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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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【大学の窓】秋学期がはじまった

大学の窓




大学キャンパス


 研究発表は12月に 

 どの大学も、先週あたりから秋学期が始まりましたね。
 私が非常勤で行っている(仮称)上京大学でも、学生たちがキャンパスに戻ってきました。

 担当している1回生の演習は、テーマを決めてグループで研究を行う授業。
 春学期に、テーマの方向性を定めて、秋学期に発表します。

 全部で9グループあるので(私は2つの班を担当)、発表は11月下旬から1月上旬まで5週間に及びます。
 秋の最初は、じゃんけんで発表順を決定します(笑) 
 私の担当班は、どちらも12月で、まぁよい順番というべきでしょう。

 例年、夏休みは余り勉強が進まないのですね(苦笑)
 でも、今年は2班とも、結構やってきた様子。さかんに意見交換していました。

 私のクラスは、「写真」と「繁華街」という2テーマです。
 写真班は、戦時下の新聞に掲載された写真を調べています。
 繁華街班は、大阪をフィールドに調査しています。

 図書館



 街をあるけば…

 繁華街のグループは、夏休み中に手分けして大阪の繁華街を歩いてきたようでした。
 ふだん意識しない街並みも、問題意識を持って歩くと感じ方が違うよう。JR大阪駅の北側に行くと、大きなビルがあるが、会議場などが入っているだけで「繁華街」とはいえないようだった、とか(グランフロントのことかな)。また、大阪駅の西の方に行くと、福島というところだが、ここはオフィス街で、アフターファイブに行くような飲み屋さんはあるが、ここも「繁華街」とは言えそうにない、とか。
 なかなか、的確な観察をしているのですね。

 朝から夕方まで、ずっと街を歩いていると、ある場所からガラッと雰囲気が変わるところがあったりと、おもしろい発見をしたりしています。
 これも、実際、自分の足で歩いて感じた賜物ですね。

 「繁華街」のテーマは、昨年から始めたものです。
 昨年の学生も、実は大阪(ミナミ)を取り上げていました。やっぱり、繁華街といえば大阪をイメージするのでしょうか? でも、今年はキタが中心になるのかな?

 一昨年までは「建物」がテーマで、これは7年くらいやっていたのですが、毎年うまくいかない傾向にありました。
 そこで、“実際に街に出て、自分の足で歩き、目で見て、感じてもらおう” というコンセプトに切り替えたのです。すると、全員とは言えないまでも、現地を歩く学生も出てきて、そのおもしろさを語ってくれるのですね。「ブラタモリ」の影響もあるみたいで、テレビで見ていることを自分でやってみるというのも、楽しいのかも知れません。

 こういうふうに実地を歩いてもらうと、私としては言うことはないのですが、いちおう歴史専攻なので(笑)、現在から過去にさかのぼって考えてもらうよう、アドバイスしました。
 100年前、そこはどうなっていたのか?、200年前(江戸後期ですね)はどうだったのか?、さらに500年前は? 
 大阪の場合、およそ500年の変化を考えればよいといえるので、そんな話をしています。


 繁華街はどこにある?

 ところで、いま京都で繁華街といえば、四条・河原町とその周辺。大阪では、ミナミとキタ、というイメージでしょう。

 しかし、半世紀ばかりさかのぼってみると、京都では西陣織の産地「西陣」(地名)にも、劇場、映画館、飲食店などが密集する繁華街がありました。その中心には「西陣京極」と呼ばれるエリアもありました。

 西陣京極
  西陣京極の一画

 一方、大阪では、ミナミとキタ以外にどんな繁華街があったのか?
 ここからは、学生には言っていない“ヒミツ”のコメントです(笑) まぁ、そう大層じゃないですが……

 もっとも、繁華街って何か、という定義がまず必要なのでしょうか。
 歴史的に考えてみると、娯楽の要素、小売りの要素、飲食の要素、売買春の要素、といったものが、集中的、複合的に混在していて、たくさんの人が集まってくる地区といえそうです。
 単に「小売り」だけだったら近所の商店街も当てはまるし、集中・複合していなければUSJのような遊園地もそうですよね。
 また、小売りや飲食については、高級性が見られ、商っているものの値段が高い傾向があるように思います。ご近所で買う洋服よりも、繁華街で買う洋服の方が高価ですよね。大阪でいえば、小売り街・心斎橋筋が、東の銀座とならぶ日本随一の名店街だったのはその典型です。

 そのうえで、ミナミとキタ以外の繁華街について考えてみると……

 天満宮裏門
  天満天神の裏門

 ひとつは、上の写真、大阪天満宮の周辺(北区)です。
 ここは現在では、天神橋筋商店街という長いアーケード街で有名ですが、かつては劇場、寄席が集まり、近くには待合もありました。天満天神の裏門といわれるエリアで、現在、落語の定席・天満天神繁昌亭があるあたりです。

 いまひとつは、西区の松島から九条にかけての地域です。
 現在も、九条新道の商店街とその周辺は、なかなかにぎやかですね。
 戦前は、東寄りの尻無川と木津川に挟まれた島・松島に遊廓があって、そこに劇場、寄席や料理店も並んでおり、さらに西へ商店街が伸びるようになって、繁華を極めました。遊廓を核とした典型的な戦前の繁華街といえ、「西の千日前」「西の心斎橋」と称される地区となっていました。

 天満天神と松島・九条は、かつては大阪の二大ローカル繁華街で、爆発的に増えた労働者を慰安するエリアでした。
 でも、私の学生たちは、まだこのことを知らないようです。
 古い資料に接し始めると、気付いてくれるかも知れませんね。



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コメント

遷り行く繁華街

平安後期~鎌倉時代の日本最大の歓楽街は神崎川流域で、江口の君堂や遊女塚などの史跡に往時を留めていますが、鉄道唱歌が作られた頃には神崎川流域が一面の菜の花畑だったように、繁華街も栄枯盛衰を免れ得ないものですね。

大阪には幾度か都が営まれたが、最初に地政学的に大阪に着目したのは聖徳太子で、太子の一族が蘇我氏に滅ぼされずに繁栄していたら、その後の大阪の歴史も大いに違っていたと思います。

現代の大阪は御堂筋界隈に一流企業と呼ばれている企業の本社や支社が建ち並び、退社後のホワイトカラーがキタとミナミに立ち寄ってカネを落として地域が潤っているように、娯楽を求める階層が変われば、繁華街の位置も遷って行きますね。

将来、経済活動の主体が、現在のサラリーマン社会から、個人的に人工知能や自動機械を所有して、各種製品や知的財産などを生産する人々のネットワーク社会に移行して、いわゆる通勤というものが無くなれば、繁華街の位置や機能も変化して行くでしょう。

ありがとうございます

ご愛読いただき、ありがとうございます。

先日も用事があって、西梅田・堂島の方に行きましたが、ここ10年、20年で多くのビルが建て替わり、風景も様変わりしましたね。大阪駅も変わりましたし。

そういう意味で、繁華街も変転が激しいのですが、変って行くものに対する一抹の寂しさも感じますね。

今後ともよろしくお願い申し上げます。
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