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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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寺社の屋根を飾る“懸魚”は、種類もデザインも豊富で見飽きない

建築




蓮華王院本堂(三十三間堂)懸魚


 京都の寺社の「懸魚特集」

 寺社を訪ねて、屋根の妻の△の頂点(破風の拝みの部分)を見ると、彫刻を施した板が取り付けられています。これが「懸魚(げぎょ)」です。
 本来は、棟木や桁(けた)の小口を風雨から守るためのガード板ですが、装飾的な意味合いを帯びてきて、さまざまなデザインがこらされるようになりました。

 ところが、近年の建築史の本を見ると、懸魚は構造に関係ないせいか、あまり説明されていません。「見方」本でも3、4種類あることが図示されているくらいです。
 けれども、ひとつひとつの懸魚を眺めてみると、実に個性的で、同じものは2つとありません。玄人的に見れば、デザインの優れているものと稚拙なものとがあるのでしょうが、私たちは暖かく見守っていきたいと思います。

 今回は、京都の寺社の懸魚特集です。


 古い懸魚は鎌倉時代

 敬愛する天沼俊一博士(1876-1947)は、戦前の建築史学の泰斗で、特に細部様式にうるさい先生でした。時に、細かすぎると言われるわけですが、写真が貴重な時代、多くの寺社建築の細部写真を撮影し、書物にまとめました。代表作は『日本建築史図録』全6巻ですが、私はコンパクトな『日本建築細部変遷小図録』を愛用しています。
 天沼博士は、細部の意匠に着目し、それを「編年」したわけです。編年とは、時代順に並べ直すことで、考古学で土器などを年代順に並べることでお馴染みです。
 建物も、細かい部分を観察することで古い新しいが分かる、というわけですね。

 それでは、懸魚(げぎょ)です。

東寺慶賀門懸魚
 東寺慶賀門(重文)

 現在残されている最も古い懸魚は、鎌倉時代のものです。
 懸魚は、小さな板ですから風食で朽ち果てることが多く、古いものが残りにくいのです。
 最も古い懸魚のひとつがこれです。東寺(教王護国寺)慶賀門の懸魚で、鎌倉前期のものです。

 他に類を見ないような縦長の変わった形です。本当の魚のような形をしていて、「懸魚」(魚をかける)という語が出来たのもうなずけます。
 板のセンターにヒョウタン形の穴が開いていますが、これは猪目(いのめ)と言います。通常、猪目はハート形ですが、ここはハートをダブルに重ねたもの=「ひょうたん猪目」で、しばしば見掛けます。
 天沼博士は「一見非常に変つてゐる様であるが、実は普通の懸魚の真ん中がとれたと見られるもので、これを『異形』としておくが、猪目の中に入れておいて差支のないもの」と評しています。
 朝鮮半島などで例がある大陸的な懸魚といえるでしょう。

 東寺の懸魚については、以前書きましたので、ご覧ください。 ⇒ <東寺の門は、懸魚が比類ない>

 同じく猪目懸魚をご紹介しましょう。三十三間堂(蓮華王院本堂)の懸魚です。
 
蓮華王院本堂(三十三間堂)懸魚
 蓮華王院本堂[三十三間堂](重文)

 典型的な猪目(いのめ)懸魚。ハート形の穴が開いています。中央上部の穴は、ひょうたん猪目です。

 現在の三十三間堂は、後白河上皇が建てたものが火災で焼け(建長元年=1249)、鎌倉時代の文永3年(1266)に建て直されたものです。 
 細部のプロ・天沼博士は、しかし、この懸魚を鎌倉時代のものとは判断しませんでした。三十三間堂は、文永年間に建築された後、室町時代(永享年間)、江戸前期(慶安年間)などに修理されています。博士の判断では、これは室町時代、つまり永享5年(1433)から行われた修理の際の作だという見立てです。永享の修理は大修理で、瓦だけでも8万枚も取り換えたのですから、腐食した懸魚を取り換えることもあったでしょう。


 桃山時代には種類も豊富に

 室町時代以降は、猪目懸魚以外のタイプも登場します。

南禅寺勅使門懸魚
 南禅寺勅使門(重文)

