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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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村松貞次郎ほか『近代和風建築』

京都本




  『近代和風建築』


 木造建築全盛の時代は?

 明治大正の京都府技師・亀岡末吉に注目するシリーズを3回目つづけてきました。
 彼の建築は一言でいえば「近代和風建築」。一般には聞き慣れないこの言葉を知ったのは、おそらく村松貞次郎・近江榮編『近代和風建築』だったのではないでしょうか。

 1988年に出版された『近代和風建築』は、東京、神奈川などの明治から昭和初期にかけての和風建築125件を調査、紹介した書物でした。
 そのまえがきに、村松貞次郎先生は次のように書いておられます。


「日本の伝統的木造建築の黄金時代は、いつのころだと思うか?」と建築史の講義に先立って学生たちに質問すると、さまざまな答えが返ってくる。
「薬師寺の東塔は凍れる音楽とまで言われる。白鳳時代かな」
「いや重源の東大寺再建、あの大仏様の設計思想はすばらしい。バイタリティーに溢れた鎌倉初期だ」
「なんてったって桂離宮。江戸のごく初期かな」
「時代的には重なるが、日光東照宮を採りたいね。桂を神格化していた近代主義時代には俗悪のお手本みたいに言われたが、いまはポスト・モダンの時代。こちらの方が株は上がてるよ」
 と、そうぞうしいことになってしまうが、こと和風の木造となると明治とか大正といった返事は一つもない。まったく問題外といった感じである。考えても見ないというのが本音のようだ。
「ところが、私は明治の半ばごろから昭和へかけてのころかな。もう少し限定すると明治12年に造営の儀が仰出された明治皇居の造営から、大正9年に鎮座祭が行われた明治神宮造営のころ。その余映が日中戦争に始まる戦時体制によってかき消された直前までも含めると、明治の半ばから昭和初年代までかな」と言うと、ビックリした顔付きで息をのむ。そして、まさか、という雰囲気が教室を支配する。先生、またからかってる。悪いクセだと言わんばかりだ。(『近代和風建築』6ページ)


 今でこそ「近代和風建築」という言葉が(少なくとも建築史の世界では)普及し、全国的に調査も行われていますが、25年ほど前はこんな状況だったわけです。

 同書ではすでに、近代和風が古社寺保存法(明治30年=1897)に代表される伝統建築への理解の進捗に影響を受けて発展し、寺社に限らず駅舎、劇場、銭湯など広範な建物に和風意匠が取り入れられたこと、明治から昭和に至るにつれて和風を強調する傾向が強まること、銘木を使ったり細工に凝るなど豪華さを演出することなど、その特徴を指摘しています。
 ただ、そこで取り上げられた建物は関東のものばかりだったので、関西に住む私たちは、少しピンとこないところがあったのでした。

 今でも一般の方々のあいだには「近代和風建築」という概念が浸透しているとは言えません。今回取り上げた近代和風建築も、“古い建物だから中世のものだろう”などと思われているのかも知れないのです。
 ところが、それも歴とした近代和風建築なのでした。

 木造建築=古い、という観点を外して見ると、いろいろな発見があるかも知れませんね。




 【参考文献】
 村松貞次郎・近江榮『近代和風建築』鹿島出版会、1988年



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