京都について書いた随筆、かずかずあれど - 井上甚之助『わたしの京都』 -
|京都本|

春の古本市を訪ねて
5月のゴールデンウィーク、催事も多いなかで、私が訪ねるのが京都古書組合が主催する古本市です。
岡崎公園のみやこメッセ(京都市勧業館)で開催されます。

学生の頃から行っているので、もう30年以上たっています。
その間に、勧業館の建物も昭和初期の歴史的な建物から新しい建築になって、名前も「みやこメッセ」と変わって、前の京都会館も改築されて「ロームシアター」になり、隣接する府立図書館も建て直しましたね、ずいぶん以前ですけれど。岡崎公園も、たいそう様変わりした30年です。
京都を取り上げた随筆
春の古本市には、会場の南東隅に必ず京都本コーナーが設けられます。
今年は、少しレイアウトが変わったものの、いっそう拡大されてコーナーが作られていました。
こんなブログを書いている私ですので、この一画は目を皿のようにして(?) 本探しをしてしまいます。
数多の京都本のなかでも、数が多いのは随筆です。
アンソロジー、つまり大勢の執筆者が名を連ねた随筆集もあるわけですが、今回は1人で書かれたものについて、少々の雑感です。
実は、これまで言ったことはなかったのですが、京都について書かれた随筆もピンからキリまであるというか、面白いものは大変おもしろいけれど、つまらないものは大層つまらないーーたいへん失礼な言い方を承知でいえば、そのような印象を持っています。
たとえ著名な方が出版したエッセイでも、これはなぁ……、と思ってしまうものがある一方、無名のひとが書いたものでも、とても素晴らしい作品があります。
これまで、ここに紹介・引用したものでいうと、例えば北尾鐐之助(りょうのすけ)の『京都散歩』は、私のお気に入りです。
北尾は、昭和の戦前戦後に活躍した大阪毎日新聞の記者です。写真部だったので、自分で写真も撮りますが、エッセイの名手で、同時代の社会を切り取って描く視線は新聞記者ならではの鋭さがあります。代表的な著作は「近畿景観」シリーズで、そのなかでも第3巻の『近代大阪』は優れた作品ですが、京都を取り上げた『京都散歩』も読みごたえがあります。
京都エッセイといっても、内容的には主に3つに分かれます。
ひとつは、北尾のように、同時代の京都を書いたもの。著者からすれば「現代」の街の姿を “見たまま” 描写したものです。
ふたつめは、回想です。子供の頃から育った京都の過去を振り返って記すものです。結構、記憶のよい人が多いことに驚かされます。
第三のものは、京都について学問的な視線で分析的に述べる随筆です。学者に多いパターンで、歴史や伝統工芸などジャンルを絞ることが多いのです。
私は、1番目のものが最も好きで、その時代々々を生きた人たちのリアルな息吹きみたいなものが感じられて、つい引き込まれます。言葉遣いや地名など固有名詞の呼び方も、同時代ならではのものがあります。
回想ものは、勉強になります。筆者の生まれ育った地域に即して詳しく分かることは、たいへんな利益になります。高名な方だけでなく、市井の一庶民といった人たちも書いていますが、参考になるものが数多くあります。
第3分類は、そんなに好みではないのですが、梅棹忠夫さんのものなどは、ここでも何度か紹介していますが、京都人にも共感できるような分析があって納得です。
井上甚之助『わたしの京都』
今回出会った随筆で、これはいいなぁ、と買い求めたものが、井上甚之助の『わたしの京都』。