 これは桃山時代の建築、南禅寺の勅使門の懸魚です。「かぶら懸魚」というタイプ。カブラは「蔐」「鏑」「蕪」など、いろいろな字を当てます。野菜のカブラではなくて、鏑矢(かぶらや)の先についている音を鳴らす部品の形に似ているため、この名があります。
 下の方に「人」形の線が刻まれているのが特徴です。

 南禅寺勅使門は、御所から移築されたもので、もとは慶長18年(1613)に造られたもの。
 
 この門についても、以前書きましたので、ご参照ください。 ⇒ <御所の日御門を移築した南禅寺勅使門は、蟇股の細工が見どころ>

 この懸魚、上に六葉(ろくよう)という六角形の飾りが付いているほか、左右に「鰭(ひれ)」が伸びています。桃山くらいになりますと、このヒレがブームですね。このヒレは、よく見ると牡丹文のようで、ここらも桃山らしいセンスを発揮しています。

 この門と同じく、慶長18年(1613)の御所造営で作られ、のちに移築された門が大徳寺勅使門です。

大徳寺勅使門懸魚
 大徳寺勅使門(重文)

 こちらは「三花(みつはな)懸魚」です。かぶら懸魚などを3つ組み合わせたものです。
 御所の門だっただけに、懸魚の中央に菊文が彫られています。左右のヒレは、先ほど同様、細かい彫刻です。

 ちなみに、こちらも慶長の御所の建物でした。

仁和寺金堂懸魚
 仁和寺金堂(国宝)

 これは猪目懸魚ですが、輪郭がくっきりと縁取られており、新しさを感じさせます。

 「猪目懸魚」「かぶら(蔐)懸魚」「三花懸魚」が、いわば“三大懸魚”で、最もよく見掛けるものです。

伏見稲荷大社御茶屋懸魚
 伏見稲荷大社御茶屋(重文)【かぶら懸魚・桃山時代】

 これ以外には「梅鉢懸魚」なども見ることがあります。

南禅寺中門懸魚
 南禅寺中門

 南禅寺勅使門の脇にある中門の梅鉢懸魚。これも桃山時代のようです。五角形をしており、梅花をかたどった梅鉢(紋)に似ているので、この名があるのでしょう。

 桃山時代は装飾が華美になりますが、伏見城の大手門を移築したといわれる御香宮神社の表門です。

御香宮神社表門懸魚
 御香宮神社表門(重文)

 ごくふつうのかぶら懸魚ですが、その上に牡丹でしょうか、立体的な花が飛び出しています。なかなかのセンスですね。


 江戸時代以降の懸魚は変化する

 江戸時代になると、細部を少しずつ変えたものが現れます。

建仁寺法堂懸魚
 建仁寺法堂

 明和2年(1765)に建てられた建仁寺法堂です。三花懸魚ですが、カブラのひとつひとつがかなり変形しています。左右のヒレ(波形?)も、薄い感じがする透かし彫りです。明らかに、江戸以前にはなさそうなデザインです。

 さらにくだって、明治時代のものを1つ。

因幡堂(平等寺)本堂懸魚
 因幡堂(平等寺)本堂

 因幡堂で通っている平等寺の本堂です。明治19年(1886)に改築されたものです。
 これも三花懸魚ですが、もうカブラの形ではありません。ヒレは菊文です。これに類するものは、すでに江戸後期に現れており、天沼博士が紹介した黒谷・金戒光明寺山門(嘉永7年=1854)の懸魚は、この懸魚の先輩です。

 というわけで、懸魚1000年の歩み? を駆け足で振り返りました。
 ちなみに、今回は紹介しませんでしたが、神社の社殿にも懸魚が用いられているものがあります。

 特定の部位でも、時代によってずいぶんと変化するものです。天沼博士のひそみに倣って、たまには細部観察も愉しいかも知れません。




 【参考文献】
 天沼俊一『日本建築細部変遷小図録』星野書店、1944年
 川勝政太郎『古建築入門講話』河原書店、1966年
 


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