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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

校正刷りと格闘する

その他




ゲラ


 話し言葉を校正する苦しみ

 テレビでは、そろそろ忠臣蔵ものをやり始めていますので、年の瀬もすぐですね。

 私は、先日まで、出版社の校閲部を舞台にしたドラマ「地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子」(日本テレビ)を見ていたせいか、ついに自分も “校正苦” に陥るはめになりました ! !

 今秋、勤務先の博物館で<講演+対談>の催しをやったのです。
 これは、学芸員が順番に登場し、専門のテーマを話した後、博物館長と対談するのですね。それが10回を過ぎたので、とりあえず本にして出版しようというわけなのです。

 自分が話した講演部分は、原稿を書くのですが、これもまぁまぁしんどいわけで……
 どういうふうに話したか、ちょっと忘れたところもあったりして。図表も要りますしね。

 一方、対談部分は、この前、校正刷り(いわゆる「ゲラ」)が上がってきました。
 当日録音したものをテープ起こしして、まず館長が見て朱を入れる(訂正する)のです。それが、こちらに回ってきた。

 ゲラ

 すでに結構訂正が入っていて、そこにまた自分の朱を入れていくーーとなると、もう訂正だらけです。

 なぜそうなるかというと、話し言葉を文字化しているからですね。
 語尾が「~なんですね」ばかりだったり、口癖の「ちょっと」が一杯入っていたり、切れ目のない長文が延々と続いていたり。そのままでは文章として見苦しいわけです。だから、訂正につぐ訂正になるのです。

 例えば、こんな感じ。

 実際に、よくはわからないんですね。誰かっていうことが。

 よくはわからないんですけれども、この道頓堀千日前ぶらぶら歩きっていうのは『演芸画報』という戦前の演劇雑誌、現在の演劇刊につながっていくような主要な芝居の雑誌の1つなんですけども、ここに掲載されているんですが、この道頓堀千日前以外に同じ年に、これ8月号に掲載されたものなんですが、9月号、次の月の号に文楽の半日っていう、文楽のことについて書いた記事がある。今日と同じような、こういうレポート系なんですね。こういうものがある。

 それから11月、同じ年の11月号に大坂○○ロショウという、ロショウというのは、竹本ロショウという女性の義太夫を語る、女義太夫の語り手なんですけれども非常に当時有名な人だったけれども、そういう大坂で聞くロショウというものを書いて、この3つを、いずれも明治44年ですが一気に来て見ているんじゃなくて、たぶん飛び飛びなんでしょうけど、何度か来てるんでしょうけど、それを実際に大坂で見てこの雑誌に寄稿してるということで、人物ではわからないんですが、非常に東京でもよくお芝居を見てるような人で、なんらかの関心でやはり大坂の芝居を見たいと思って、ここに、こちらにやってきたというような感じでしょうか。 


 いくらしゃべったままとはいえ、我ながらひどいですね(笑)
 誠にお見苦しい代物で、全然活字にできそうもない。

 なので、こういうふうに直していきます。

 実際に、誰かということはよくわからないんです。

 けれども、この「道頓堀千日前ぶらぶらある記」というのは『演芸画報』という戦前の演劇雑誌、現在の『演劇界』につながっていく主要な芝居の雑誌の1つなんですけれども、その明治44年8月号に掲載されているんです。この「道頓堀千日前ぶらぶらある記」以外に、同じ年の9月号に「文楽の半日」という、文楽について書いた記事があります。今日紹介させていただいたのと同じようなレポート系の文章なんです。

 それから、同じ年の11月号に「大阪で聴く呂昇」というものがのっています。呂昇というのは、豊竹呂昇という女義太夫の語り手なんですけれども、当時非常に有名な人だったんです。この3つは、いずれも明治44年ですが、一気に来て見ているんじゃなくて、たぶん飛び飛びに何度か来ているんでしょうけど、実際に大阪で見てこの雑誌に寄稿してるということです。どういう人物かわからないんですが、東京でも非常によくお芝居を見ている人のようで、なんらかの関心でやはり大阪の芝居を見たいと思って、こちらにやってきたという感じでしょうか。


 まだまだ手を入れた方がよい部分もありそうですが、一応こんな感じに直していきます。
 この朱を入れたテープ起こしを出版社に渡して、再度初校を直すのでしょうね。この “ゲラ地獄”、越年して続きそう。

 それでも、自分が話したことが活字になるのはうれしいものです。
 出来上がるのが楽しみです。



きょうの散歩 - まいまい京都で、大阪・谷町ツアーに行ってきました - 2016.10.30 -

その他




谷町周辺


 大阪マラソンの当日に…

 秋晴れの10月末の日曜日。
 いつもお世話になっている<まいまい京都>のみなさん約20名と、今日は大阪ツアーに出掛けました。

 場所は、谷町四丁目(大阪市中央区)付近。

 開催日を決めてから気付いたのですが、10月30日(日)は<大阪マラソン>の当日でした!

