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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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明治初期、京都を訪れたイギリス人女性がいた - イザベラ・バード『日本奥地紀行』(1)

京都本




   日本奥地紀行


 稀有な女性旅行家、イザベラ・バード

 イザベラ・ルーシー・バード(1831-1904)。
 イギリス生まれのこの女性の名は、その著書『日本奥地紀行』とともに日本人の記憶に残っています。

 バードは、明治11年(1878)6月、来日し、東北や北海道という“人跡未踏”の地を巡り、その詳細な報告を『日本奥地紀行』に記しました。原題は、Unbeaten Tracks in Japan: An Account of Travels in the Interior, Inciuding Visits to the Yezo and the Shrines of Nikko and Ise といいます。「日本の未踏の地-蝦夷の先住民および日光東照宮・伊勢神宮訪問を含む内地旅行の報告」がその直訳です。

 このタイトルから想像されるように、バードは日本の北の地域を旅行した稀有なイギリス人女性として知られていました。
 ところが実は、その著書には京都についての興味深い記述も含まれていたのです。


 金坂 完訳版の刊行

 私もよく知らなかったのですが、『日本奥地紀行』には、1880年にジョン・マレー社(ロンドン)から刊行された2巻本と、1885年にパトナムズ・サン社(ニューヨーク)から発行された簡略本の2種類が当初のものとして存在していました。
 これまで、平凡社・東洋文庫で翻訳されていた高梨健吉氏の訳書はパトナム社の簡略本をもとに訳出していました。これに対し、同じ東洋文庫から金坂清則 京大名誉教授がマレー社の2巻本をもとにした翻訳を出版されていましたが、2013年3月、その訳業が完成し、『完訳 日本奥地紀行』全4冊の完結となりました。
 第4巻は、副題を「東京-関西-伊勢 日本の国政」とするように、京都についての記述を含んでいます。これは、京都の歴史に興味を持つ人たちの必読書となるでしょう。


 神戸を訪れたバード

 金坂氏は、イザベラ・バードの旅の目的のひとつに<日本におけるキリスト教の普及(の可能性)を視察しリポートすること>をあげておられます。このことは、関西の旅の部分を見れば明瞭に感じ取ることができます。

 明治11年(1878)10月、東京を発ったバードは、神戸に到着します。

 ここは「アメリカン・ボード」の援助によって伝道活動の本部になっている。どういうわけか神戸というと人は開港場というよりも伝道の中心というように思ってしまう。私がここに来たのも、一つには伝道事業の進み具合を見るためだった。(65ページ)

 アメリカン・ボードの総主事がまことに親切にもこの地の宣教師たちへの推薦状を書いてくださっていたおかげで、私は実に手厚いもてなしを受けている。昨日の夕方は「女学校」へ軽い食事に連れていってもらった。ここは二七人の日本の少女のための寄宿学校で、実に魅力的な敷地に建つその建物は神戸随一の美しさである。アメリカン・ボードの三人の女性が一人の日本人の手助けを得てこの学校を運営している。少女たちは日本的な生活をしているものの、西洋音楽を学んでおり、上達しようと懸命になっている。三人[の女性]は流暢に日本語を話し、学校外での伝道活動にも頑張っている。神戸だけでなく遠くの村々でも伝道し、女性のための集会を開いているのである。(69ページ)


 アメリカン・ボードは、外国へのキリスト教伝道団体で、会衆派などの牧師たちによって組織されました。この団体が支援した主な学校が、同志社と神戸女学院でしたが、バードの報告にみえる「女学校」が神戸女学院の前身なのでした。つまり、明治8年(1875)、神戸・諏訪山のふもとにできた神戸ホームという寄宿学校です。バードの原文には、Girls Home となっているそうです。この学校が、のち神戸英和学院と改称し、さらに神戸女学院になったのでした。

