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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

【大学の窓】大学のアウトリーチと写真の見方

大学の窓




清水寺


 大学のアウトリーチ活動

 今日は、私の勤務する博物館と、関西のK大学の付属博物館とで連携講座を行いました。

 3回連続の初回は私が担当で、前々回紹介した本山彦一(大阪毎日新聞社長)の新聞事業と考古学のかかわりについて話しました。

 大阪の新聞社は、明治時代から、人気投票のような読者参加型の企画や、紙面とイベントを連動して販売促進する “メディアイベント” を盛んに行ってきました。
 大阪毎日が、明治33年(1900)に行った俳優の人気投票などは、数百万もの票が投じられ、投票用紙は新聞についているので、おそろしいほどの販売促進になったのです。現在のAKB「総選挙」と同じですね! 百年も前からやっていたとは ! !
 そして、毎日がこれをやったら、他紙が “邪道だ” と批判して、論戦になりました。こういう構図も、なんか今っぽいですね。

 もうお分かりのように、現在、朝・毎両紙が主催している高校野球は、このメディアイベントの最も成功した例なのです。

 今日の話は、考古学の発掘もメディアイベント的な側面があったけれども、そのことが考古学への援助につながり、学問の発展にも寄与し、社会にも知識を広めることができた--というものでした。

 本山彦一
 採集旅行中の本山彦一(『松陰本山彦一翁』)

 このような講座は、大学が学外の市民に対して学術を普及するという意味で、いわゆるアウトリーチ活動として捉えられます。

 アウトリーチとは、あまり耳なじみのない言葉かも知れません。

 文部科学省が定義するアウトリーチ活動とは、

国民の研究活動・科学技術への興味や関心を高め、かつ国民との双方向的な対話を通じて国民のニーズを研究者が共有するため、研究者自身が国民一般に対して行う双方向的なコミュニケーション活動を指します。

 とされています。

 まあ、国もこんな文章を書いているうちは、「国民一般」とコミュニケーション出来ないだろうという話は別として……
 多くの方々に、大学で研究されている学問内容を分かりやすく伝えることは、とてもよいことですね。

 先日のノーベル医学・生理学賞でも、大隅良典氏の「オートファジー」が、何のことやらよく分からなかったですからね、解説を聞くまでは(聞いても分からん、という話もありますが……)。


 秋学期の授業、はじまる

 そんななか、非常勤でうかがっている京都の上京大学(仮称)の秋学期も始まりました。
 私は、1回生の演習科目を指導しています。2つのグループがあって、「写真」と「繁華街」をそれぞれテーマにしています。

 先週は、秋の初回だったのですが、夏休みの様子を聞いてみました。
 各自、問題意識を持って調査してもらったようです。

 やはり、写真の研究は難しそうですね。
 1枚の写真を前にして、どう分析していったらよいのか困るでしょう。

 学生に心掛けてほしい写真の見方は、まず、

 “5W1Hを考える”
 
 というものです。

 5W1Hとは、

 ・いつ(when)
 ・どこで(where)
 ・だれが(who)
 ・なにを(what)
 ・なぜ(why)
 ・どのように(how)

 ですね。

 新聞記事の書き方の基本事項などで、よく目にします。

 写真を見る際にも、5W1Hを意識すると、うまくいきます。

 ・いつ撮影されたのか?(撮影時期)
 ・どこで撮影したのか?(撮影場所)
 ・だれが撮影したのか?(撮影者)
 ・なにを撮影したのか?(被写体)
 ・なぜ撮影したのか?(撮影目的)
 ・どのように撮影したのか?(レンズ、フィルム、露出、アングル等)

 これらひとつひとつを調べて確定させ、さらにその関係を考えていきます。
 そうすることで、“この写真は何なのか” ということが分かって来るはずです。

四条大橋

 例えば、このような写真。

 まず、どこか?
 これは比較的簡単に分かるでしょうか。

 大きな川が写っているから……
 そうです、四条大橋ですね。

 では、いつか?
 判定するには、景観年代といって、写っているもの、あるいは「写っていないもの」から判断する方法があります。
 遠景に山並みがあり、これは東山でしょう。つまり、西から東を向いて撮影しています。
 すると、橋の向こうには、現在なら南座(南側)と菊水ビル(北側)があるはずです。でも、菊水ビルは明らかにありませんね。
 菊水ビルは、昭和2年(1927)竣工ですから、それより古い写真ということになります。
 こういうふうに、範囲を狭めていきます。

 あと、季節を判定する、撮影時刻を判定する、ということもできますか?