 マラソンはこの近くを通るのですが、幸い午前中に実施。私たちのツアーは、午後2時からということで難を逃れましたが、危なかった ! ! 

 まず、大阪歴史博物館の常設展示を見学。10階から大阪平野を見渡し、また大阪城を見たあと、7階を見学。
 そのあと、3時から街に出て、2時間ばかり歩きました。

 
 「谷町」という地名

 歩いた場所は、南北に通る道路・谷町筋の付近。
 なぜ、ここが谷町と呼ばれるのか? ちょっとしたナゾなのです。

 この街路は、上町台地という南北に伸びる台地上を走っていて、どこが谷かな? と思わせる地形。
 でも、よく観察すると、道がうねうねとアップダウンしています。

 近松門左衛門の「曽根崎心中」を読むと、冒頭の観音廻りの部分に谷町付近が登場します。
 主人公の女性がそこを歩くさまを表現しているところに、「のぼりゃすなすな、くだりゃちょこちょこ、のぼりつをりつ谷町すじを、あゆみならはずゆきならはねば」と書いています。

 上りの道は「すなすな」と、下りは「ちょこちょこ」と、女性が歩む様子です。
 「すなすな」は今は使いませんが、おしとやかな身のこなし、特に静かに歩むさまを表す言葉です。
 上りの坂道は、ゆっくり上ったのでしょう。逆に、下り坂は勢いが付きますから、ちょこちょこと小走りになったのですね。リアルな表現です。

 そんな谷町付近には、こんな感じで谷があります。

 小谷町

 私たちが「立呑み屋のあるとこ」と言っている坂です(笑)
 谷町筋から1本東へ入ったところの南北道ですが、どーんと落ちくぼんだ地形になっています。くぼみの底に風呂屋があるのも一興。
 このあたりは、江戸時代(明暦元年=1655)の絵図には「小谷町」と記されています。「こたにまち」と読むのでしょうか。この地名も、谷町筋の地名の由来のひとつと考えています。

 小谷町の西に当たる谷町筋には、「北谷町」「南谷町」という地名があって、このあたりの谷が谷町地名の語源になっていると推測しています。

 もともと、谷町筋の東にある上町筋は、小高い台地上にあり、標高約20m。そこから西、谷町筋の方向になだらかに下っています。
 それを、おそらく江戸時代、武家屋敷を造る際に、整地して崖を造成したのでしょう。崖は、明治時代に陸軍施設が置かれると、より堅固になったと思われます。
 そのため、歩兵第三十七連隊跡に当たる国立病院機構大阪医療センターの西には、急な階段が4つもあります。

 谷町の階段

 落差は、5~6mあるでしょう。
 まったく意識しない場所に、突然現れる急階段です。

 こんなふうに地形がおもしろい谷町周辺。
 ほかにも、江戸時代に造られた下水網「背割り下水」をのぞける場所もあります。

 背割り下水
  南大江小学校西側ののぞき窓から見られる

 これらの下水は、俗に「太閤下水」といって豊臣秀吉が造ったように言われていますが、ほぼ徳川時代に形成されたものと考えられています。「背割り」と称するのは、町と町の後ろ、つまり背中(町境)を分ける下水のため、そう呼ぶのです(これもたぶん戦後の呼称かと思いますが)。

 狭い範囲を2時間ばかり、ちょこちょこ歩いた谷町ツアー。
 なかなか興味深く、参加者の皆さんからも好評でした。
 また行ってみたいと思います。




 谷町四丁目付近

 所在  大阪市中央区谷町ほか
 見学  自由 (背割り下水も、いつでも自由にのぞける)
 交通  大阪市営地下鉄「谷町四丁目」下車、すぐ



  【お知らせ】
  11月1日(火)、NHK「ニュースほっと関西」(18:10~19:00)に、コメントにて出演予定です。
  お芝居に関する特集コーナーです。よろしければご覧ください。

連載500回! ご愛読ありがとうございます

その他




鴨川


 連載 4年余、まだまだつづく ! 

