FC2ブログ
09 | 2019/10 | 11
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
MENU

NEW ARRIVAL

PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

亀岡末吉の独自世界は、正法寺「遍照塔」からスタートした

洛西




正法寺遍照塔


 神楽岡の亀岡末吉邸

 京都大学の東方、左京区の神楽岡は吉田山とも呼ばれ、近代になっても東麓には田畑が広がり、大文字山が望める風光明媚な土地でした。
 神楽岡の中腹を南北に走る神楽岡通が少し狭くなるところに、一軒の落ち着いた邸宅があります。

旧亀岡末吉邸(世界救済教黎明教会)

 この邸が、京都府技師・亀岡末吉(1865-1922)が設計した自邸でした。
 現在は、世界救済教黎明教会となっています(内部は非公開)。

 この自邸は、大正2年(1913)に新築されたもので、「絵巻物に見るような凝った建物」と言われ、巷間「吉田御殿」とも呼ばれたといいます。当時、あたりに民家は少なく、さびしい場所に建てられた“御殿”だったのでしょう。

 廣岡幸義氏の研究によると、東を向いた玄関を入ると四畳半1間があり、その先に中廊下が伸び、廊下の右手(北側)には書院を持つ六畳間や八畳間、十畳間が続いていました。北には縁が廻らされており、庭が広がっていました。室内には、修学院離宮や西本願寺などと同様の意匠が取り入れられ、亀岡の研究成果の一端を示しているようです。
 また川島智生氏の著書に掲載された欄間の写真を見ると、吹寄せ格子に二連の花菱文を組み合わせたもので、亀岡が手掛けた寺社建築に見られる好みをよく表しています。

 上の写真にある門も、修学院離宮などに見られる数寄屋風の門になっています。屋根は杮葺きとし、左右に木賊塀(とくさべい)という竹の塀を立てています。手の込んだもので、竹は1列ずつに上下を逆にして並べていきます。

 旧亀岡末吉邸(世界救済教黎明教会)
 旧亀岡邸の木賊塀

 細部の意匠にも気を使ったこの自邸には、亀岡末吉の研究成果が発揮されています。


 亀岡末吉の履歴

 亀岡末吉は、慶応元年(1865)に前橋藩士の子弟として生まれ、明治維新後は洋画を学び始めます。東京美術学校の絵画科に進んで日本画を習得し、明治27年(1894)に卒業しました。
 その後、内務省の古社寺調査に携わり、明治34年(1901)からは寺社の修理に従事しました。明治40年(1907)、京都府技師に着任し、平等院鳳凰堂の修理などを手掛けます。
 絵心があり、寺社建築の細部に通じているという経歴が、彼の建築設計にも生きてくるのです。

 亀岡は、明治40年に京都府に赴任後、寺社の設計も行い始めます。再び廣岡氏の研究などを参照に、彼の設計した建築や主な増築部のうち、京都に現存するものを列挙してみましょう。

明治41年(1908)
*忠魂堂(現・正法寺遍照塔、2008年移築)
明治42年(1909)
*東福寺 方丈 恩賜門
明治44年(1911)
*東本願寺 黒書院・白書院・菊の門ほか
明治44年~大正3年(1911-1914)
*仁和寺 霊明殿・宸殿・勅使門ほか
大正2年(1913)
*亀岡末吉邸(現・世界救世教黎明教会)
大正2年(1913)
*武徳殿 車寄・玉座【増築】
明治末~大正初期
*今宮神社 疫神社 幣殿・透塀

 自邸以外は、寺社建築です。東福寺、東本願寺、仁和寺、今宮神社など、幕末から明治時代に火災にあった寺社の再建に携わっていることがうかがえます。


 最初の設計「忠魂堂」

 亀岡末吉の最初の設計は、明治41年(1908)、京都・東山の高台寺の南に建立された忠魂堂でした。「忠魂」という語からも分かるように、日清・日露戦争の戦没者慰霊のために建てられたものです。

 2008年に、高台寺の境内整備によって、西京区の正法寺に移築されました。
 正法寺は、阪急・東向日駅からバスで約20分。大原野神社の向かいにあります。

正法寺

 境内に入って、少し進むと右側の駐車場内に忽然と立っています。

 正法寺遍照塔

 正法寺遍照塔
 正法寺遍照塔

 基壇上に建つ六角二重の建物。
 現在は地下室が造られ、仏さまが祀られています。

 正法寺遍照塔

 もとは、初層(下層)は柱だけが立つ吹き放しとなっていたのですが、現在はガラスがはめられています。御簾が吊るされているので内部はうかがえませんが、六角形の須弥壇があり厨子が安置されています。
 また、名称も「遍照塔」と変わりました。

DSC_0746_convert_20130320172300.jpg

 屋根の見上げです。

正法寺遍照塔

正法寺遍照塔

 垂木などの小口には、美しい金物が取り付けられています。花菱文の四隅に猪目をうがつ意匠で、亀岡らしいデザインです。

正法寺遍照塔

 上層の高欄まわりにも花菱文の金具が連続的に打たれており、たいへんにぎやかな印象を与えます。

正法寺遍照塔

 初層の蟇股。院政期から室町時代にかけての意匠を取り入れています。

正法寺遍照塔

 
 全体に、柱、組物、高欄など、古代建築の様式を学んで、それを具体化しています。清水一徳氏は、これを「復古主義仏堂建築」のひとつとして捉えています。

 のちに、「亀岡式」と呼ばれる独自のスタイルを築いていく亀岡末吉ですが、そのスタートは古典に学んだ復古的な建築でした。

 それでも屋根上の飾りは目を引きます。

 正法寺遍照塔

 露盤の上に宝相華(ほうそうげ)を重ねていき、その上に御光を付け、頂部には猛禽らしき鳥がとまっています。明治時代の二つの戦争を慰霊する塔であれば、これもトビ(金鵄)かと解釈するのも許されるかも知れません。

 亀岡末吉としては、まだまだ控えめと評される忠魂堂。このあと、さらに独自の世界を切り開いていきます。


 正法寺遍照塔




 正法寺 遍照塔(旧忠魂堂)

 所在 京都市西京区大原野南春日町
 拝観 境内自由
 交通 阪急電車東向日駅からバス、南春日町下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 廣岡幸義ほか「『亀岡式』の作品について 亀岡式作品研究その1」日本建築学会近畿支部研究報告集、2004年
 廣岡幸義「旧亀岡末吉邸について 亀岡式作品研究その4」日本建築学会大会学術講演梗概集(近畿)、2005年
 『京都府の近代和風建築』京都府教育委員会、2009年
 川島智生『近代奈良の建築家 岩崎平太郎の仕事』淡交社、2011年 
 清水一徳『京の近代仏堂 2.復古主義』京都市文化観光資源保護財団ウェブサイト



スポンサーサイト



コメント

非公開コメント