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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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心学を始めた石田梅岩の生誕地を亀岡に訪ねて





石田梅岩生家


 亀岡の奥にある生誕地

 週末、亀岡に用事があり、クルマで出掛けました。

 京都府は南北に長く、かつては北から丹後、丹波、山城と3国が連なっていました。亀岡は、丹波に属し、丹波のなかでも南の端に位置する口丹波(くちたんば)という地域にありました。
 私の父祖も、この口丹波の出身で、亀岡より少し北方にある旧船井郡の出です。そこは現在では南丹市(なんたんし)となっていますが、南丹は口丹波の別称です。

 亀岡に来るのは久しぶりでしたが、用件のあと時間があったので、史跡を訪ねることにしました。
 江戸時代、当地から出た町人学者・石田梅岩の生誕地です。

 JR亀岡駅から、府道407号を南下。山道を曲折して、10kmばかり離れた奥まったところ、クルマでは15分くらいの場所に石田梅岩の誕生地はあります。山の中といってもよいかと思います。
 現在では、亀岡市東別院町となっています。

 東別院町
  のどかな東別院町の風景

 東別院町のグラウンドの脇が、梅岩の生家です。


 農家の次男に生まれて 

 田植え

 集落は、田植えの季節を迎えているようです。

 道路脇に「右 心学石田先生誕生地」の石標が立っています。

  心学石田先生誕生地

 この標識も、大正3年(1914)に建てられたもので、古くから史跡として大切にされていたことが分かります。

 石田梅岩生家

 田んぼの向こうに生誕地が見えます。
 入母屋の農家ですが、石垣と塀があり、長屋門もあって、立派な構えです。
 ゆるい坂を上って、門の脇から母屋をうかがいました。

 石田梅岩生家全景
  石田梅岩生家

 のぞいてみると、母屋の前で3人の方が話をされていました。
 おはようございます、と声を掛けると、今日はこれから田植えなのだといいます。

 お忙しいところにお邪魔してしまったわけですが、年配のご主人はお茶を出して、椅子を進めてくれました。

 湯呑

 湯呑に「梅岩先生誕生之地」とあって、微笑ましいんですね。

 家には、石田という表札が掛かっているので、ご主人も梅岩ゆかりの方だと思われました。
 
 それから、15分ばかり梅岩とこの村についてお話をうかがいました。書物に説かれていることも含めて、紹介してみましょう。

 石田梅岩は、江戸時代の初め、貞享2年(1685)、この家に生まれました。
 現在、この場所は亀岡市内になっています。当時は、丹波国桑田郡東掛(とうげ、東懸)村でした。
 江戸時代、亀岡は亀山藩といいましたが、ここは亀山藩領ではなく、南の高槻藩領(現・大阪府高槻市)でした。生家の前を通る街道は、茨木街道などとも呼ばれ、摂津の茨木・高槻に通じているのです。
 梅岩の母上も高槻の唐崎の出身だったそうです。
 
 ご主人によると、石田家は「東北の流れ武者」で、この地で農業を営みました。梅岩、幼くは勘平といったそうですが、本人によると「理屈者」で、友人には嫌われたといいます。
 次男だったので、11歳で京の商家に奉公に出ました。しかし、主家の経営が傾き、一旦実家に戻ります。23歳になり改めて京へ奉公に上り、その頃、神道の布教を志したといいます。
 勉学には熱心で、商売で出掛けるときは懐中に書物を忍ばせ、朝は朋輩が起きる前、夜は皆が寝静まったあと書物をひもといて勉強に励みました。
 梅岩の学問は、おおむね独学ですが四書五経や仏教・神道書など幅広く学んだようです。

 20年ばかり奉公し続けたのち、享保14年(1729)、45歳のとき、車屋町通御池上るで講義の席を開きました。
 いま、その場所にはそれを示す案内板があります。

 石田梅岩講社旧跡
  梅岩の心学講舎跡(車屋町通御池上る)

 聴講無料、女性も含め誰でも聞きに来てください、という開かれた姿勢で、京の商人たちに支持され、のちには大坂などでも人気を博します。
 
 いま、梅岩のご子孫は東京におられるといいます。上の話でも分かるように、私をもてなしてくれたご主人は梅岩のお兄さんの子孫ということになりますね。


 心学の教え
 
 梅岩の教えは、のちに心学、あるいは彼の苗字を取って石門心学と呼ばれます。
 その特徴は、竹中靖一氏の解説が分かりやすくおもしろいので、紹介しておきましょう。

 1729年(享保14)悟りを開き、無縁の町人を集めて聴講無料の講釈を始め、日本における社会教育の草分けとなった。
 文学になずむ学者を文字芸者とののしり、生きた学問を求め、朱子学を中心としながら、神道や仏教や老荘をも取り入れた。

 当時世の中で卑しめられていた商人を市井の臣とし、社会的職分遂行の上では商人も武士に劣らないと主張するとともに、商人の反省を求め、悪徳商人を非難して商業道徳の確立を説き、商取引は1対1の対等の場で自由に行われねばならぬと主張した。

 月に3回商家の主人たちを集めてゼミナールを開き、弟子の養成に努めた。
 主著『都鄙問答』はそのときの問答の抜粋である。
 倹約を正直の徳と結び、すべての道徳の基礎においた。(後略) (『大百科事典』「石田梅岩」)


 たぶん梅岩という人は、幼少時より少々かたくなで人付き合いが苦手、しかしそれをきまじめに捉えて、性格改善しようと心掛けたのでしょう。
 それにしても、「社会的職分遂行の上では商人も武士に劣らないと主張」したというところなど、いかにも商人であった彼らしい思想といえるでしょう。


 お墓に参る

 石田梅岩生家

 母屋の逆側には、梅岩記念公園という小さなスペースがあり、財団の建物もあります。

 石田梅岩記念公園
  梅岩記念公園

 この一画には、梅岩遺愛の蓮を植えた池もあります。
 ただし、シーズンはこれからなのですが。

 遺愛の蓮
  遺愛の蓮池

 さらに、奥の山腹には墓所がありました。

 石田梅岩墓所

 石田梅岩墓

 ご主人が教えてくださった通り、墓石には石田勘平の名と、延享元年(1744)9月24日の没年月日が刻まれています。
 墓は、東山区の鳥辺野墓地、延年寺にもあるそうです。




 石田梅岩生誕地

 所在  亀岡市東別院町東掛
 見学  梅岩記念公園は自由
 交通  京阪京都交通バス「東別院グランド前」下車、すぐ



 【参考文献】
 『日本思想大系 石門心学』岩波書店、1971年
 『心学開講280年記念 今よみがえる石田梅岩の教え』亀岡市立文化資料館、2009年
 『梅岩の教え』石田梅岩先生顕彰会
 田尻祐一郎『江戸の思想史』中公新書、2011年
 『大百科事典』平凡社、1984年


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