05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
MENU

NEW ARRIVAL

PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

イギリス人女性と明治の「門徒宗」との邂逅 - イザベラ・バード『日本奥地紀行』(2)

京都本




  日本奥地紀行


 同志社女学校に滞在

 東洋文庫の『完訳 日本奥地紀行』全4巻の刊行を受けて、同書を紹介する2回目は、著者イザベラ・バードと浄土真宗との対話について見てみましょう。

 明治11年(1878)10月、神戸から京都にやってきたバード。
 「京都はだれもが好きな所である」と、京都を気に入った彼女が滞在したのは「二条さん屋敷」でした。ここは御所の北で、五摂家のひとつ二条家があったところです。当時は、その場所に同志社女学校が開かれていました。
 明治9年(1876)に始まった同志社の女子教育は、バードが来日した明治11年7月、今出川に新たな校舎を建築します。バードが滞在したのはそこでした。同校で教育に当たった宣教師A・J・スタークウェザーの名は、本書にも紹介されています。

 ちなみに、創立当初、この学校が「京都ホーム」と呼ばれていたことは、前回紹介した神戸の女学校(神戸女学院の前身)が通称「神戸ホーム」と言われていたことと符合して、興味深く思われます。
 バードが神戸の項で記した「ガールズ・ホーム」という呼称が、京都、神戸、大阪の女子寄宿学校に用いられていたのでしょう。

二条家跡
 二条家跡(現・同志社女子大学今出川キャンパス)


 イザベラ・バード、西本願寺に行く

 イザベラ・バードは、『日本奥地紀行』の第53報で「門徒宗」を取り上げます。彼女の関心を最もひいた宗派が浄土真宗だったのです。
 西本願寺を訪れたバードは、「京都の日本人には『英語を話す僧侶』として知られている」赤松連城と面会します。明治の宗門改革をリードした真宗僧侶です。

西本願寺
 西本願寺

 階段を上っていくと小さな部屋に出た。そこでは二人の僧侶が書きものをしていた。私はここでブーツを脱ぎ、[英語を話す僧侶]を待った。現れたその姿は私の期待を裏切るものだった。背丈がかろうじて五フィート[一五〇センチ]あるにすぎないだけでなく、顔もよくなかった。その上、非常にごわごわした毛髪が一インチ[二・五センチ]ほども伸びていたし、やはりごわごわした真っ黒の口髭と真っ黒でまばらな顎髭も生えていたのである。ただ、その額は整い眼は眼光鋭く輝いていた。(中略)赤松はとても紳士的で、礼をわきまえた人物だったし、表現力にあふれた英語を驚くほどうまくしゃべることができた。私から見ると、驚くほど率直な話しぶりだった。そして私をいくつもの堂宇に案内し、見るべきもののすべてを見せてくれた。私の訪問は三時間に及んだが、もっと長くいることができたらと思ったほどだった。それほどに赤松の考え方と会話には深い関心を覚えた。(92ページ)