 人物の服装や、影の方向、長さを見てみてください。

 こんな具合に、5W1Hをひとつずつ調べていって、この写真がどういった写真なのかを明らかにするわけです。
 
 ちなみに、上の写真は、大正4年(1915)に京都市が発行した『新撰京都名勝誌』掲載の「四条大橋」という写真でした。
 写真の四条大橋は、大正2年(1913)3月に完成したもので、架橋されてまだ新しいもの。なんとなく綺麗に写っているのも納得できます。

 同じ場所を撮影した他の写真と比べてみると、もっといろいろなことが分かって来るでしょう。

 来週の授業では、こんなことを学生に話そうかな、と思ったりするのでした。




 【参考文献】
 『新撰京都名勝誌』京都市役所、1913年
 『松陰本山彦一翁』大阪毎日新聞社ほか、1937年


【大学の窓】夏休み、職場に大学生を迎えて

大学の窓




フィルム



 博物館実習で映像フィルムを語る

 世間は、お盆、夏休みというのに、ここのところそれなりに忙しくしています。
 ちょっとした仕事が入ったせいもありますが、盆明けには例年、職場の博物館で、大学生の実習を受け入れるためです。
 教員実習の博物館版と思っていただければよいでしょう。
 学芸員の資格を取るためには、大学で所定の単位を取得し、この博物館実習(館園実習)を行わなければならないのです。

 もっとも、なかなか本物の仕事をやってもらうわけにもいかないので、博物館資料を触ってもらったり、展示作業のまねごとをやってもらったり、保存処理の現場を見に行ったり、まぁ、1週間、博物館でお勉強してもらう、というものです。

 私は、自分の授業も担当するのですが、今年は全体のお世話役もやっているので、毎日学生に「○○してくださ~い」みたいな感じですね。出席を取ったり、引率したり。

 それで、今日は自分の授業がある日です。
 昨日、配布資料も作りました。内容は何かというと、私は近現代史担当なので≪博物館の近代資料≫がテーマになりますが、今回は<映像フィルム>に絞ったお話です。
 いわゆる8ミリフィルムとか16ミリフィルムとかいう、懐かしいやつですね。いまふうに言うと、動画です。

 フィルム缶

 博物館で扱う昔の映像フィルムというと、およそ昭和初期から高度成長期頃のものでしょうか。大正より古いものが出てきたら、これはちょっと貴重。なぜなら、その時期には一般市民に映像フィルムが普及していなかった時期ですから、そのフィルムは撮影所でキチンと撮った映画作品である可能性が高いからです。

 ところが、昭和に入ると、一般市民もカメラを手にすることが可能になり、動画を撮影するようになります。

 映像フィルムのサイズは、主に、8mm、9.5mm、16mm、35mm、70mmがあります。
 映画館で見る映画のフィルムは、35mmです(特殊なケースで70mm)。
 学校でかつて使った教育映画などは、少し落ちて、16mmです。
 戦後、お父さんたちが盛んに撮った一般用が、8mmです。8mmは、昭和初期からあり、コダックなどはカラーフィルムも出していました。また、16mmを一般の人が撮るケースもあったのです。


 変わったサイズ、9.5mmフィルム

 みなさんご存知ないのは、9.5mmでしょうか。
 フランスのパテ社が主に流通させていたサイズです(ちなみに「パテ」は人名です)。

 日本でお馴染みのパテといえば、家庭用の存在で、出来合いの娯楽フィルム(いわば映像ソフト)を買ってきて、小型映写機で家のふすまに映写する、みたいなイメージです。もちろん、生フィルムを買って自分で撮影することもできました。カメラも小さくて、だいたい15cm角ほどのボックス型のカメラですね。「パテ・ベビー」という商品です。

 9.5mmフィルムの見た目の特徴は、フィルムをコマ送りする穴(パーフォレーション)がフィルム中央にドーンと開いている、というもの(他のサイズのパーフォレーションはフィルムの端にあります)。
 あと、パテ社のマークはニワトリ(雄鶏)なので、フィルムの缶などにニワトリマークが付いていたら、9.5mmですね。もしかすると、ルコック社かも知れませんが(笑)

 そんな感じで、私の職場のフィルムにも、8mm、9.5mm、16mmがあり、一般の人が撮影した映像が記録されています。
 旅行とか家族とかを撮ったものが多くて、事件事故を扱ったニュース映画とは趣を異にします。当たり前のように、プライベートな映像が多いのですね。旅館で仲居さんを侍らせてお酒を飲んでいる映像とか…(笑)

 フィルム

 こんな私的映像が、どういう価値を持つのか? 実のところ私もまだ考え中なのです。
 一昨年(平成26年度)、記録映画保存センターが行った調査によると、全国341の博物館、美術館、公文書館、視聴覚ライブラリー等に、約16万本の映像フィルムが所蔵されていることが分かりました。

 16万本!

