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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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内側から見た百年前の京都 - 松田道雄『明治大正 京都追憶』 -

京都本




  明治大正京都追憶 松田道雄『明治大正 京都追憶』岩波書店


 恒例、春の古本まつり 

 5月の大型連休、京都では毎年恒例の古書市があります。
 場所は、岡崎公園のみやこメッセ(京都市勧業館)。

 みやこメッセ
  みやこメッセ

 主催の京都古書研究会は、今年で40周年。
 春の古書大即売会も、35回目を迎えたそうです。

 私の学生の頃は、まだ勧業館も古い建物(戦前のいわゆる近代建築)で、その2階への階段を上ったところにある広い会場で開催されていました。
 そこで買った古書から発想したテーマで、後年論文を書いたこともあります。
 そんな懐かしい思い出のある古書市です。

 もちろん、30年余り通っていると、最近ではもう1冊1冊並んでいる本をしっかり見ていくこともなく、大づかみに本の群を一瞥して探すようになってきました。
 どの古書店さんも、同じジャンルの本は固めて陳列されますから、そういう探し方でいけるのですね。
 それでも、気が付くと、すぐ2時間、3時間と経っています。

  春の古書大即売会

 毎回、およそ、こういう分野の本を探すか、という方針はあるのです。
 ただ今回は、見て回っているうちに、京都に関する随筆でも探そうか、という気になってきました。


 明治・大正の回想

 そのなかで目に留まったのが、松田道雄『明治大正 京都追憶』です。

 松田道雄さんというと、京都の小児科医で、『私は赤ちゃん』や『育児の百科』など育児書の著者として有名ですね。そのせいで、私はこれまで読んだことはありませんでした。
 しかし、著作リストを見ると、京都に関する本も何冊か出しておられます。
 本書は、『花洛―京都追憶』というタイトルで、昭和50年(1975)に岩波新書の1冊として刊行されたものです。

 もとは京都新聞に連載され、それを岩波新書として刊行しました。しかし、著者によると「花洛」という言葉は多くの京都ファンには知られていないものでした。そのため、新書としては多くの人には迎え入れられなかったようですが、20年後、改題して同時代ライブラリーとして日の目を見たのでした。

 松田さんは明治41年(1908)茨城県生まれで、生後6か月で京都に越してきました。そのため、本書には明治末頃から大正時代にかけての京都の町の様子が克明に記されています。

 松田家は、茨城から聖護院(左京区)に移って来、すぐに東丸太町の仲小路に転居しました。

 東丸太町
  東丸太町  写真中央が教会

 鴨川に架かる丸太町橋を渡り、少し東へ行ったところ、教会の南側へ入ったところだったそうです。

 鴨川の東だったこのあたりの丸太町通が、拡げられたのは大正元年(1912)だったといいます。

 丸太町通に電車を通すので、北側に道をひろげはじめたのは、大正元年である。
 丸太町通がせまかったころを見ているはずだが、思い出せない。丸太町橋の東詰に、熊野神社の鳥居があったといわれると、知っているような気もする。熊野さんと聞いて思い出すのは神殿でなく、高い木のしげった森である。梢にたくさんの鳥がとまって鳴いていたのをおぼえている。

 熊野さんから東は、田んぼがつづいて、先のほうにお辰稲荷の森が見えた。この辺の記憶があるのは、父が学生のとき下宿していた鹿ケ谷の農家によく行ったからである。

 お辰稲荷の森をすぎると、岡崎町の人家が見え、そこに池があり、池のそばに岡崎神社があった。神社から東北にまがっていくと、鹿ケ谷の農家の集落が大文字山の麓に見えてくるのだった。(42ページ)  


 丸太町橋付近
  丸太町橋から東(熊野神社方面)を望む

 熊野神社は、現在では、丸太町通と東大路の交差点の北西にあります。
 かつて、その鳥居が丸太町橋の東詰にあったのは、松田さんが書いておられる通りです。いまでは想像できないですね。

 それ以上に想像不能なのは、熊野神社からさらに東を眺めると、お辰稲荷神社が見えたということです。お辰稲荷は、現在の武道センター(かつての武徳殿)の北東ですね。

 明治末の東丸太町付近
  左の青丸が丸太町橋、右がお辰稲荷(京都市街地図、明治44年)

 これは明治末の東丸太町付近です。
 丸太町通は、まだ拡幅前で、市電も二条通を走っていました。

 大学病院の南に丸太町通があり、その南に「絹糸紡績」と書かれた大きな工場があります。松田さんの家の東側でした。
 子供心にも、「高くて長い塀」があり「繭(まゆ)を煮る異様なにおいが私たちを遠ざけた」と回想されています。

 丸太町橋が木造からコンクリートにかわったのは大正二年の八月だ。市電を通すためである。
 少しあとに市電全通のお祝いの催しが円山公園であった。これをおぼえているのは、母とショーちゃんとで夕涼みに円山に行ったところ、祝賀の提灯をもらったのがうれしかったからである。 

 (中略)

 電車がついて丸太町はにわかに賑やかになった。(75-76ページ) 

 
 大正初期の東丸太町付近
  大正2年の東丸太町付近(京都市街全図)

 地図を見ると、現在の東大路のところまで丸太町通が拡幅されています。
 赤線の市電は、熊野神社前で南に折れています。

 通りの南の絹糸紡績は鐘紡に合併されました。
 そのさらに南には、琵琶湖疏水の夷川ダムが水をたたえています。

 私もふらっと、夷川ダムを訪ねてみました。
 とても、のんびりしたいいところですね。

 夷川ダム
  夷川ダム

 私の父など、昔ここで水泳していたそうです、踏水会(とうすいかい)に入って。
 写真の右奥に、踏水会の古い建物が写っていますね。


(この項、つづく)




 書 名  『明治大正 京都追憶』
 著 者  松田道雄
 刊行者  岩波書店(同時代ライブラリー)
 刊行年  1995年(原著1975年)


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