10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
MENU

NEW ARRIVAL

PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

社号も変われば、社殿も変わる - 伏見稲荷大社 -

伏見




伏見稲荷大社

 いつから「伏見」稲荷?

 伏見稲荷大社は、京都を代表する歴史の古い神社ですが、初詣でも賑わい、毎年約270万人の参詣者(三が日)が訪れます。もちろん関西 №1です。

 いつも不思議に思うのは、この神社が「伏見」稲荷大社と言っているところ。

伏見稲荷大社
 鳥居脇に「伏見稲荷大社」の社号標が…

 地域でいうと、ここは深草で、伏見の市街からは随分離れています。京阪電車の最寄駅は「伏見稲荷」ですが、その隣は「深草」駅。ちなみに、明治12年(1879)からあるJRは、ただの「稲荷」駅です。
 調べてみると、京阪の「伏見稲荷」も、戦前は「稲荷」とか「稲荷神社前」と言っていたようです。

 伏見稲荷大社

 境内を見て回ると、いくつか「稲荷神社」と記された社号標が立っています。「官幣大社」の4文字が冠されています。
 これは、明治4年(1871)以降、官幣大社になっていた頃のもので、当時の社号は「稲荷神社」でした。ちなみに、江戸時代はというと、例えば「都名所図会」には「三之峰[みつのみね]稲荷社」「三の峰稲荷大明神のやしろ」と出てきます。

 戦後、官国幣社の制度がなくなったあと、多くの官幣大社では「○○大社」という社号に変えたわけですが、当社もそのひとつでした。その際に「伏見」の2文字も付け加えて「伏見稲荷大社」になったのです(1946年のこと)。なぜ「伏見」が付けられたのか寡聞にして知らないのですが、おそらく伏見区にあることや伏見の地名が著名だったので、それを冠したのでしょう。さすがに「深草稲荷」というのも様にならない気もしますし……

 いずれにせよ、約70年も経つと、誰も伏見稲荷という呼称に違和感を抱かなくなっています。


 社殿も変わる

 伏見稲荷も、京都の多くの寺社と同じく、応仁・文明の乱で灰燼に帰しました。しかし、復興に着手され、現在の本殿(重文)は、明応3年(1494)に再建が成っています。応仁の乱後とはいえ、室町時代の社殿は、京都の神社では古い部類です。

伏見稲荷大社
 本殿(重文)

 写真で分かるように、流造です。檜皮葺の五間社で、かなり幅の広い社殿となっています。これは、それまで上社、中社、下社という3殿とそれらの摂社2殿を合築(相殿)にしたため、大きくなったのでしょう。

 少し違った角度で撮った写真を見てみましょう。

伏見稲荷大社

 本殿の左側に、銅板葺、切妻造の大きな拝殿が付いています。これは内拝殿とも呼ばれる建物ですが、実はこれとは別に、もうひとつ拝殿があります。

伏見稲荷大社

 いわゆる外拝殿。本殿から石段を降りたところにあります。

 分かりにくいので、「都名所図会」(1780年)の図を見てみましょう。

都名所図会より稲荷社
 「都名所図会」より稲荷社(部分)

 左下にある建物が拝殿(現在の外拝殿)です。京都の神社でよく見掛ける舞殿のようになった建物です。
 妻入りの入母屋造になっていて、現状(平入りの入母屋造)とは異なっています。
 
 しかし、本殿の辺りも今と比べると随分違います。

都名所図会より稲荷社

 江戸時代。

 こちらが現在。

伏見稲荷大社

 江戸時代は、本殿の屋根に唐破風の向拝(こうはい)が直接取り付いていました。
 ところが現在は、唐破風の向拝と本殿の間に、内拝殿が挟まっているのです。

京都名勝詩より稲荷神社
 『京都名勝誌』(1928年)

 これは昭和3年(1928)の写真。唐破風が大きすぎて本殿が見えませんが、流れている屋根に直接くっつけてあります。
 ちなみに、この立派な向拝は、元禄7年(1694)に付加されたものです。


 元禄の大修理

 この唐破風が付けられた元禄7年、伏見稲荷では大規模な修築が行われました。幕府から修復料1525両、遷宮料米200石が出費され、本殿をはじめ、礼拝所(つまり唐破風の向拝)、若宮社(権殿)から、絵馬掛所、手水屋形に至るまで18の建物が修復されました。豊臣秀吉による天正年間以来の大修理です。

 このときあった建物で現存するものは多くはないのですが、「都名所図会」などにその威容をうかがうことができます。

 先ほどの内拝殿ですが、これは戦後の昭和36年(1961)に建造されたもので、本殿と向拝の間に挟み込んだものです。
 寺社は、参詣者が増えてくると、一般に向拝などを付け足していきます。この伏見稲荷でも、室町時代の流造の本殿に、元禄時代に向拝を付け加え、さらに戦後、内拝殿を増築したという変遷です。

 別の寺社の例としては……

摩利支天堂
 禅居庵 摩利支天堂

 これは建仁寺の塔頭・禅居庵の摩利支天堂ですが、幕末に拝所を増築して参拝スペースを増やしました。このような例は数多くあります。

 摩利支天堂については、こちら ⇒ <イノシシの摩利支天堂は、ずっと篤い信仰を集めている>

 伏見稲荷も、あれだけ参拝者が多いのですから、それぞれの時代に参拝スペースを広げる必要に迫られたのでしょう。

 神社の社号や建物にも、変遷あり。それを知るのも、また愉しいことです。


伏見稲荷大社 権殿(若宮)




 伏見稲荷大社

 所在 京都市伏見区深草藪之内町
 拝観 境内自由
 交通 JR稲荷駅下車、すぐ



 【参考文献】
 「都名所図会」1780年
 『京都名勝誌』1928年、京都市役所
 『京都御役所向大概覚書』清文堂出版、1973年



スポンサーサイト

コメント

非公開コメント