 その中心は、戦後の高度成長期に撮影されたフィルムのようですが、この数は想像を超えています。
 これは博物館やアーカイブ的な公的施設に残されている数ですから、他の官公庁や民間の会社、さらには放送局などに残っているものを調べたら、どんな数になるのか? そして、個人の家庭には!

 古い映像フィルムについて、どのように調査し、保存し、活用するかは、私たち博物館関係者にとっては、今後の大きな課題です。
 おそらく、私たちの次の世代、つまり今日来ている大学生たちの世代が真剣に取り組むことになるだろう。そんな予感がしています。

 授業が終わって。
 やはり、いまの大学生は、ほとんど8mmフィルムの存在を知らないようでした。
 昭和は遠くなりにけり、ですね。




 【参考文献】
 「全国文化施設・映画フィルム所蔵調査」(記録映画保存センター ウェブサイト)


【大学の窓】恩師の退職記念パーティーで、久しぶりに旧友と

大学の窓




記念パーティー


 30年ぶりの先輩たちとも

 日曜日、パーティーに出席してきました。

 大学でお世話になった恩師が、この3月末で退職されたので、先生とかつてのゼミ生が集う会が催されたからです。

 「催された」と受け身で書くよりも、「催した」とする方がいいかも知れません。というのも、私は幹事の一人だったからです。
 うちの先生は、古代・中世の宗教文化史が専門で、大学では37年間教鞭を執っておられました。その間、お世話になったゼミ生は二百数十名にのぼります。
 今日は、全国各地から50余名の先輩後輩が集まってくれました。

  記念パーティー

 私は大学院を出てからでも四半世紀くらい経過していますから、学部時代の先輩などでは30年ぶりに会う人もいました。やっぱりテレビの効果は大きいようで、「ブラタモリ」の出演を見てくれていたりしました(笑)
 久々の再会もあり、また年代の離れている人同士は初対面も多く、それでも同窓生のよしみで話に花が咲いていました。

 日本史の専攻という、やや特殊な? ジャンルのせいか、みなさんの仕事も、大学の先生や文化財行政に関する仕事、学芸員、そして作家など、専門性を生かして仕事をしている人が多いようです。
 先生は包容力があるので、ご自身の専門以外のテーマも許容してくださり、いろんな勉強をした学生が多いですね。私もまったく場違いな近代史だったのです。

 もちろん、まだまだお元気な先生、一層充実した研究を行われることを楽しみにしています。

 一次会、二次会、そして三次会と、幹事としては長丁場でしたが、みなさんに喜んでいただいて、ほっとしています。
 たまには、旧交を温める会もいいものですね。次は5年後かな?



【大学の窓】京田辺で史跡見学、古刹・観音寺へ

大学の窓




観音寺


 南山城の古刹へ

 非常勤で出講している(仮称)上京大学の授業では、年に2度ほど史跡見学を行っています。
 今年も、60名ほどの学生たちと、京田辺市にある観音寺を訪ねてきました。

 観音寺

 観音寺は、古代からこの地に続く名刹で、かつては大きな伽藍を持ち、大御堂という別称もあります。
 立地は、JR・近鉄の三山木駅から2.5kmほど離れ、周囲は田んぼです。ちょうど田起こしをされていました。

 観音寺
  観音寺 本堂

 観音寺

 本堂の前には蓮池が造られ、来月頃はハスの見頃のよう。
 戦後建築された本堂には、天平年間に造立された十一面観音立像(国宝)が! いつ拝しても素晴らしい尊像です。

 
 近代的な建造物も

 このような古刹なのですが、当然、現在に至るまでの歴史を持っています。
 寺院は地域のつながりの中心にもなるため、明治以降に造られた構築物もありました。

 慰霊塔

 近代の慰霊塔。
 「慰霊塔」という表現が、戦後的な響きを感じさせます。

 背面に廻ってみると、

  慰霊塔

 「忠魂碑」の文字が。
 こちらは戦前の言葉ですが、文字は埋められており、戦後「慰霊塔」として再生されたことが分かります。

 こんなプロセスを学生に質問を重ねながら考えてもらいます。

 慰霊塔

 台座上には、もともとは鎖をつないだ柵があったのですが、いま鎖はありません。
 なぜなくなったのか? 、こういう点も考えてもらったりするのです。


 日露戦争の記念碑

 この慰霊塔の脇に、少し小ぶりの石碑が立っています。

 記念碑

 苔むした、年月を感じさせる記念碑。

  記念碑
 
 碑面には、このように刻まれています。
 毎年、まずこの6字を読ませるのですが、案外読めないのがこの文字。

  記念碑

 どうでしょう?
 読めるでしょうか。

 毎年、質問してみると、ほとんどの学生が、

 「戦後」

 と読みます。
 
 でも正しくは「戦役(せんえき)」なのです。
 「役(えき)」って、日本史の授業で「前九年の役とか後三年の役とか習ったやろ」と、「役」が戦争を意味することを話します。

