FC2ブログ
09 | 2019/10 | 11
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
MENU

NEW ARRIVAL

PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

東福寺の恩賜門は、繊細な彫刻に満ちている

洛東




東福寺恩賜門


 明治14年の火災と再建事業

 明治14年(1881)12月、東福寺は火災に遭います。出火元の方丈はもちろん、仏殿、法堂、庫裡などが被災します。

東福寺焼失範囲
 明治14年の焼失範囲(イメージ) (原図は「都名所図会」)

 当時、東福寺では、山門(現存)の北に仏殿と法堂が並んでいました。ところが、この両堂を焼失してしまいます。その東北(図・左斜め上)にあった方丈と庫裏も焼けました。図で分かるように、お寺の中心部分を失ってしまったのです。

 再建事業は、こののち昭和9年(1934)の本堂(仏殿と法堂を兼ねる)落慶まで、半世紀余りを要することになりました。
 最初に竣工したのは方丈で明治23年(1890)のことでした。明治42年(1909)には方丈の南の門である恩賜門が、翌43年(1910)には庫裏が再建されます。

東福寺方丈
 方丈

東福寺方丈
 方丈の庭(重森三玲の作庭)

東福寺庫裏
 庫裏


 恩賜門の造営

 焼失の翌年、英照皇太后、昭憲皇后から、東福寺に堂宇再興のための賜金がありました。今回取り上げる方丈の門が「恩賜門」と呼ばれるのは、そのためです。
 ちなみに、『明治天皇紀』第5、明治15年(1882)4月17日条には、次のように記されています。

「京都東福寺堂宇再興の趣を聞召され、皇太后・皇后金五百円を賜ひ、其の資に充てしめたまふ、(中略)客年[昨年]十二月祝融の災に罹り、伽藍諸宇悉く焼失せるを以て此の賜あり」

 当時の500円というと、現在の貨幣価値だと数千万円くらいになるでしょうか。

東福寺恩賜門

 後ろに見える大きな屋根が方丈です。

 東福寺境内図
 昭和初期の東福寺境内図(『お寺まゐり』)
 赤印が恩賜門

 上図の赤い部分が恩賜門ですが、方丈の左にも別の唐門が造られています(明治24年竣工)。
 また、現在の拝観ルートは、右手の庫裏経由になっています。

東福寺恩賜門

 一般に方丈の建物は前面に広縁があり、その前に庭が設けられています。庭を挟んだ正面には、唐門が置かれることが多いのですが、この門は日常の出入りには用いられません。

 恩賜門は、明治42年(1909)に竣工しました。檜皮葺の向唐門で、少し背の高い印象があります。
 設計は、京都府技師・亀岡末吉です。

 亀岡については、前回取り上げましたので、こちらをご覧ください。 ⇒ <亀岡末吉の独自世界は、正法寺「遍照塔」からスタートした>


 「亀岡式」の華麗な装飾

東福寺恩賜門

 唐破風の下には、華やかな装飾の世界が広がっており、亀岡末吉の面目躍如で、兎毛通、大瓶束、蟇股など見所満載です(以下の写真は、おおむね南側から撮影していますが、必要に応じて北側からも撮影しています)。

東福寺恩賜門

 こちらは、大瓶束の右側の部分。門扉に大きく菊文がありますが、それに従って、この門には随所に菊の意匠が取り入れられています。こちらは、比較的写実的な趣きのある菊花と菊枝でしょう。

東福寺恩賜門
 (北側)

 クローズアップ。花びらや葉が動的に表現された見事な彫刻です。
 隙間なく空間を埋め尽くす手法は、桃山、江戸以来の常套手段とも言えますが、龍や獅子などでなく、植物文を用いるところに、この門の品性を感じさせます。

東福寺恩賜門

 その下にある虹梁の端部。渦巻文と若葉文を合わせたような複雑な絵様になっています。

東福寺恩賜門

 蟇股。こちらも菊唐草。端正な左右対称の図柄です。蟇股の上には花肘木が乗っており、その左右の端は若葉状となり、付け根は猪目? のような意匠を取っています。

東福寺恩賜門
 (中央)

東福寺恩賜門
 (右側)

 蟇股の下、頭貫と飛貫の間の透かし彫りです。藤でしょうか。花の部分や、唐草のように巻いたところが、とてもエレガンスです。そして、光を透かすと、この上もなく……

東福寺恩賜門
 (北側)

 よく見ると、左右対称ではないのですね。その意味は分かりませんが、芸が細かいです。

東福寺恩賜門

 柱上部の木鼻も掲げておきます。こちらも江戸時代のように象鼻や獏鼻にせず、渦巻、若葉の系統で洒落た仕上げ方でしょう。



 扉も、細かい意匠が満載!

東福寺恩賜門

 扉です。上下には、亀岡らしい透かし彫りがあります。
 そして、大きな菊文。ベースの部分は、吹寄せ菱格子に花菱をあしらったデザインです。

東福寺恩賜門

 これも亀岡的な雰囲気を示していますね。

 東福寺恩賜門

 この彫刻が、ちょっと超絶的。

 東福寺恩賜門

 これも菊ですが、結構彫りが深く、リアルそうでリアルでなくて……
 彫刻師も大変だったろうと、妙な感想も湧いてきます。

東福寺恩賜門

 扉下部の格狭間(こうざま)。とても扁平です。

 というように、上から下へと見てきました。

 これでもか、というように彫刻が施されています。
 江戸時代の建物も彫刻過多ですけれど、「亀岡式」はそれとは違っていますね。デザイン的には洗練されているし、左右対称の幾何学的な意匠です。また、切り紙のような透かし彫りは、光の効果を意識しています。
 亀岡末吉には門に秀作が多いのですが、余りに過剰なので、続きは次回にしましょう。




 東福寺 恩賜門

 所在 京都市東山区本町
 拝観 境内自由 方丈の拝観は大人400円ほか
 交通 JR・京阪電車東福寺駅下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 「都名所図会」1780年
 『お寺まゐり』鉄道省、1932年
 『京都府の近代和風建築』京都府教育委員会、2009年
 『明治天皇紀』第5、吉川弘文館、1971年


スポンサーサイト



コメント

非公開コメント