はほとんど降らないものの、朝から強風が吹き荒れています。

 この季節は、ご承知の通り台風シーズン。たとえば、戦後まもなくは数多くの強い台風ーー枕崎台風、伊勢湾台風、第二室戸台風などーーが列島を襲いましたが、特に枕崎台風は昭和20年(1945)9月17日に鹿児島県枕崎市に上陸、3000人以上の死者・行方不明者を出す大災害となりました。


 室戸台風の被害
  
 関西を直撃し大きな被害を与えた台風のひとつに、室戸台風があります。
 昭和9年(1934)9月21日、高知県の室戸岬付近に上陸し、大阪湾を北上して、大阪や京都など各府県で甚大な損害が出ました。死者・行方不明者は、約3000人にのぼりました。

 近年、日本ではこれほどの人的被害の出る台風はありませんが、海外では同様のことが起こっています。戦前戦後と大きな被害を教訓に、気象情報や河川改修などさまざまな対策が施されてきたことが理解できます。

 室戸台風については、このブログでも何度も取り上げました。
 今回、それを振り返ってみたいと思います。

 まず、このブログにも関係の深い文化財への被害。
 大阪では、江戸時代に建立された四天王寺の五重塔が倒壊するというショッキングな出来事がありました。
 京都でも、寺社の建築が崩壊し、たいへんな損害が出ています。
 ブログでは、雑誌「上方」に掲載された写真で紹介しました。

 ⇒ <昭和9年の室戸台風は、京都の文化財にも大きな被害を与えた>

 慰霊塔
  妙蓮寺の慰霊塔(上京区)

 もちろん、人への被害は痛ましいものがありました。
 朝の8時頃に襲来したので、通学して学校に来ていた児童が大勢いました。木造校舎が多かった当時、校舎の倒壊によって、尊い生徒、教員らの命が失われました。

 それを悼んで、京都市内には慰霊碑や銅像などが残されています。
 上京区・妙蓮寺の慰霊碑については、こちらをご覧ください。
 
 ⇒ <妙蓮寺の慰霊塔は、室戸台風で亡くなった児童41名を悼む>

 また、知恩院の南門脇には、生徒を守る先生をモチーフにした「師弟愛の像」が建っています。

 ⇒ <室戸台風の惨状を今に伝える師弟愛の像>

 師弟愛之像
  師弟愛の像(東山区)

 今これを書いている時点で、台風18号は高知県を東進中です。京都でも、外の風音がかなり強くなってきました。
 十分お気を付けいただきたいと思います。




上方落語の定席・天満天神繁昌亭に行ってきた

その他





天満天神繁昌亭


 大阪天満宮のそばにある繁昌亭

 これまで私は、歌舞伎や文楽は好きでちょこちょこ見に行っていたのですが、寄席には余り行く機会がありませんでした。

 寄席の芸の代表といえば、現在では落語ということになるでしょう。
 今年は、2月に少々聴くチャンスがあったのですが、半年ぶりにちょっと行ってみるか、ということで寄席を訪ねてみました。

 大阪天満宮

 大阪天満宮です。

 この天満宮のそばに、天満天神繁昌亭があります。

 天満天神繁昌亭
  天満天神繁昌亭 (大阪市北区)

 天満天神(てんまてんじん)繁昌亭(はんじょうてい)は、大阪天満宮の北に隣接しています。

 上方落語の定席、つまり毎日興行している寄席で、2006年にオープンしました。早いもので、この9月で11周年になります。
 私も、開業まもない頃だったか、友人たちと行ったことがあるのですが、その後はご無沙汰していました。
 今回、ちょっと寄席のことに関心が出てきて、行ってみるかな、と思ったのです。

 平日の午後、繁昌亭を訪ねました。時刻は、正午を30分過ぎたところです。
 窓口で当日券を買うと、

 繁昌亭チケット

 整理番号は、なんと100番!
 これは気分いいですね(笑)

 12時半の開場時刻になると、大勢のみなさんが列を作りました。
 この日は、平日ということもあって、1階の約150席のみの運用でした。ただ、私が100番ですし、みたところ120~130人は入っているなという感じで、盛況でした。


