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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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京都の西国三十三所(8) -革堂 その2 -





革堂


 行円上人の事蹟

 西国三十三所第19番札所・革堂(行願寺)は、平安時代の僧・行円を開基としています。
 よく知られたことですが、行円は出家する前、狩りで仔を宿した鹿を射てしまい、その鹿革を常に身に着けていたことから「革聖」「革上人」と呼ばれた、という話があります。
 革衣を身に着けるという点では、空也などと同じで、「梁塵秘抄」にある「聖の好む物、木の節・鹿角[わさづの]・鹿の皮、蓑笠・錫杖・木欒子[もくれんじ]、火打笥・岩屋の苔の衣」と見える通り、修験者の一般的な姿でもありました。
 
 革堂 革堂の碑に彫られた行円上人

 もともと西国三十三所は、山林修行する聖と深い関係にあるので、行円が開いた寺がそのひとつに選ばれているのもうなずけるところです。
 密教美術や仏像研究の大家・佐和隆研氏の『西国巡礼』(現代教養文庫)を繙くと、驚くことに「行円上人の革衣」のモノクロ写真が掲載されています。箱に入れられた硬そうな革片です。佐和氏は「それは上人の遺徳を偲ぶ材料として、古くから大切にされてきたものであろう」と記されています。


 革堂の御詠歌は

 山門を入ると、本堂手前に手水舎があります。

革堂

 手水鉢です。
 前面に「十七日/十八日/詠歌講」と記されています。17日、18日というのは観音さまの縁日を示していて、当寺の御本尊は千手観音菩薩です。おそらくは、毎月の観音さまの縁日に御詠歌をあげる講があり、それがここにある詠歌講だったのでしょう。

 ご存知のように、西国三十三所の札所には、それぞれに御詠歌があります。昔は花山法皇が作ったと伝えられていて、私も先年、中山寺(24番札所)を訪ねた際、門前の花山法皇の碑に「御詠歌の元祖」と刻まれているのを見ました。
 もちろん、本当は一人ですべて作ったというものではないのでしょうが、遅くとも江戸時代には定まったものがあったのでしょう。

 革堂
 本堂に掲げられた額。御詠歌を書く
 「花を見て/今ハのぞミも/かうだうの
  にわのちくさも/さかりなるらん」  

 これが革堂の御詠歌です。

 「花を見て今は望みも革堂の 庭の千草も盛りなるらん」

 まったく余談ですが、私はこの御詠歌を見ると、いつもアイルランド民謡の「庭の千草」を想起してしまいます。なにか御詠歌としては、ずいぶん洒落た文句だと思えます。
 写真の額は、明治23年(1890)2月に西光組により奉納されたものです。

革堂


 銅製の御詠歌の額

 革堂も、他の札所と同じく、奉納額が所狭しと懸けられています。

革堂

 この額は、昭和13年(1938)のものですが、京都の寺社では時折り見かける中村美工堂製のものです。奉納者は京都三三会。三十三所をお詣りする会という意味でしょうけれど、200人近い名前が記されていて圧巻です。ここにもやはり御詠歌です。

 なかでも目に付くのが、本堂の真正面に掲げられたこの扁額です。

革堂

革堂
 提灯の真上に懸けられている

 青銅製の額で、御詠歌が鋳出されています。
 額の面をよく見ると、別々に鋳た15枚の銅板をつなぎ合わせてベースを作っていることが分かります。そのベース上に、別に作った文字を張り付けているようです。なかなか丁寧な仕事です。

 御詠歌の後には、奉納者の氏名「西本政治郎」が記されています。
 これだけ立派な額を納めるのだから、よほど信心深い人なのだろうと想像したりするのでした。

 ところが、お堂の辺りを見ていて、もうひとつ気付きました。


 獅子が乗った香炉も!

革堂

 とても立派な青銅製の香炉があります。
 上には口を開いた獅子が乗っています。

革堂

 かなりリアルな造形。さらに……

革堂

 脚の部分。いわゆる獅噛(しかみ)というやつでしょうか、獅子の顔が付いていますけれど、足と直結していて少し滑稽な感じがします。
 でも、とてもいい仕事ですね。

革堂

 詠歌講中と書いてあります。
 そして、奉納者はというと……

 革堂

 これも西本政治郎なのでした。明治40年(1907)10月の奉納です。
 それにしても、この西本政治郎、いったい誰なのか?


 西本政治郎とは?

 西本政治郎は誰なのか。調べてみました。

 まず、貴重な人名録でもある電話帳。大正15年(1926)の『京都電話番号簿』。
 ここには「西本政次郎」として「寺町、松原下 神仏用金物商」とありました。

 さかのぼって、明治43年(1910)の人名録『第十五版 日本紳士録』。
 ここにも「西本政次郎」として「宮殿用金物商、下京区寺町松原南入ル六」とあります。

 そして『大阪市京都市神戸市名古屋市 商工業者資産録』(明治34年=1901)には、
「西本政次郎 下、寺町松原下ル 金物 神輿類 卸小売」とあり、「嘉永四年九月生」と記されていました。

 これらの資料から、西本政治郎は、京都市下京区の寺町松原下ルで、金物商を営んでいたことが分かります。それも、寺社や宮殿の金物製造・販売を主とし、神輿(みこし)も販売していたようです。
 生年は、ペリーが来航する前々年の嘉永4年(1851)。革堂の香炉を奉納したときには、56歳になっていたことになります。

 ちなみに、原史料は見ていないのですが、東京勧業博覧会(明治40年=1907)に銅製の鹿を出品したという話があるそうです。そうすると、革堂の香炉は、博覧会終了後まもなく奉納したことになります。

 西本政治郎は、革堂の信者でありながら、自らが寺社に金物を納める仕事だったため、そのなりわいを生かして青銅製の扁額や香炉を製造して奉納したのでしょう。それもうなずける優れた奉納品です。
 石造業者などは、いくつもの寺社等で同じ名前を見掛けるケースもありますが、金物についても同様のことがあるわけですね。
 革堂は庶民の信仰の場。細かく観察していくと、いろいろな発見があります。

 革堂 手水舎




 革堂(行願寺)

 所在 京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町
 拝観 境内自由
 交通 京阪電車丸太町駅より徒歩約10分



 【参考文献】
 西国札所会編・佐和隆研著『西国巡礼 三十三所観音めぐり』現代教養文庫、1970年
 『新訂 梁塵秘抄』岩波文庫、1941年
 『京都電話番号簿』京都中央電話局、1926年
 『明治大正昭和 京都人名録』日本図書センター、1989年
 『都道府県別資産家地主総覧 京都編1』日本図書センター、1991年



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