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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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東本願寺を火災から守る「本願寺水道」は、明治30年に通水した





東本願寺


 火災に悩まされる寺院

 古くから、寺院は落雷や大火で堂宇を失うことがしばしばありました。
 京都も歴史的には大火が多く、「方丈記」にも描かれた安元の大火、応仁の乱による焼亡、天文法華の乱、そして江戸中期の天明の大火、さらには幕末の禁門の変の「どんどん焼け」など、その度ごとに多くの寺院が焼かれました。

 西本願寺に行くと、立派なイチョウがありますが、俗に「水ふき銀杏」と呼ばれています。

西本願寺
  西本願寺「水ふき銀杏」
 
 『新撰京都名勝誌』には、「枝条繁鬱、四方に蟠延す、本寺回禄[火災]の厄あれば、此の樹、水気を噴飛して之を消すと称し、俗に水ふきの銀杏樹といふ」と記されています。
 火事になったら水を吹き出すとは、ちょっとした魔法のようですが、それだけ火災が深刻な事態だったことを物語っています。


 東本願寺の防火システムとは?

 一方、烏丸通に面した東本願寺は、江戸時代、4度にわたり火災に遭いました。

 ・天明8年(1788)
 ・文政6年(1823)
 ・安政5年(1858)
 ・元治元年(1864)

 江戸中期以降、頻繁に焼け、その度に再建されてきました。

 元治元年の大火(どんどん焼け)後の再建は、明治時代に入ってから着手され、御影堂と阿弥陀堂は明治13年(1880)にちょうな始め式が行われ、明治28年(1895)に竣工しました。その後も明治末頃までかけて、諸門や書院などの工事が続けられています。

 明治の再建の際、過去に学び、防火システムの導入が行われました。
 まず、明治15年(1882)に、防火用水を確保するために、京都御所から余水を引く工事が実施されました。東洞院通、烏丸通を通って東本願寺に至るルートでした。

 それに続き、より大規模な防火用水が計画されました。それは、琵琶湖疏水から引水するというプランです。

琵琶湖疏水
  琵琶湖疏水(九条山)

 南禅寺に程近い蹴上(けあげ)から取水し、三条通から、八坂神社、建仁寺、五条大橋などを経由して、渉成園(枳殻邸)を経て東本願寺に導くルートでした。この用水を「本願寺水道」と呼んでいます。

 ちなみに、京都御所へも蹴上から防火用水を引いています。これは「御所水道」と呼ばれ、明治45年(1912)の完成。上の写真に写っている煉瓦造の建物がポンプ室です(片山東熊設計)。
 

琵琶湖疏水
  蹴上の取水ポイント

 本願寺水道の設計は、琵琶湖疏水を実現した工学博士・田辺朔郎です。

 田辺朔郎像
  田辺朔郎銅像(蹴上)
 
 完成は、明治30年(1897)8月3日。
 蹴上から東本願寺まで、約4.6km。鴨川は、五条大橋に鉄管を抱き込ませて越えています。
 フランス製の鋳鉄管を用い、14万4303円の経費をかけて配管しました。14万円というと、現在でいうと数十億円にあたるでしょう。琵琶湖の水面と東本願寺の高低差は約48mあるそうで、この落差を利用して配水する仕組みです。
 このような方法(自然流下)は、当時は一般的でした。明治28年(1895)に通水した大阪市の上水道も、市内で最も高い大阪城本丸に配水池を設け、そこから市内へ水を落としていました。


  水圧で噴き出す水しぶき

 東本願寺に導水された水は、境内北の噴水池に溜められ、そこから御影堂、阿弥陀堂など各所に配水されました。
 水は、高い水圧によって噴出します。地面から噴き出すだけでなく、お堂の軒下からも雨のように水がそそぐ仕組みです(現在のドレンチャー)。噴出力は、当時のある文献には130尺(約40m)とあります(『新撰京都名勝誌』)。
 
 大正11年(1922)に刊行された鉄道省『お寺まゐり』には、このシステムが特記されています。

 「東本願寺は開創以来屡々[しばしば]火災に罹つたので、新堂再建と同時に火防の設備をした。即ち琵琶湖の疏水を、洛東三条蹴上げから引き、境内至る処に鉄管を敷設し、百五十有余の防火栓を備付け、本堂[阿弥陀堂]、大師堂[御影堂]、大門[御影堂門]等の搏風[破風]、屋根の四周に通じさせてゐる。故に若し一朝変があつた時全弁を開けば、迸水滾々として噴出し、巍然たる大伽藍も悉く龍吐の包む所となる」

 なんとも時代がかった表現ですが、的確にシステムを説明しています。防火栓が約150カ所もあったとは驚きです。

 今も山内を見回すと、

東本願寺

 こういう鉄の蓋があって、

 東本願寺

 たぶん、これが防火栓なのだと思います。

 昔の写真にも、

『京都名勝誌』より大谷派本願寺 『京都名勝誌』

 下端にある四角いものですね。

 ちなみに、現在は老朽化のため使われておらず(1979年に停止)、新しい放水銃が備えられています。

 東本願寺
  現代の放水銃
 

 憩いの水にも

 昭和54年(1979)に役割を終えた後も、周囲の堀の水や、御影堂門の前の蓮噴水には、この水が使われていたそうです。

東本願寺

東本願寺

東本願寺

 蓮噴水は、大正7年(1918)の完成で、建築家の武田五一が設計したものです。
 残念なことに、これらへの水の利用も、現在では中止されているそうです。

 最後に、今回見付けたおもしろいもの。

東本願寺

 阿弥陀堂門の南脇にあります。

 東本願寺

 「消防車車庫」

 扉の幅は、150cmくらいで、とてもクルマが通れるとは思えないのですが。昔のことだから、竜吐水でも入れていたのかな。
 防火意識の高さに感心しきりでした。


  西本願寺



 
 東本願寺

 所在 京都市下京区烏丸七条上る
 拝観 境内自由
 交通 JR京都駅下車、徒歩約5分



 『御影堂御修復のあゆみ』真宗大谷派宗務所、2012年
 『両堂再建』真宗大谷派宗務所出版部、1997年
 『お寺まゐり』博文館、1922年
 『新撰京都名勝誌』京都市役所、1915年
 『京都名勝誌』京都市役所、1928年


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