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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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“大瓶束”といっても、なじみがないけれど……

建築




東福寺東司


 梁を下から支える「大瓶束」

 今回は、お寺の建物に見られる「大瓶束」を特集します!

 といっても、ほとんどなじみがない大瓶束。「たいへいづか」と読みます。

 建物の構造をみると、柱と柱の間には水平に梁がかかっており、その梁は少しカーブを描いて虹のような形をしているので虹梁(こうりょう)と呼ばれます。
 虹梁が上下に2つある場合(二重虹梁)、下の虹梁に立って上の虹梁を支える短い円柱(=束)が大瓶束です。
 また、虹梁に立って、その上の棟木を支えるのも大瓶束の役目です。

清水寺繋廊
 清水寺繋廊の大瓶束。轟門と本堂をつなぐ渡り廊下にある

 下の虹梁を噛んでいるような2つの円柱と、上の虹梁を噛んで棟木を支えている1つの円柱、これらが大瓶束です。

 こちらは、妙心寺の庫裏(くり)。承応2年(1653)の建築です。

妙心寺庫裡
 妙心寺庫裏(重文)

 ふつう庫裏は背が高いので、妻の壁には、横方向に桁や貫、縦方向に束などが露出しています。最上部に二重虹梁が見えています。

妙心寺庫裡

 先ほどの清水寺と同様、ここでも2つの虹梁を大瓶束が支え、その上にさらに1つの大瓶束が棟木を支えています。


 室町時代の大瓶束-時代によって意匠も変わる-

 大瓶束は、中世に大陸からもたらされた禅宗様や大仏様で用いられたパーツです。
 建築における他の部位と同じく、大瓶束も時代によってデザインが変わっていきます。

 こちらは、延文3年(1357)に建てられた普済寺仏殿。
 このお堂については、こちらに書きましたので、ご覧ください。 ⇒ <禅宗様の瀟洒な仏殿>

普済寺仏殿
 普済寺仏殿(重文、南丹市)

 典型的な方三間の禅宗様仏殿です。
 妻側に回ると大瓶束が見えます。

普済寺仏殿
 普済寺仏殿(重文)

 非常にシンプルな形です。大瓶束が虹梁を噛んでいる部分を「結綿(ゆいわた)」と呼びますが、その部分も刳っただけで装飾はありません。
 室町時代の姿を示す一例です。

 同じく室町時代前期の建築とされる東福寺の東司を見てみましょう。東司(とうす)とは便所のことです。

東福寺東司
 東福寺東司(重文)

 こちらも普済寺同様に、飾り気のない姿になっています。
 上部に丸い斗(ます)を付けて、上の虹梁を受けています。


 桃山時代から江戸時代へ

 東寺南大門
 東寺南大門(重文)

 東寺(教王護国寺)の南大門です。慶長6年(1601)のものです。この門は、もともとは三十三間堂の西門だったのですが、明治時代になって東寺に移築されました。
 桃山時代を代表する巨大な門のひとつです。
 大瓶束には少し彫刻が施され、下端部が左右に跳ね上がりをみせています。

妙心寺勅使門
 妙心寺勅使門(重文)

 花園の妙心寺勅使門。
 こちらも、下端に彫りがあって、あたかも蔐懸魚(かぶらげぎょ)のようになっています。

南禅寺勅使門
【参考】南禅寺勅使門(重文、1613年)の蔐懸魚
 
 【参考】の懸魚であげた南禅寺勅使門(寛永18年=1613)にも、当然、大瓶束は用いられています。

南禅寺勅使門
 南禅寺勅使門(重文)

 こんな感じで、やはり蔐懸魚ふうです。

 妙心寺のものも、南禅寺のものも、大瓶束の左右に蟇股(かえるまた)のような大きなヒレが付いています。これを笈形(おいがた)といいます。
 妙心寺のものは板蟇股を二つに割ったような形状です。一方、南禅寺のものは植物文様の彫刻になっており、手が込んでいます。桃山時代以後になると、このような笈形のついた大瓶束が多くなり、デザイン色を強めていきます。

 同じく南禅寺三門にある大瓶束。三門の昇り口である山廊に付いているものです。

 南禅寺三門
 南禅寺三門(重文、1628年)

 結綿の輪郭はほぼ同様ですが、より細かな彫りがなされていますね。
 上端や下端が、一般の柱と同様に「粽(ちまき)」といって細まっています。


 幕末の大瓶束

 文化元年(1804)築の行願寺(革堂)鐘楼の大瓶束です。

革堂鐘楼
 行願寺鐘楼

 随分と平面的になり、ぺったりとしたイメージです。笈形も含め、デザインはとても図式的になっています。

京都御所宜秋門
 京都御所宜秋門

 幕末、安政2年(1855)造営の御所の宜秋門です。一般公開の際、入口となる門。
 唐獅子牡丹ですね。左右の笈形には1匹ずつ獅子がおり、玉眼が付けられています。このぐらいになると、どの建物にも玉眼付きの獅子が好んで用いられます。

 大瓶束は、もともとは「瓶(かめ)」に似た形の束で、上からの力を支える部材として登場したのですけれど、時代がくだるにつれて、装飾の見せ場になっていきます。これは、蟇股などと同じ歩みをたどっているといえます。
 一般の方には名前も知られていない大瓶束ですが、愛着をもって眺めていくと、いろんなデザインがあって愉しめます。




 【参考文献】
 天沼俊一『日本建築細部変遷小図録』星野書店、1944年
 川勝政太郎『古建築入門講話』河原書店、1966年
 


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