 落語に加え、浪曲も 

 繁昌亭の出番

 写真の上段が、私が行った昼席の出演者です。
 落語8席に加え、浪曲と三味線漫談があります(赤字の名前)。

 みなさん、たぶん、三味線漫談ってなんだ !? と、まず思うでしょう(笑)
 それにお答えしておくと、女性の落語家・林屋あずみさんが三味線を持って現れ、話をしたり、三味線を弾きながら小唄みたいのを唄ったり、なんかそういう感じです(うまく説明できないですが…)。牧伸二のウクレレ漫談みたいかなと期待してたのですが、そこまで芸として練られてなかったですかね。

 開演は、13時。
 まず、すごく若そうな桂小留(ちろる)という噺家さんから始まり、70歳を超すベテランまで、8人が替るがわる登場。若手からベテランまで、たっぷり聴かせますね。

 ひとりひとり、個性が全く違いますから、聴いていてあきません。ひとり15分くらいなのですが、あっという間に過ぎていきます。
 やはり、寄席は噺家さんとお客さんの “対話” みたいなところがあって、特に枕ではお客さんに話しかけて来られますし、噺の途中でもそういうところがあって、一体感があります。

 笑っているうちに、16時すぎ打出しとなりました。

 私の前に座っていたご婦人は、桂三若の大阪人の特徴を捉えたネタに、大爆笑でした。ずっとゲラゲラ笑ったはりましたね。確かに、心当たりのある指摘 ? が多かったのでしょう(笑)
 私は、よっぱらいの生態をほんとうに酔っているかのごとく噺し切った立花家千橘さんの噺が記憶に残りました。


 繁昌亭の周辺を歩く 

 落語を楽しんだあと、繁昌亭の周辺を散歩しました。
 というか、それが今日のもうひとつの目的です。

 天満宮裏門

 大阪天満宮の北側、つまり裏の鳥居です。
 こちらの側は、俗に裏門と呼ばれていました。

 古風に言うと、天満天神の裏門。このあたりには、江戸、明治の昔から芝居小屋や寄席が立ち並んでいました。

 旧大工町

 いまは、繁昌亭以外には全く面影はありません。
 しかし、かつては、天満座という劇場もあり、寄席も落語のほか、浪花節、講談、新内節など、時代によって異なりますが、7、8軒の寄席がひしめいていました。
 つまり、この辺に来ると、ひと通りの芸能が楽しめるわけです。

 これらの北東には、亀の池という名の池がありました。

 亀の池
  亀の池

 昔の史料を見ていると、こっち側はちょっとしっぽりしたエリアだったそうで、明治後期の新聞などではこの辺を「霊符(れいふ)」と呼んでいて、待合があった場所なんですね。
 霊符と言うのは、天満宮の末社の霊符社があることによっています。

 そんな感じで、天満宮の裏門あたりは、なかなかおもしろいエリアだったようです。
 
 天満天神繁昌亭にも、また行ってみたいと思います。




 天満天神繁昌亭

 所在  大阪市北区天神橋
 観覧  朝席、昼席、夜席の各種あり
 交通  JR「大阪天満宮」下車、徒歩約3分



 【参考文献】
 中川桂「明治・大正期 天満天神付近の興行街」(「演劇学論叢」7号、2004年)
 屋久健二「近世大坂天満宮の茶屋仲間」(『シリーズ遊廓社会1』吉川弘文館、2013年)


古い技術コロタイプが、いま再びよみがえる - 京都・便利堂の特殊技術 -

その他




日本古建築菁華より平等院鳳凰堂


「真珠の小箱」「美の京都遺産」から「京都知新」へ 

 前回書きましたが、4月から勤務体制が変わって、土日が休みになりました。
 しかし、休日も結構早起きで、6時とか7時には起きています。この日曜日も、6時前に起床しました。

