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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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文楽「心中宵庚申」、江戸時代の大坂の世情 - 国立文楽劇場 -

その他




絵看板


 文楽劇場、秋の公演・第二部より

 国立文楽劇場、今年(2017年)秋の公演は、第一部(午前の部)が「鑓権三重帷子」などを上演、第二部(夜の部)は「心中宵庚申」を中心とする上演でした。
 私は、第二部に行ってきました。

 「心中宵庚申」(しんじゅうよいごうしん)は、享保7年(1722)に初めて上演された人形浄瑠璃で、作者は近松門左衛門。
 近松は、「曾根崎心中」「心中天の網島」など数多くの心中ものを書いていますが、これは最晩年の50歳での仕事です。

 心中ものは、当時の実話を脚色して書いたものが多く、言ってみれば “現代劇” なわけです。
 テレビドラマに時代劇と現代劇があるように、文楽や歌舞伎にも時代物と世話物があります。世話物が、現代劇ですね。

 この「心中宵庚申」は、享保7年、つまり作品が書かれた直前に起きた事件を、すぐに人形浄瑠璃に仕立てて上演したものです。
 実際の心中は、4月6日(これがタイトルになった「庚申」の日の朝ですが)に起きました。大坂の生玉(生国魂)神社の馬場先で夫婦の心中が発見されたのです。
 これが複数の作者によって劇化され、近松の「心中宵庚申」も、事件から僅か半月後の4月22日に上演されています。

 私たちの感覚で言えば、テレビの再現ドラマを見ているような感じでしょう。それだけに、当時の人たちにも、リアルに受け止められたと思われます。 

 国立文楽劇場


 大坂の世相も反映 

 心中した二人は、武士から八百屋の養子になった半兵衛と、その妻・お千世です。
 上演は、お千世の実家、南山城の上田村から始まり(上田村の段)、次に大坂・新靫(うつぼ)油掛町の八百屋に移ります(八百屋の段)。ここは現在の大阪市西区で、半兵衛が養子に入った八百屋・伊右衛門の店があるのでした。

 夏も来て。青物見世に。水乾く。筵(むしろ)庇(ひさし)に避けられし。日影の千世が舅(しゅうと)の家は新靫。油掛町八百屋伊右衛門。浄土宗の願い手、了海坊の談義に打込。開帳、回向の世話焼き仲間。見世は半兵衛に打任せ大坂中の寺狂ひ。 

 八百屋の段は、このように始まります。
 半兵衛の義父・伊右衛門の紹介がされています。
 伊右衛門は、浄土宗の僧侶・了海坊の説法に魅せられて、お寺の開帳などのお世話もする信心家です。そのため、店は息子・半兵衛に任せっきりで、お寺参りに明け暮れる「寺狂い」です。

 ここで登場する了海坊。
 この僧、実在の人物なのです。
 当時、大坂でも法華宗(日蓮宗)が勢力を増していましたが、浄土宗の彼は法華宗を攻撃する説法を行います。挙句の果てには、日蓮上人の人形を市中に引きずり回した、という過激な人でした(『大阪人物辞典』)。
 ただ、正徳4年(1714)の飢饉の際には、人びとに施しを与えるなど、いわゆる社会事業も行ったといいます。

 「心中宵庚申」の「了海坊」は、この人物を指しているとみて、ほぼ間違いないでしょう。
 ただし、了海の没年は享保4年(1719)で、作品が上演される3年前です。
 ということは、この作品はリアルに大坂の世相を捉えているものの、“近過去” の設定にしているといえなくもありません。

 こういう描写は、物語の本筋とは関係ないと思われるのですが、観客にリアリティを与えるものになったでしょう。

 心中宵庚申絵看板


 仏法と茅家の雨は… 

 同じように、舅の言葉には、仏教に関係のあるものがたくさん出てきます。 
 例えば、

  仏法と茅家(かやや)の雨は出て聞け 

 なにか、ことわざっぽい響きですね。
 このことわざ? は、次の文脈で出てきます。

 仏法と茅屋の雨は出て聞けと。外へ出れば又有難い事も聞。此たび生玉大宝寺の開帳に築山を飾られたのも。筑後の川中島の四段目から出た事じやげな。こんな事も出にや聞かれぬ。アゝ有難い南無阿弥陀仏と。輪数珠繰り繰り出にけり。

