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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

寺町・新京極を歩く(その1)





裏寺町


 変貌する寺町・新京極

 2013年2月、新京極蛸薬師上ルにある映画館「新京極シネ・ラリーベ」が2月15日をもって閉館すると報じられました。かつて京都は映画の都であり、新京極・寺町・河原町界隈は多くの映画館が林立していましたが、単館の映画館がついに姿を消すことになります。シネコンを含む映画館自体でも、このあたりに残るのはMOVIX京都だけです。

新京極シネ・ラリーベ 
 新京極シネ・ラリーベ(2013年2月8日撮影)

 私の学生時代(1980年代)には、このあたりにも多くの映画館がありました。MOVIXの場所には、松竹系の松竹座とSY松竹。そこを下がると、ピカデリー、弥生座(現在のシネ・ラリーベ)、菊映などがあり、さらに裏寺町との間に、八千代館、美松映劇、京極東宝などがありました。
 もちろん、河原町周辺にも、京都宝塚劇場、スカラ座、京劇、東宝公楽などが点在していました。
 記憶で書いているので、劇場名など錯誤があるかも知れませんが、約30年前は映画といえば新京極・寺町・河原町に行くことを意味しました。

旧菊映
 旧ピカデリー(ビルの階上にあった)
 今はダイエー・グルメシティになっている

旧八千代座
 旧八千代館。かつては成人映画を上映

旧美松映劇
 旧美松映劇。今はショップ等に…

 2007年に八千代館が閉館したあと、建物を見て驚きました。ずいぶん立派な近代建築だったからです。往時は看板に覆われて外観がよく見えなかったのですが、皮肉なことに、閉館して本来の姿を現したのでした。


 梶井基次郎「檸檬」の町

 大正14年(1925)に発表された梶井基次郎の「檸檬」は、主人公が丸善にレモンを置いて爆発するのを夢想するという、京都を舞台にした作品です。そのレモンを買った果物屋が寺町二条角に、丸善が寺町三条西入にあったのです。
 果物店「八百卯」は、今は店を閉ざしています。

旧八百卯 
 旧八百卯(角のビル)

 「檸檬」は、寺町通をこう描いています。

寺町通はいつたいに賑やかな通りで-と言つて感じは東京や大阪よりはずつと澄んでゐるが-飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出てゐる。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。

 寺町通は、今とは少し異なって、「賑やかな通り」でショーウィンドーの光が流れ出している明るい街路でした。
 それとは対照的に、レモンの「爆弾」を仕掛けた主人公が歩いていく先は、「活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩つてゐる京極」と描かれています。
 
 作家の高野澄氏は、「檸檬」の舞台はなぜ寺町通なのかを考察して、ここが当時、京都のメインストリートだったことを指摘しています。高野氏は、現在にぎわっている河原町通が寺町通を圧倒するようになったのは戦後のことで、大正14年の主人公が寺町通に惹き付けられたのは自然なことだと述べています。


 大正・昭和の雰囲気

 大正4年(1915)刊の『新撰京都名勝誌』は、新京極を次のように紹介しています。

この処は京洛第一なる繁華街熱閙の場にして、演劇、活動写真、浄瑠璃、軍談、落語の各興行場より、酒楼、肉舗、珈琲店、球戯場等前後相望み、各種の商舗また櫛比整列して、遊人填咽、昼夜喧闘雑踏を極む。今劇場其の他を掲ぐれば、劇場は京都座、明治座、夷谷座、活動写真は帝国館、歌舞伎座、朝日倶楽部、パテー館、中央館、八千代座、富士館、天活倶楽部、落語其の他は蘆辺館、笑福亭、第一勢国館、第二勢国館等とし、東京の浅草奥山、大阪の千日前と互に繁華を競ふ。

新撰京都名勝誌より新京極
 『新撰京都名勝誌』(1915)より「新京極」

 ここにあげられた劇場、映画館、寄席だけでも15館にのぼり、他にも小さな施設があったことでしょう。まさに京都随一の繁華街です。東京の浅草、大阪の千日前という<見世物・寄席系統>の興行街として、新京極も繁昌したのでした。
 
 しかし、昭和になると少し情勢が変わってきます。昭和3年(1928)刊の『京都名勝誌』(大正4年版の改訂版)から引用します。

こゝは京都市中最も繁華熱閙の地区にして、演劇・活動写真・浄瑠璃・落語等の興行場を始め、酒楼[バー]・珈琲店[カフエー]・洋食店・飯舗・球戯場等各種雑貨店化粧品店などと参差櫛比し、遊覧の客その間を填咽し昼夜雑沓す。昨昭和二年 河原町通 に電車軌道敷設せられ、随つてこゝに近代式店舗出現し、四条通と相須つて、多少新京極の繁華を減殺したらんも、今なほ肩摩肱撃人の山・衣帽の波を作りて雑沓す。

 昭和の初め、河原町通に市電が開通したため、人々の流れに変化が生まれつつあることを指摘しています。原文では「河原町通」が太字になっていて、そのインパクトが感じられます。


 寺町通と新京極の歴史を振り返る

寺町通
 寺町通。右の建物は古書肆・竹苞楼

 平安京の東京極大路に端を発する寺町通と、明治初期に開発された新京極。
 その歴史には大きな落差がありますが、寺と繁華街が共存する“聖と俗”を包含する二つの通りについて、北から南へ、数回にわたり報告していきたいと思います。
 寺町と新京極を歩き、その歴史を振り返ることは、失われゆく“キネマの都”に対するオマージュになることでしょう。




 【参考文献】
 『新撰京都名勝誌』京都市役所、1915年
 『京都名勝誌』京都市役所、1928年
 梶井基次郎「檸檬」1925年
 高野澄『文学でめぐる京都』岩波ジュニア新書、1995年



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