 そのあと、日露戦争は何年に起こった? と質問すると、学生は1904年と答えます(たいてい答えられます)。
 ところが、いじわるに「じゃあ、明治何年?」というと、だいたい答えられません(笑)

 実は、碑の下部には「明治三十七八年役」と書かれています。
 私たちは、教科書でこの戦争のことを「日露戦争」と学習したけれど、当時の人たちの多くは、明治三十七八年戦役などという表現を取っていたのです。

 でも、学生たちの受験日本史では、日露戦争であり、1904年~05年の戦争。

 明治の人たちは、たいがいは元号で年を考えていたのですから(昭和でも、そうでしたものね)、西暦は意識になかったでしょう。
 こういうズレを敏感に感じ取っていくことが、過去を考える際には重要です。
 今日のように、実際に史跡を訪ねてみると、教科書にある “翻訳” された知識ではない、生の現実が分かっていいですよね。 




 観音寺

 所在  京都府京田辺市普賢寺下大門
 拝観  400円
 交通  近鉄・JR「三山木」下車、徒歩約30分


【大学の窓】京都で歴史を学ぶ大学生の出身地 2016

大学の窓




京都御所の桜


 2016年の傾向をさぐる

 新学期が始まり、キャンパスに学生があふれる(仮称)上京大学。

 毎週1回、ここに非常勤講師として出講しています。
 日本史専攻の1回生を担当しているので、毎年学生の自己紹介を聞きながら、その出身地をリサーチしています。
 今年は、集計4年目。

 果たして、どんな傾向が ! ?

 左が今年、その右が2015年、2014年とつづき、右端が2013年の人数です。

 【北海道・東北】 4名-2名-3名-3名
  北海道 2-2-2-1
  岩手  0-0-0-1
  山形  0-0-1-0
  宮城  1-0-0-0
  福島  1-0-0-1
 【関東・甲信越】 15名-7名-7名-11名
  群馬  1-1-0-1
  栃木  0-1-1-0
  茨城  1-0-0-1
  埼玉  1-1-0-0
  千葉  2-0-0-1
  東京  1-1-1-1
  神奈川 4-0-1-1
  山梨  0-0-0-1
  新潟  0-0-1-1
  長野  1-1-2-2
  富山  0-1-0-0
  石川  1-0-0-0
  福井  3-1-1-0
 【東海】 5名-6名-9名-11名
  静岡  2-0-5-2
  岐阜  2-0-1-2
  愛知  1-5-2-6
  三重  0-1-1-1
 【関西】 23名-42名-31名-28名
  滋賀  5-2-3-2
  京都  6-7-6-6
  大阪  7-14-13-10
  奈良  1-6-1-2
  兵庫  4-11-8-8
  和歌山 0-2-0-0
 【中国・四国】 9名-9名-8名-8名
  岡山  2-0-1-2
  広島  5-4-3-2
  鳥取  0-1-1-0
  山口  0-0-1-1
  香川  1-0-0-1
  愛媛  1-1-1-1
  高知  0-3-1-1
 【九州】 9名-3名-7名-10名
  福岡  7-1-3-6
  佐賀  1-0-0-0
  大分  0-1-1-2
  長崎  0-0-0-1
  熊本  0-0-2-1
  鹿児島 0-1-1-0
  沖縄  1-0-0-0
 【海外】 1名-4名-2名-2名
  中国  0-4-2-1
  香港  1-0-0-0
  フランス 0-0-0-1

 総数は、今年が66名、昨年が73名、一昨年が67名、4年前が73名。
 西洋史専攻が多かったせいで、日本史は少なめになりました。


 初登場の県も!

 今年は、やや傾向が変わりましたね。
 増えてきていた大阪、兵庫勢が激減し、かわって関東・甲信越が増加しました。
 初めて沖縄出身の学生が誕生 ! 自己紹介によると、小さな島の生まれのようです。

 福岡勢や広島勢も多くなりました。
 広島、福岡は、活気のある個性的な街ですし、個人的にもよく行っています。夜の街で一杯、なんていうのも素敵なところで、うれしい限りですね。

 わずか4年間の統計? ですが、お分かりのように、青森、秋田、島根、徳島、宮崎が未だ0です。
 逆に今年は、宮城、石川、佐賀、沖縄、そして香港が初登場 ! !
 これで42都道府県までたどりついた勘定になります。

 今年も、合計10の研究テーマに分かれ、学生たちはグループ学習してくれます。
 ご一緒している先生も言っていましたが、やはり学生がいい発表をしてくれるのが一番うれしいもの。
 大いに期待しています!