08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
MENU

NEW ARRIVAL

PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

大正・昭和の大阪画壇の輝き -「北野恒富展」を見る -

人物




北野恒富展


 あべのハルカスに行く

 先日、大阪・天王寺公園にある大阪市立美術館の公募展「全関西美術展」に行く機会がありました。

 その帰り、向いにそびえる高層ビル・あべのハルカスを訪ねました。

  あべのハルカス あべのハルカス

 そして、この高さ300mのビルの16階にある、あべのハルカス美術館で開催中の「北野恒富展」を見てきました(2017年7月17日まで)。

 北野恒富(きたの つねとみ)。

 なんだか風雅な名前ですね。本名は、富太郎というそうです。
 主に大正時代から昭和戦前にかけて、大阪で活躍した日本画家です。 

 明治13年(1880)、金沢の士族の家に生まれ、少年期より版下彫刻に従事しました。
 これを深めるため、17歳で大阪に出、稲野年恒に師事。明治30年代には、新聞の挿絵を担当しました。当時、新聞小説は当たれば大流行になるコンテンツでした。新聞小説から芝居に波及し、関連商品が売れたりすることもありました。つまり、恒富は、時代の潮流に乗った仕事に就いていたといえるでしょう。
 
 その後、明治末から昭和初期にかけて、20年ほどにわたってポスター原画を描いています。これは展覧会でも、多くの作品が展示されていました。
 新聞挿画といい、ポスターといい、なかなか時代の先端をいく業界に身を置いた恒富。
 日本画家というと古風なイメージがありますが、恒富はデザイン感覚や時代感覚を十二分に身に着けていたわけです。


 女性を描いた画家

 北野恒富展

 入口の看板にあるように、今年が没後70年に当たります。

 そして、ポスター、チラシに使われている作品が、この「星(夕空)」(大阪市立美術館蔵)。
 家屋の上にある物干し台から、夜空―花火か何か―を眺めている若い女性。着物の柄が、花火なのだそうです。

 代表作のひとつですが、昭和14年(1939)、還暦の前年に描かれたもの。
 恒富の画業は、本画でいえば大正初期から始まるわけですが、「星」は随分モダナイズされた作品だと感じます。

 恒富の著名な作品というと、

  大正2年(1913)  道行 ……紙屋治兵衛と遊女小春
  大正3年(1914)  願いの糸 ……七夕の女性
  大正4年(1915)  鏡の前・暖か ……対になる作品。芸妓
  大正9年(1920)  淀君 ……花見の淀君/落城の淀君
  昭和6年(1931)  宝恵籠 ……今宮戎の「ほえかご」
  昭和11年(1936)  いとさんこいさん ……船場の姉妹
  昭和14年(1939)  星(夕空)
  
 といったところでしょうか。

 とにかく、展示室の最初に置かれている「道行」、これは素晴らしい作品で、屏風の右隻に治兵衛と彼に寄り掛かる小春を立たせ、左隻に羽根を広げて争う2羽の烏を描きます。人物は画面の右端に寄り、左隻はほぼ空白。背景のない平面的な絵なのですが、動きを感じさせます。

 大正時代の恒富は、芸妓さんや歴史的な女性を多く描いているので、顔なども個性がない感じです。
 それが昭和になると変化を見せ、展示されている「雨後」、これは開いた傘を持った横顔の女性の半身像ですが、解説でも「写実的要素が感じられ、特定の人物を描いているかのよう」で、「恒富作品の中でも他に類例を見ない画風」と指摘されています。

 「雨後」は、ぱっと見て、昭和らしさを感じる作品ですね、大正とは違った感じの。
 このことは大切で、そのあとに展示されている「いとさんこいさん」、それを考えるヒントを与えてくれます。

 いとさんこいさん

 展示場前の撮影コーナーの看板。ちょっと拝借、これが「いとさんこいさん」です。
 この作品は、昭和11年(1936)の作なのですが、どうも女性の顔が写実であると感じられます。

  いとさんこいさん

 これも場外の看板なので色が飛んでますが(笑)、顔は特定の人物ではないでしょうか?
 