 「外へ出れば、またありがたいことも聞く」とあるように、仏教の説法は外に出ていって聞かないといけない。これは、茅葺き屋根の家にいると、屋根に当たる雨音は聞こえないから、外に出て聞かないといけない、というのと同じである。といった、ことわざなのでしょう。
 つまり、家の中に閉じこもっていては見聞も狭くなり、井の中の蛙になろうというものです。

 外に出て聞いた話として、大坂・生玉の大宝寺というお寺で開帳をやったとき、竹本筑後掾(義太夫)の人形浄瑠璃「信州川中島合戦」四段目の築山(つきやま)を模した飾りを造った、というものをあげています。
 「信州川中島合戦」は、近松自身の作品で、享保6年(1721)8月の初演。つまり、「心中宵庚申」の前年にかけられた人形浄瑠璃なのでした。
 四段目では、秋の紅葉の山が舞台のようですから、その山をかたどった築山をお寺に造って、参詣者を楽しませたのでしょう。

 そういう巷の噂も、外に出ないと聞けないよ、と舅は言うわけです。
 なかなか含蓄が深いですね。


 「訴訟」という言葉

 信仰に入れ込んでいる舅・伊右衛門が出て行くと、半兵衛と義母が残されます。この義母(姑)がお千世をうとんじて、半兵衛と離別させようとしているのでした。
 半兵衛は、義母がお千世を離縁にしたとなったら母としても体裁が悪いだろうから、自分が妻を離縁した形にします、と切々と懇願します。
 この願いは義母に受け入れられるのですが、そのあと半兵衛とお千世は、家を去り、心中するのでした。

 文楽では、登場人物が切々と心境を吐露する長いセリフがあります。これをクドキ(口説き)と呼んでいます。現代でも「男性が女性を口説く」などと使いますね。長々とした説得のことです。
 文楽の場合、このクドキを行うのは女性と相場が決まっています。ところが、「心中宵庚申」では主人公の男性・半兵衛が長口舌をふるうわけです。

 その義母へのお願いセリフのなかで、何度も出て来る言葉が「訴訟」です。
 現在でもつかわれるこの言葉、どういうふうに登場するのでしょうか。

 母の悪名を立て若い者の人中へ面が出されませうか。親仁様にも面目失はする爰(ここ)が一ッの御訴訟。少しの間と思召(おぼしめし)虫を殺し。美しう千世めをお入れなされ。その上にて私が。物の見事に去状(さりじょう)書いて暇やります。
 (中略)
十六年此(この)かたたつた一度のご訴訟。老少不定の世の中たとへわたしが先立つても。いか成(なる)跡の問ひ弔ひ百万遍の御廻向より。聞入れたとの御一言。智識長老のお十念を授かる心と計にて。(後略)  

 
 半兵衛は、あわせて3度ばかり「御訴訟」という言葉を繰り返します。特に、“養子に入って16年間お母さんにお世話になってきて、たった一度の「ご訴訟」なんです” というところは、力がこもっていますね。

 『新編日本古典文学全集』の註には、「御訴訟」の意味を「お願い」としています。
 『日本国語大辞典』を調べると、「訴訟」の意味として、3つあがっています。

 一番目は、「うったえること。公の場に訴え出て裁決を願うこと。うったえ。公事(くじ)」とあります。
 これは半兵衛には当てはまらなさそうです。

 二番目、「要求、不平、願いなどを人に伝えること。嘆願すること。うったえ」と書いてあります。
 そう、これが半兵衛の「御訴訟」ですね。

 ちなみに三番目は、いまの裁判を指す訴訟です。

 なかなかおもしろいですね。

 このあと物語は、半兵衛から千世に去り状、いわゆる三行半(みくだりはん)が出されます。夫から去り状を出されたことを「未来迄の気がかり」という千世に、半兵衛は「女夫(めおと)連れで此(この)家を去ると思へばよいわいの」と諭します。

 そのあとの詞章。

 「ほんにそうじや手に手を取つて此世を去る。輪廻を去る。迷ひを去る」。けふ(今日)は最期のひつじの歩みあ。し(足)に任せて。

 ふたりは、あの世に旅立ちます。

 心中宵庚申

 「心中宵庚申」。江戸時代の大坂で起こった実話にもとづいた作品です。




 心中宵庚申

 公演  国立文楽劇場にて2017年11月上演



 【参考文献】
 『新日本古典文学全集 近松浄瑠璃集 下』岩波書店、1995年
 『新編日本古典文学全集 近松門左衛門集2』小学館、1998年
 三善貞司『大阪人物辞典』清文堂出版、2000年


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