昭和48年(1973)に出版されました。
井上甚之助という人は、私もよく知りませんでしたけれど、演劇評論家として『三津五郎芸談』などを出した人ということです。
奥付のところに記された著者の略歴によると、明治35年(1905)、京都に生まれるとあり、本文中に柳馬場五条が育ったお宅だったことが分かります。長じて慶應義塾大学に進まれましたが、その後、京都に戻られ、これも文中には大丸に勤めておられた時期もあるようです。本書が刊行される直前、昭和48年3月に亡くなっています。
もともとは、昭和46年(1971)7月から京都新聞に連載されたもので、連載当時のタイトルは「丸竹夷に」。
ご存知のように、「丸竹夷二押御池(まるたけえびすにおしおいけ)……」という、京都の通り名を覚えるための俚謡から取られた題名です。
およそ季節の流れに従って、年中行事や四季の風物をテーマに記述しています。
回想が中心になっており、著者の少年時代、つまり明治末頃からの思い出が綴られています。
最初に配列されるのは、正月につきものの「雑煮」です。
松の内が過ぎて雑煮の話でもあるまいが、年の始めとあれば、先ず雑煮の話からはじめよう。
京の正月の雑煮といえば、昔から白味噌仕立てときまっていた。こってりとした白味噌の汁の中には、小餅のほかに、大きな頭芋(かしらいも)と拍子木に刻んだ大根がはいっていて、上からパッと花鰹が振りかけられてあった。白味噌の甘い匂いと、花鰹の香ばしい匂いとが、微妙に入りまじって、プーンと鼻をつくのが、いかにも正月らしい改まった気分を誘うのだが、椀の中にデンと構えた大きな頭芋は、見た目には立派でも、さて食べる段になると、取り付く島もなく、並み大抵の苦労ではなかった。(後略)
この冒頭を読んでも分かるように、井上氏は大変な名文家です。
なんということはない、正月の雑煮についての説明ですが、なかなかこのように書けるものではありません。
それぞれのエッセイは、新聞連載ということもあり、とても短くて原稿用紙2枚半(約1000字)くらいです。そのなかに、ほどよい起承転結があり、読む者を引き付けます。
雑煮の話は、このあと「頭芋は、幼い私にとっては、どうしようもないしろ物」であったが、厳格な父は食べないことを許さず、「将来、人の頭に立つためにも、頭芋は食べ残してはいけない」と叱るので、幼い井上氏はボロボロと涙をこぼしながら食べるのでした。
しかし時代が移るにつれ、三日のうち一日は東京風のすましの合鴨の雑煮になり、自分の代になると合鴨の雑煮が二日を占めるようになって、白味噌の日も頭芋の代りに小芋が入る始末でした。
随筆は、次のように締めくくられます。
その小芋を見るにつけ、私はその昔、私を泣かせたあの憎らしい頭芋が懐かしく、昔の白味噌雑煮のうまかったことを、いまさらながら恋しく思い出している。そして頭芋が嫌いだったばっかりに、人の頭にも立てず、小芋で一生を終わるであろう自分自身にも見切りをつけている。
なんだか、ちょっぴり切ないような幕切れです。
京都の雑煮の話題は誰もがすることですが、雑煮のなかみ、頭芋の持つ意味、昔気質の風習、時代の推移を要領よく説いて、最後に自分の思い出に引き付けて、ちょっとしたユーモアで落ちをつけるあたり、このエッセイは実に巧みといえるでしょう。
京菓子の思い出
もうひとつばかり、紹介してみましょう。
「京菓子」と題する文章です。
(前略)
それはそうとして、昔は菓子屋にもご用聞きがあって、毎日のようにお得意先を回っていたものだった。子供のころ、私の家でもお菓子の見本を入れた箱をよく見かけたが、それは平べったい木箱の中がいくつにも仕切られてあって、その中の一つずつに、お菓子の見本が、ほんの少しずつはいっていた。そんな古びた木箱が五段か六段重ねられてあったのだから、相当な種類のお菓子の見本がはいっていたことになる。
まだ祖母が生きていたころで、その祖母を中心に、両親までが揃って、楽しそうにお菓子の見分けをしていた。時にはその見本の中の一つをヒョイとつまんで、食べていた場面も見受けたことがある。やっと品定めがすんで、見本箱を元の通り積み重ね、待たせてあった菓子屋の丁稚さんのところへ、母が持って行って注文するのだが、その注文たるや、いまから思うと、まことにつつましやかで微々たるものであった。
この菓子屋が末富(すえとみ)であったことを後年知ったと書いています。
大の大人がお菓子を楽しそうに品定めしている光景が目に浮かびますが、大店なのにその「微々たる」注文は意外かも知れません。本書には、ところどころに京都人の質素さや控えめなさまが記されています。
一方で、季節に従い、節分や八朔など節目に応じた “儀式” を行っていた、折り目正しくリズム感のある日々が想起されます。
そんな半世紀ほど前までの暮らしぶりからすると、現在はずいぶん変わってしまったなあという感慨を禁じ得ません。
(この項、つづく)
書 名 『わたしの京都』
著 者 井上甚之助
刊行者 墨水書房
刊行年 昭和48年(1973)
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