 ちなみに、姉妹の着物の柄は、あざみ(薊)になっています。他の作品解説に書いてあったのですが、あざみは美人の印だとか。そいういう意味でも、この姉妹は特定の女性なのではと憶測してしまいます。


 恒富の後継者たち

 恒富を継承する画家たちも「画塾『白耀社』の画家たち」として紹介されています。
 私には、このコーナーもよかったですね。

 近代の大阪画壇では、女性画家の活躍が著しいのですが、有名なのは島成園でしょうか。代表作は「祭りのよそおい」(大正2年)ですが、私の行った日にはすでに展示替になっていました。

 島成園の父・栄吉は堺の絵師(襖絵師)だったそうですが、以前、雑誌「演芸画報」を見ていたら、島文好という人が「昔の見物と今の見物」という随筆を書いていました(大正4年2月号)。明治初期の観客について書いた文章なのですが、この人が成園の父のようです。つまり、お父さんは結構な芝居好きだったらしい。

 今回展示を見て感じたのは、大阪の画家は、みんな芝居を結構見ていて、画題や描き方に芝居の影響があるのではないだろうか、ということでした。

 成園と並ぶ大阪の女性画家・木谷(吉岡)千種、この人の夫は木谷蓬吟(ほうぎん)で、浄瑠璃や芝居に通じ、ことに近松門左衛門の研究家で、『道頓堀の三百年』『文楽今昔譚』などの著書がある人。
 だからというわけではないですが、今回、千種の代表作「をんごく」を改めて見て、これは芝居の舞台面のようだなぁ、という印象を持ったのです。まるで、客席から見る舞台を逆にした(つまり舞台上から客側を見た)みたいだと思ったのでした。

 油屋の店内から、千本格子越しに、道を歩く「おんごく」(盂蘭盆の行事)の子どもたちが見えます。それを家人の娘が格子の隙間から覗いている構図。娘と外の子どもたちは画面左側におり、画面の右は格子と暖簾などが描かれています。
 図版では感じないのですが、実際の作品を見ると、左右に長く感じさせる画面が、まるで舞台のようなのです。

 七夕

 あと興味深かったのは、橋本花乃「七夕」(昭和5、6年)ですね。
 7人の女の子、小学生くらいの子どもたちが、短冊に字を書いたり、笹に付けたりしている、そんな作品。
 ここに登場する女の子の髪型は、みんなおかっぱです。
 
 おかっぱは、女の子が髪を結んだり編んだりすることが多かった当時、とても都会的(モダン)な髪型でした。絵には、刈り上げられた青いうなじも描かれています。
 特に、右から2人目の女の子は、ヘアピンで髪を留めて耳を出しています。新しい感覚ですね。

 左から2人目の女の子の着物は、紅葉が流水に流れる柄ですが、それが鹿の子絞りのように表現されています。
 これはおそらく、昭和初期に流行った疋田(ひった。疋田絞り)だと思うのですが、絞っていなくて染めている簡便なもの(絞りのフェイク)です。これが大阪でも大流行だったのですが、たぶんそういう柄なのでしょう。

 こんなふうに見ていくと、この「七夕」という作品も、画題は古風ですが、とてもモダンな都会の子ども風俗が描かれていることが分かります。

 そんなことを考えながら拝見した「北野恒富展」でしたが、素晴らしい展覧会でした。
 私は最近、大正時代のお芝居のことや社会事情などを調べているので、その意味でも大いに興味が湧いたものです。

 会期末まであとわずかですが(7月17日まで)、ぜひご覧いただきたいと思います。

 
 いとさんこいさん




 北野恒富展 なにわの美人図鑑

 会場  あべのハルカス美術館
 所在  大阪市阿倍野区阿倍野筋
 交通  JR「天王寺」、近鉄「大阪阿倍野橋」下車、すぐ



スポンサーサイト

コメント

非公開コメント