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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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妙心寺の経蔵は、輪蔵もあって興味が尽きない(その1)

洛西




妙心寺経蔵


 経蔵の中には輪蔵が

 花園の禅刹・妙心寺の経蔵は、ふだんは非公開です。「京の冬の旅」で特別公開されたので、堂内を拝観してきました。

妙心寺経蔵公開の看板
「京の冬の旅」非公開文化財特別公開

 看板の写真をアップで。

妙心寺経蔵公開の看板
 看板に掲載された妙心寺輪蔵

 私たちは余り意識しませんが、寺院では経典、とりわけ大蔵経(一切経)を所持していることは重要事項で、それを収める経蔵は大切な建物でした。

妙心寺経蔵
  妙心寺経蔵(重文)

 経蔵は、方一間、宝形造、一重裳階付きの建物です。寛永13年(1673)の建築で、重要文化財に指定されています。花頭窓が目立つ程度の、落ち着いた建物です。次に述べるように、輪蔵(りんぞう)を設置しているため、裳階付きの背の高い建物になっています。

 正面の扉を開けると、中には傅大士(ふだいし)が座っておられます(上の看板の写真参照)。傅大士は、輪蔵の創案者として、経蔵に祀られています。

 輪蔵とは、収納に便利な“回転式ラック”のことで、経典を収納する棚です。

 輪蔵については、このブログでも、知恩院や清凉寺のものを紹介してきました。
 記事は、こちらをご覧ください ⇒ <本堂は修復中でも、知恩院は経蔵がおもしろそう!>  ⇒ <嵯峨の清凉寺で“回せる”ものは?>

 ここでは、ふだんから公開されている清凉寺の輪蔵の写真をご覧ください。

清凉寺経蔵の輪蔵 清凉寺輪蔵

 下部の軸を中心に、時計方向に回ります。比較的シンプルなデザインですね。

 妙心寺の輪蔵は、もっと規模が大きくなります。
 建てた際の史料によれば、径1丈6尺2寸(約4m90cm)、高さ1丈7尺(約5m10cm)といいます(「妙心寺輪蔵建立之覚」)。
 

 経典の収納法

 輪蔵は八角形なので、8つの面があります。各面には、経典を入れた経函(きょうばこ、経櫃ともいう)が収納されています。
 1面あたり、タテ10段×ヨコ6列=60函並んでおり、その後ろにもタテ10段×ヨコ4列=40函あって、合計100函が収められています。これが8面なので、800函あることになります。
 経巻の数ですが、『正法山誌』所収の「殿堂略記」には6,527巻とあります。現在、お寺でもこの数字を取っているようです。ちなみに、同書第四巻所収の「書写大蔵」には6,166巻となっていて、函数も639函と少なめです。江戸時代から後、若干増加した経典があり現在の数になったのかも知れませんが、詳しく経緯は分かりません。
 いずれにせよ、平均すると1函あたり8~10巻ほど入っている計算になります。

 問題は、経典を取り出すとき、どうするか? 800函もあると、どのように検索するかが重要です。
 しかし、ここでは極めて明瞭なシステムが導入されています。

 まず、8面の1面ずつに名前を付けています。
 その名は、

  兌・乾・坎・艮・震・巽・離・坤

 の8字です。

 なんとなく分かると思いますが、いずれも方角を表す漢字です。ただし、「坎」のような特異な文字も含まれています。

  兌( ダ )………西
  乾(いぬい)………北西
  坎( カ ン )………北
  艮(うしとら)……北東
  震( シ ン )………東
  巽(たつみ)………東南
  離( リ )………南
  坤(ひつじさる)…南西

 「震」は音のシンが通じるので「辰」と同義で、ふつうは真東ではありません。ここでは、便宜的に東に当てているのでしょうか。
 
 さらに、この8つを外(60函)と内(40函)に区別し、「兌外」「兌内」のように名付け、16の区分を作っています。


 経函は「千字文」で配列

 このように各面を名付けたら、次は各函の名付けです。
 現代の感覚だと、№1~№800まで、数字を振っていけばよいようですが、かつてはそうではありませんでした。実際に経函を見ると、漢字が1文字ずつ記されています。

輪蔵の経函
  輪蔵の経函の例 (妙心寺ではありません)

 以前は、この文字が何を意味するか見当が付きませんでした。ところが、気付いたのです。

 それは「千字文」。

 千字文(せんじもん)。
 6世紀頃、中国で編纂された1000文字の漢字を集めたテキストの名前です。
 「天地玄黄 宇宙洪荒」から始まる1000字。4文字でひとつの句になっていて、全部で250句あります。