 初対面の赤松連城の印象です。浄土真宗の僧侶なので頭は剃髪ではなく、ひげも蓄えていました。イギリスに留学していたためでしょう、英語はかなり達者だったようですね。
 
 バードは、書院や御影堂を案内されたあと、さらに「秀吉の夏の館」、すなわち飛雲閣に通されます。ここで、さまざまな宗教談義が繰り広げられるのでした。


 赤松連城の宗教観

 飛雲閣の中で、バードは赤松連城の宗教観を聞きました。ここでは、ふたりの「輪廻転生」についての対話を引いてみましょう。

 赤松氏は輪廻転生について大いに語った。そして、これが信仰の根本をなすものだと信じて疑いませんと明言した。そこで私は、清浄なる人は臨終にあって涅槃に入っていくのですか、これは西洋人には理解できない<無>という概念の同義語にすぎないように私には思えるのですが、と言った。すると氏は、「清浄なる人などどこにいるのでしょうか」と答えた。そこで私が、邪悪なままに死ぬ人は浄化されるまでの間は知恩院の<掛物>[「地蔵本願経変相図」]に描かれているような種々の拷問を受けるのですか、と尋ねた。すると氏は、「そんなことはありません。そのような人の霊は輪廻転生し、動物となって生まれ変わるのです」と答えた。そこで私は、そんなことになれば清浄になる見込みは完全になくなるのではありませんか、すべての教えとそのよい影響の届かないところに行ってしまうことになるのですから、と言ってみた。すると、「そんなことはありません。仏陀は他の動物に姿をお変えになって、そのような者がわかるように教えをお伝えになりますから。知恩院の[「地蔵本願経変相図」の]地獄の拷問がすべての終わりだと考えるものがたとえ一部にいたとしても、だれが[そのようなことを]確認できますか。永遠の時は長いのです」という返事が返ってきた。
(中略)
人間は陰鬱な過去を「長く」歩んできたし、陰鬱な未来をも「長く」歩んでいく--「虚しい姿」をなす苦を繰り返しつつ霊魂寂滅という終着点に至るというようにして。釈迦牟尼とその弟子たちは二千年以上にわたってそのように教えてきたし、[赤松という]最も開明的な宗派の最も進んだ僧侶、キリスト教や東洋と西洋の哲学を学んだ僧侶にしてさえこのように教え、最高の願いは「存在せぬこと」だとするのである。(98-99ページ)


 イギリス人の書いた書物の翻訳で、このように仏教思想を聞くと、仏教的思考に馴染みの深い私たちも、少々違和感を持ってしまうような気がします。
 つづいてバードは、自らの関心から、日本の宗教の現状について質問しました。

 私は日本の宗教の現状に関する氏の見解について尋ねた。すると氏は、とても興味深い会話を重ねたあとで、次のように要約した--「神道は儒教および仏教との接触によって若干潤色されてはいるものの、間違いなく、最も素朴な形態の自然崇拝です。宗教としては活力に欠けますし、政治の原動力としての力も落ちつつあります。活気があったことは一度もありません。仏教はかつては力がありましたが、今は弱体化しています。復興するかどうかはわかりませんが、清浄・輪廻転生と[霊魂の]不滅というその[仏教の]根幹をなす真理はなくなるはずがありません」と。また、私が、迷信を信じることは多少あるにしろ、日本人は最も無宗教的な国民だと見なすほかないように思われます、と言うと、「今はたしかにそうです」と答え、次のように続けた--「儒学は遠い昔に上流階級の人々の間に急速に普及しましたし、教養があり道理をわきまえた人々は霊魂の不滅を否定しました。そしてあなたがたが言うところの唯物論者になっていき、彼らの不信心が<平民>の中にも徐々に伝わっていくことによって、迷信は今なおたくさん伝存するものの、真の信仰は今の日本にはほとんど存在しません」と。(99-100ページ)


 明治初期、すでに「真の信仰」がほとんど存在しないと捉えられていたのは驚きともいえます。日本の人々が「唯物論者」になっていったという話は、現代に生きる我々にも通じる問題として、考えさせられますね。
 一方で、「活力に欠け」ていた神道が、このあと政治的に大きな意味を帯びてくることも、驚嘆すべきことといえるかも知れません。

 赤松連城は、キリスト教の見通しについて問われ、同志社英学校の若い人たちの熱心さを評価し、「おおぜいの人々が<疲れ切っている>」農村では「平易」なキリスト教が普及するかもしれないが、都市ではそうならないだろう、という考えを述べています。
 これは新島襄の見解と同じで、さらに日本人のよくない点についても、新島同様「嘘をつくことと規律を守らないこと」と答えているのは、やはり驚愕すべきことでしょう。

 イザベラ・バードは、このあと、長谷寺など大和を訪れ、さらに雨中を押して東へ進み、伊勢参宮を果たしています。そのほか関西各所へそそぐ眼は興味深いものがあります。

 金坂清則氏の詳しい注も参考になる『完訳 日本奥地紀行』をお薦めします。

 なお、このブログでも、バードと同じ英国人が明治後期に日本に来た記録(ハーバート・G・ポンティング『英国人写真家の見た明治日本 この世の楽園・日本』講談社学術文庫)を紹介していますので、あわせてご覧ください。 ⇒ <イギリス人が見た100年前の京都>、および <七宝家・並河靖之を訪ねたイギリス人>




 書 名:『完訳 日本奥地紀行 4 東京―関西-伊勢 日本の国政』
 著 者:イザベラ・バード
 訳注者:金坂清則
 出版社:平凡社(東洋文庫833)
 刊行年:2013年


スポンサーサイト

コメント

非公開コメント