 いつもご愛読いただき、ありがとうございます!

 おかげさまで、このブログも連載500回を迎えました。
 これもひとえに、みなさんの応援、励ましの賜物です。改めて御礼申し上げます。

 ブログを始めたのが、2012年8月。
 4年2か月にわたって、3日に一度、記事を書いてきました。ということは、1500日ですか。長いような短いような日々でした。

 たまに見る BS番組に「せいこうの歴史再考」(BS12トゥエルビ)というのがあるのですが、このブログはまさに「京都再考」なんですね。

 私自身、京都生まれで、大学も京都で歴史を勉強しました。ところが、若い頃は案外京都の歴史に興味がないものです。
 よく言われるように、京都の人は金閣寺にも行かないし清水寺にも行きません。私など、自慢じゃないんですが、いまだに京都タワーにも上ったことがないんです。それくらい、観光地には行かないものです。

  京都タワー 眺めるだけの京都タワー

 ところが、40歳台頃から、生まれ育った京都の歴史に関心がわいてきたのです。たぶん歳のせいなんでしょう(笑)
 博物館のお客さんなども、やはり年配の方が多めです。自分の人生を積み重ねてくると、おのずと過去に目が向くのでしょうね。自然な感情なのだと分かってきました。


 人生と歴史のはざまで…

 私なども半世紀ばかり生きてきて、来し方行く末を考えるようになりました。すると、過去の人々について考えることも、ごく自然に出来るようになってきたのです。
 学生時代から歴史を勉強し、若い頃はどうしても “研究のための研究” をするというきらいがありました。ところが今は、自分が生きる意味と、過去の人々や出来事を重ねて考えるようになっています。
 不思議なのですが、最近は、研究をやっていても、研究々々しないというか、自分の知っているリアルな人と話をしているみたいな気分でやっているんですね。やっぱり年の功かなぁ。

 ということで、<京都発! ふらっとトラベル研究所>は、まだまだつづきます。
 今後ともよろしくお願い申し上げます!


 紅葉



【新聞から】京都を悩ます2つの “新幹線” 問題

その他




リニアうちわ


 北陸新幹線の 3ルートが大詰めへ

 ここ数日、新聞紙上をにぎわしているのが、北陸新幹線の延伸ルート。
 
 北陸新幹線は、東京から信州、北陸を経由して、大阪に至る整備新幹線です。昨年(2015年)3月に金沢まで開通し、今後、福井、敦賀へと延びることが決まっています。
 問題は、そこから先のルート。

 昭和48年(1973)に策定された新幹線の整備計画では、北陸新幹線は福井県小浜市付近を通って、大阪に至ることになっています。
 その後、さまざまな案が検討されてきましたが、現時点で候補となっているのは、3つの案です。

 ・米原ルート
   敦賀から、東海道新幹線の米原へ至る。
   滋賀県が推している案。
 ・小浜ルート
   小浜・京都ルートとも呼ばれる。
   従来の小浜ルートは、福井県小浜市から、京都府亀岡市付近を
   通る案だった。
   昨年、JR西日本が新たに、小浜から京都駅を経由して新大阪に
   至る案を提示した。
   福井県が推している案。
 ・舞鶴ルート
   敦賀-小浜から、京都府舞鶴市付近を経由して、京都駅に
   向かう。
   3案のなかで最も距離が長い。
   京都府が推している案。

 この3つです。
 最近、滋賀県が3ルートの建設経費を試算し、小浜ルートや舞鶴ルートは1兆円以上かかるが、米原ルートは約4000億円で出来る、とブチ上げて、京滋間に険悪な空気が漂い始めました。
 もっとも、米原ルートが最安価ということは、以前から衆目の一致するところで、今更どうこう言うのもキナくさいですね。

 舞鶴ルートは、全般に評判がよくなく、京都新聞(2016年4月27日付)によると、「北陸から舞鶴に行きたがる人はいない」「完全な地域エゴ」という声も出ているとか。いわゆる “我田引鉄” だというわけです。
 小浜と舞鶴は約40kmも離れており、大阪へ至るルートとしては “遠回り感” は否めません。


 リニアの方は?