  天地玄黄 宇宙洪荒
  日月盈昃 辰宿列張
  寒来暑往 秋収冬蔵
  閏余成歳 律呂調陽

 という具合に続いていきます。単なる漢字の羅列ではなく、意味を持った韻文です。
 子供たちが漢字を覚えるためのテキストであり、また習字の手本ともなりました。 

岩波文庫『千字文』 岩波文庫『千字文』

 作ったのは、梁の周興嗣という人物です。
 製作のいきさつは、唐の『尚書故実』という書物に記されています(小川環樹ほか『千字文』から引用)。

 「梁の武帝は王子たちに書を習わせるため、王羲之(おうぎし)の筆蹟の中から重複しない文字一千字の模本を作らせたが、一字ずつ紙片であって、ばらばらで順序はなかった。武帝は周興嗣をよび出し、『これを韻文になるように考えてくれ』といった。そこで周興嗣は一晩かかって一千字を用いた整然たる韻文一篇を作り、武帝にたてまつったが、その苦心のため髪の毛がまっ白になった、という」

 王羲之は、古代中国の「書聖」とあがめられる書家。その文字を集めるだけでは覚えづらいので、意味のある成句を作ったというわけです。
 『日本書紀』には、応神天皇16年の条に、百済の和邇(王仁)が「論語」と「千字文」を伝えたという記事がみえます。年代はともかく、伝えるべき書目として「千字文」が選ばれたことに、その重要性がうかがえるでしょう。

 中国では、千字文は日本の「いろは歌」のように用いられ、物の勘定にも使われ始めました。小川環樹博士によると、文官任用試験の受験者の座席番号などに使われたそうです。そして、大蔵経でも宋版以来、千字文によって数えられてきたといいます。

 妙心寺の輪蔵で経函を見てみると、確かに千字文が打たれていることが分かります。
 そして、検索を便利にするために、入口の左右に千字文を書いた板を吊り下げ、索引としているのです。いにしえの中国では知識人で千字文を記憶していない人はいないと思いますが、江戸時代の日本では覚えていない人も多かったため索引の板を取り付けたのでしょうか。

 このようにして、例えば「兌外」では、「天」から52字目の「闕」までを割り振る、という具合に、検索可能にしていきました。ただし、「天」は「天 一」「天 二」と2函あり、多くの文字を2函の割り当てにしています。


 経典自身にも千字文を付ける

 大蔵経は、版によって巻数が異なっているものの、およそ5000~6000巻程度あると思いますが、その1巻ずつにも千字文が振られています。
 印刷された経典名(巻の最初と最後にある)の下に「天」とか「地」とかの文字を記すのです。これは、その経典が収められている函を示す記号で、千字文函号というそうです。上に述べたように、1文字で複数函割り当てる場合もあるので、<文字+漢数字>の組み合わせになります(「天 一」「天 二」のように)。
 残念ながら、私は函の中を見たことがありません。しかしおそらくは、経典を帙(ちつ)と呼ばれるケースに入れてから、函に収納するのでしょう。帙にも、千字文函号が記されるようです。

紙製帙
  帙(ちつ)に収められた経典
  (『西大寺所蔵元版一切経調査報告書』より)

 帙に入れられた経典です。経典の小口の部分にも「対 三」などと書かれているのが分かりますね。

 『西大寺所蔵元版一切経調査報告書』によると、奈良の西大寺や、南禅寺、園城寺、増上寺などにある元版一切経には、570ほどの千字文函号が付されているそうです。

 妙心寺の経蔵に入る機会があれば、輪蔵の函に注目し、さらに入口脇に掛けられた索引の板を見てください。そこには、千字文の世界が広がっているはずです。




 妙心寺 経蔵(重要文化財)

 *所在 京都市右京区花園妙心寺町
 *拝観 境内自由 ただし経蔵は特別公開でのみ内部拝観可
 *交通 JR花園駅より、徒歩約3分



 【参考文献】
 『重要文化財妙心寺法堂・経蔵修理工事報告書』京都府教育委員会、1976年
 無著道忠『正法山誌』思文閣、1975年(原著1935年)
 小川環樹・木田章義注解『千字文』岩波文庫、1997年
 大島正二『漢字伝来』岩波新書、2006年
 『西大寺所蔵元版一切経調査報告書』奈良県教育委員会、1998年



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