 すると、やっていたテレビ番組が「京都知新」(毎日放送)。

 毎日放送(MBS、関西の4チャンネル)の日曜朝といえば、長らく「真珠の小箱」が看板番組でした。スポンサーの近鉄の沿線、つまり、奈良、伊勢・志摩などの名所旧跡、文化財を紹介する珠玉の紀行番組でしたね。少年時代、奈良好きだった僕には、懐かしい存在です。
 それが惜しまれつつ終わったあと、京都にシフトチェンジして「美の京都遺産」になりました。これも10年以上つづいたけれど、昨年3月に終了して、そのあと番組が「京都知新」というわけです。

 説明が長くて、すみません……

 その「京都知新」の今朝のテーマが、京都の企業・便利堂のコロタイプ印刷でした。


 懐かしの便利堂、コロタイプ

 博物館、美術館好きのみなさんなら、便利堂という社名はご存知でしょう。

 僕は、少年時代、京都国立博物館に行ったとき、確か新館の1階に狭いショップ(というより売店程度)があって、そこにミニチュアの屏風とか絵巻物とか、絵はがきとかが置いてあって、そういうのが欲しかった記憶があります。
 のちに知ったのが、写真印刷を応用してこのようなグッズを作っていたのが便利堂だったということです。

 本物の絵巻物を少し小さくして、かつモノクロで複製した絵巻物、こんなものがコロタイプ印刷という技術で作られていました。
 
 現在、多くの写真印刷は網点による印刷を行っています。細かなドットによって写真の絵柄を表現しています。ルーペで拡大すると分かりますね。
 一方、コロタイプ印刷は、網点を使わない印刷技術です。

 京都より六角堂
  『京都』より「六角堂」

 昭和初期の写真集のモノクロ写真ですが、これがコロタイプによるものです。
 ちょっとソフトな感じでしょう。

 コロタイプの特徴のひとつが、この「網点のないなめらかで豊かな諧調表現」です(『明治の京都 てのひら逍遥』)。
 つまり、色の変化などがスムーズに、自然に表現できるわけですね。

 アップにすると、よく分かります。

 京都より神泉苑(部分)
  『京都』より「神泉苑」(部分)

 さざ波の部分。
 網点がないから、いい雰囲気が出ます。


 便利堂の出版物では 

 私が持っているもので、大正時代の便利堂が出した書籍に『日本古建築菁華(せいか)』があります。新聞記者で京都を愛した岩井武俊が出した大判写真集です。
 国内の名建築を写真撮影し、解説を付けて3冊にまとめたもので、当時としては意欲作です。
 この写真印刷を便利堂が請け負いました。

 日本古建築菁華より平等院鳳凰堂
  
 平等院鳳凰堂ですね。これもソフトタッチな写真です。
 下は八坂神社、南の大鳥居。

 日本古建築菁華より八阪神社

 デジタル写真に慣れた目には、少し頼りなく感じられるかも知れません。でも、こういう滑らさが好きという人も多いでしょう。

 テレビ番組では、網点写真と比べて、小さく写った人の表情などがよく出ている、と言っていました。

 コロタイプは、150年ほど前、フランスで発明された技術です。便利堂では、明治38年(1905)から手がけました。
 ガラス板にゼラチンを塗布して、そこにフィルムから焼き付ける独特の技法です。
 印刷時も、技師さんがインキを手で落として行ったりして、職人技のように見受けられます。

 インキに耐光・耐候性があり、長期保存もできるため、その点でも文化財写真に向いているということです。

 便利堂は、明治20年(1887)、貸本・売本兼出版業として中村弥二郎が創業。雑誌や書籍を刊行するとともに、絵はがきの製作などでも発展しました。
 いまや “百年企業” ですが、近年、コロタイプの見直しを進めているということです。というのも、国内でコロタイプの技術を継承しているのは京都の2社だけだそうで、いまや文化財的な技術になっているからです。

 味わいのあるコロタイプ。
 若い人にも案外うけるのではないかと思いました。




 【参考文献】
 岩井武俊『日本古建築菁華』1919年、便利堂コロタイプ印刷所
 『京都』京都市役所、1929年
 『明治の京都 てのひら逍遥 便利堂美術絵はがきことはじめ』便利堂、2013年