 一方、以前から京都で誘致の声が上がっているリニア中央新幹線。
 名古屋までのルートは決定しましたが、それ以西は未確定です。

 当初から奈良市付近を通る計画ですが、京都関係者は盛んに京都駅経由を誘致していました。
 ところが、2016年6月の京都市長、府知事の定例記者会見で、“京都駅を通らず、学研都市経由でもいいよ” と取れる発言が出ました。
 学研都市とは、関西文化学術研究都市(通称「けいはんな学研都市」)のことで、京都府南部を含む京阪奈丘陵に位置しています。
 市長らが言ったのは、学研都市でリニアと北陸新幹線を接続させる、というプランなのです。
 どういうことかというと、北陸新幹線は京都駅を出て新大阪へ向かう途中、大阪府箕面市付近を通る北回りルートと、京都府・学研都市方面を通る南回りルートとが検討されているのです。この南回りルートに、リニア新幹線を接続する、という意味なのです。

 ふつうに読めば、もはやリニアが京都駅を通過するのはありえないから、せめて府内を通ってほしい。リニア京都駅は我慢するかわりに、北陸新幹線の舞鶴ルートを実現させてくれないかな…… ということでしょうか?

 われわれ京都府民からみても、舞鶴経由の北陸新幹線はかなり苦しいルートに思えます。
 舞鶴は、かつての軍港都市、今も日本海側の要港のひとつですが、大阪への速達性などを考慮すると適切なルートとは思えません。建設経費も最も高額で、3分の1の地方自治体負担も本当に可能なのか、疑問が拭えません。こういった京都側の主張が、北陸各県のみなさんに総スカンを喰っていることも無理からぬことです。
「週刊鉄道経済」の連載を持つ杉山淳一氏は、鉄道ルートの決定は地域の利益よりも国益を優先すべきだとして、小浜ルートを支持しています(IT media ビジネス online 2016年3月11日付)。

 私も、その考え方が正しいと思います。“我田引鉄” はよくないです。
 また、誰もが論外っぽいと思う「山陰新幹線」とくっ付けて、政治力を発揮しようとするのも、よろしくないでしょう。

 京都が抱える、ふたつの新幹線問題。
 その答えも近いうちに出そうです。
 誘致をはかる関係者には不本意な結果になるかも知れませんが、新幹線は京都だけのものではないことをお忘れなく。
 

  京都タワー


トークイベント、その他いろいろ

その他




大軌


 近鉄百貨店にてーー

 いきなりで恐縮ですが、トークイベントのお知らせです。

 9月11日(日)、近鉄百貨店 上本町店(大阪市天王寺区)にて、午後2時から、同店の開業80周年記念イベントで、トークします。
 上本町店界隈の歴史を中心に、地図・写真などを交えてお話します。

 お近くの方は、ぜひおいでくださいませ。

 この百貨店は、80年前、つまり1936年に開業しました。昭和11年です。
 いまは近鉄百貨店と言っていますが、当時は大軌百貨店と言いました。

 「大軌」と書いて、「ダイキ」と読みます。
 大阪電気軌道の略称。

  大軌カレンダー 大軌カレンダー(大正14年)

 大阪電気軌道は、大阪・上本町と奈良を結ぶ電車でした。
 大阪から奈良まで行くのに生駒山地を越えますが、生駒トンネルの掘削がとても難工事でした。
 その路線が現在の近鉄奈良線で、これに大阪鉄道(大鉄=現・近鉄南大阪線)などをプラスしたりして、いまの近鉄が出来ていったのですね。

 大軌って、なんとなくいい響きですね。
 昔、愛読していた谷崎潤一郎の小説を読んでいると、「卍」なんかに、この大軌が出て来るんですね。なんだか印象的な名前でした。
 
 トークでは、こんなこともお話する予定です(やる前に言ってしまいましたが 笑)。


 いろいろある9月……

 ここのところ、予定がいろいろ目白押し。
 先日、この夏に取り組んでいた論文をひとつ、仕上げました。
 締切りからちょっと遅れた気もする? けれど、なんとか提出。
 内容は、大正時代頃の大阪のお芝居に関するものです。機会があれば、またご紹介しましょう。

 それを出したと思ったら、5日後に近鉄百貨店のトーク。
 さらに、翌週には来月の講演のレジメを送って、その次の週には別の講演+座談会。
 その他にも、いろいろあって、ほんと目白押しです。

 不思議なものですが、忙しさは忙しさを呼ぶというか、類は友を呼ぶなのか、こんなふうになりがちですね。
 ちょっと一服したいところなのですが、なんとか乗り切りたいと思います。
 



 【参考文献】
 『日本地理大系 近畿篇』改造社、1929年