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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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京都の西国三十三所(7) - 革堂 その1 -





革堂


 革堂は「一条」に?

 西国三十三所の第19番札所、行願寺。一般には「革堂(こうどう)」という呼び名で通っていますね。
 西国三十三所の中でも、こぢんまりとしたお寺で、いい雰囲気を醸し出しています。

 寺町通に面した山門の左脇に、石標が立っています。

 革堂

 正面には「西国十九番札所」と書いてあるのですが、側面には下のように刻まれています。

 革堂

 「一条かうだう(革堂)」。

 革堂を訪れたことがある方には分かるように、その所在地は中京区の寺町竹屋町です。竹屋町通が寺町通に突き当たったところに、西を向いて建っています。
 竹屋町通は丸太町通の1本南です。
 一方、一条通は今出川通を南へ下がったところ、京都御所の西側になります。区も上京区で、直線距離にすると1.5kmは離れています。

 なぜ、「一条」なのか?


 隣には風呂屋も

 もうお分かりのように、革堂はかつては一条にあったのです。
 『京都市の地名』(平凡社)によると、はじめは一条小川新町にあり「一条北辺堂」とも呼ばれていたそうです。この一条北辺堂は、少なくとも10世紀末には存在していたようです。
 一条通の北ですから、ここは京外になり、寺院も数多くあったところです。すぐそばには、今は百万辺にある知恩寺や新京極にある誓願寺もあって、応仁の乱などでは、革堂とこれらの寺院が一緒に焼けたといいます。

 洛中洛外図屏風(上杉本)には、「かうだう」と記された革堂も登場します。入母屋造で向拝があり、周囲に縁をめぐらせた大きな建物です。その隣には、「ふろ」と書かれた一条風呂という施設がありました。これは蒸し風呂で、湯女にあかすりをしてもらっている場面が描かれています。
 革堂は、上京の町堂として、町衆の拠点となっていた寺ですが、その隣に憩いの場である風呂があるのも、たいへんおもしろく感じます。

 この一条の革堂ですが、豊臣秀吉の京都改造に伴って、天正18年(1590)、寺町荒神口(御所の東側)に移転しました。さらに、江戸時代の宝永5年(1708)に火災で焼け、現在地に移転しています。


 革堂の故地を訪ねる

 そこで、もともとあったという小川通一条上がるの故地を訪ねてみました。

 革堂町

 付近は、革堂があった痕跡もなく、ごくふつうの町並みです。
 ところが……

 革堂町

 町名は、革堂町。
 少し感動しますね。

 革堂町

 その西には、革堂西町もあります。
 他に、革堂仲之町など、名前を残す町があります。

 革堂は上京の町堂として、下京の六角堂などと同様に、京の町衆の結集点ともなっていました。
 そのことから、かつては上京の一条小川にあったことを知ることにも意味があるでしょう。




 革堂町(革堂の故地)

 *所在 京都市上京区小川通一条上ル
 *見学 特に痕跡はなく、一般の町並みのみ
 *交通 地下鉄今出川駅より、徒歩約5分



 【参考文献】
 『京都市の地名』日本歴史地名大系27、平凡社、1979年
 佐藤和彦ほか編『図説京都ルネサンス』河出書房新社、1994年
 小澤弘ほか『図説上杉本洛中洛外図屏風を見る』河出書房新社、1994年



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