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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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きょうの散歩 - 長泉寺 - 2013.2.28

洛西




 長泉寺

 今日は、いくつか用事があって、自転車で京都市内を走り回っていました。帰ってからマップで測ると、なんと約 32km! われながら驚きです。

 行き先のひとつは、御室の仁和寺でした。
 京都駅から、ずっと北上し、西に進み、仁和寺にたどり着いたのですが、その手前にある妙心寺の門前を通って西行すると、双ヶ岡に突き当たります。
 双ヶ岡に沿って北に走ると、双ヶ岡中学の先に小さなお寺があるのに気が付きました。

 長泉寺。

長泉寺

 ごくふつうのお寺なんですが、門前にこんな石標が立っているのです。

 長泉寺

 「兼好法師旧跡」

 そう、ここは兼好法師(吉田兼好)の墓所なのでした。

 兼好法師は、三つの丘が並ぶ双ヶ岡の“二ノ丘”の西麓に住んでいたといいます。長泉寺は、の一ノ丘の東麓にあります。

 長泉寺内には、兼好塚と歌碑があるそうですが、公開されていません。

 仁和寺は、双ヶ岡のすぐ北に位置しています。
 そのせいか「徒然草」には、第52段、第53段、第54段に、仁和寺の法師らの話が登場します。

 第52段では、仁和寺の法師が、石清水八幡宮に初めてお詣りに出掛ける話が記されています。
 老法師は、麓の寺社を参拝しただけで、男山には登らずに帰ってきました。仲間に「それにしても、みんな山に登っていたけれど何かあったのだろうか。自分は神さまにお詣りするのが本意だったので、山には登らずに帰ってきた」と話したそうです。
 石清水八幡宮は男山の山上にあることを知らなかったわけです。
 兼好法師は「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」と書いています。信仰でも観光でも、水先案内してくれる人がいると安心です。

 第53段は一転して、ある法師が酔った勢いで鼎(かなえ)をかぶったところ、抜けなくなって大騒ぎになる、という話です。
 どんなに引っ張っても、医者に見せても抜けません。最後に、耳鼻が切れても命を失うよりはいいじゃないか、という判断で、力任せに抜くと、耳と鼻はもげたけれども、鼎は抜けたのでした。
 なんとも、言葉を失う話ですね。兼好法師も、何も感想を書いていません……

 つづく第54段は、御室のかわいい稚児を誘い出して遊ぼうと工夫する法師たちの話。
 稚児を誘う前に、双ヶ岡に重箱を埋めておきました。あとで、うまく掘り出して、稚児を驚かして飲食しようという企みです。しかし、稚児を連れて行ってみると、いくら探しても重箱は見つかりません。どうやら、誰かに先に掘り出されてしまったようです。
 兼好法師は「あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり[よくないものだ]」と締めくくります。

 これを読むと、お坊さんも結構俗っぽいなぁ、という感想が湧いてきます。同時に、こんな話を書き留めた兼好法師という人物も、やっぱりなかなかやなぁ、とも感じます。
 そんなことを思いながら、長泉寺から仁和寺へと向かったのでした。仁和寺の話は、後日レポートしましょう。




 長泉寺

 所在 京都市右京区御室岡ノ裾町
 拝観 非公開
 交通 京福電鉄御室仁和寺から、徒歩約5分



 【参考文献】
 西尾稔ほか校注『新訂 徒然草』岩波文庫、1928年
 

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