 バードは、聖書の授業を見学し、女性たちが新約聖書に関する考えを述べているのを見ました。生徒たちは好奇心と快活さにあふれていて、バードからみれば「『聖書』が話題になっているとはとうてい思えないほどに笑いが起こった」そうです。
 そして、例えば「神の御子」という言葉を聞いた女性が、「その神の奥さんの名前は何というのですか」と率直に質問したことを書き留めています。


 バード、新島襄・八重夫妻と会う

 日を隔てて、バードは京都にも赴きました。そこで訪れたのは「キョウト・カレッジ」、すなわち同志社英学校です。

同志社大学
  現在の同志社大学 礼拝堂(重文)

 バードは、同志社創始期に教育にあたったデイヴィスやラーネッドを紹介し、また熊本バンドとの関係にも言及しています。
 そして、学生は実に熱心に勉強しているが、身なりは「大変むさ苦しい」と述べています。

 10月29日の夕方、バードは新島襄の住まいを訪問しました。「和風のすてきな家」と記されたその住居は、現在も御所の東に残る新島旧邸です。
 明治11年(1878)9月初め、つまりバードが訪れる1か月前に完成したばかりの新築でした。3方にベランダを回したコロニアルスタイルの2階屋でしたが、京都の大工の仕事になるということもあり、また襖や箱階段もあったりして、イギリス人の目から見ると、やはり「和風」の家と映ったのでしょう。

新島襄旧邸
  新島旧邸(京都市指定文化財)

 軽食はテーブルに用意されており、私たちは椅子に座った。テーブルの上にまことに美しくみごとな磁器がある点を除くと、外国の家庭で出される食事や茶と何ら変わらなかった。磁器には古薩摩もあったが、英国だったら戸棚にしまい込んでおく宝物のような立派なものだった。新島氏は<士族>[の出身]である。氏はアメリカで叙階された牧師で、このキョウト・カレッジ[同志社英学校]では窮理学[自然哲学]ほかを教えている。洋服を着ており、外国暮らしが長かったので着こなしが板についている。妻[八重]は女学校[同志社女学校]で裁縫を教えており、和服を着ている。氏の書斎は英国の学者のものとそっくりで、壁[の書架]はいくつもの分野を代表する英国版やアメリカ版の書物で埋まっている。(85-86ページ)

 氏は何よりも紳士的であり、その物腰には落ち着きと寛ぎと礼儀正しさがある。また温情にあふれた開明的キリスト教徒であると同時に、国を思う気持ちの非常に強い日本人でもある。そして国民の間に誠意が欠落し道徳が全般に堕落していることを憂えている。キリスト教の見通しに関しては一緒に活動しているアメリカ人[宣教師]たちほどには楽観視してはいない。都市部では広まっていく可能性が大変低く、農村部では学生への説教によってよい結果がもたらされるのではとの希望をもっている。私が氏にあなたの国の人々の最もよくない点は何ですかと尋ねたのに対しては、間髪入れず、「嘘をつくことと規律を守らないことです」と言い切った。好奇心をそそられる答えだった。キリスト教徒でない二人の政府高官に尋ねた時とまったく同じ答えだったからである。(87-88ページ)


 新島襄胸像
  新島襄胸像(同志社大学 ハリス理化学館にて)

 同志社の創設者・新島襄の印象です。
 「開明的キリスト教徒であると同時に、国を思う気持ちの非常に強い日本人でもある」という部分は、新島の素顔をよく捉えていると思います。
 最後の部分、日本人のよくないところは「嘘をつくことと規律を守らないこと」というところ。そののち、規律正しさを身につけていく国民の、そこに至る以前の姿が垣間見られるようで興味深く思います。

 京都を代表するキリスト者のひとりに会ったイザベラ・バードは、つづいて仏教徒と宗教観について意見を交わすことになります。それは、また次回。




 書 名:『完訳 日本奥地紀行 4 東京―関西-伊勢 日本の国政』
 著 者:イザベラ・バード
 訳注者:金坂清則
 出版社:平凡社(東洋文庫833)
 刊行年:2013年



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