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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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妙心寺の浴室は「明智風呂」

洛西




妙心寺浴室


 七堂伽藍のひとつ<浴室>

 禅宗の七堂伽藍というと、三門・仏殿・法堂・僧堂・庫院(庫裏)・東司(便所)・浴室の7つです。中軸線上、およびその左右に配置されます。
 東司(西浄ともいう)は、僧侶が起居する場ともなる僧堂に接しておかれ、およそその反対側に浴室が建てられていました。浴室は宣明とも呼ばれ、文字通りお風呂です。

 禅宗寺院では、日々の常住坐臥すべてが修行。トイレに行くのもお風呂に入るのも修行でした。もちろん、用の足し方、風呂の使い方にも規則があり、定められた道具を用いて定められた順序で行いました。


 浴室の外観をみると

妙心寺

 妙心寺は、七堂伽藍が比較的よく残されている禅宗寺院ですが、現在見られるものは桃山時代から江戸時代にかけて再建されたものです。仏殿と法堂もそろっていますが、仏殿は文政10年(1827)、法堂は明暦2年(1656)で、かなり大ぶりな建物に映ります。

妙心寺仏殿・法堂
  仏殿と法堂(ともに重文)

 今回の話題は、重要文化財の浴室です。三門の右手(東)にあります。

妙心寺浴室

 桁行五間で、梁間は正面五間、背面三間。切妻造、妻入りの建物で、入口の上には唐破風が付けられています。
 後に述べるように、もとは天正15年(1587)に建立されたものですが、現在の建物は明暦2年(1656)築。法堂などと同じ年です。

妙心寺浴室 唐破風

妙心寺浴室 懸魚と蟇股

妙心寺浴室 蟇股

 ここでおもしろいのは、蟇股の彫刻です。これが何の模様なのか、とても難しいですね。渦巻くものは、一見すると菊のようにも見えますが、拡大してみると、どうも雲らしい。下には波もあります。波に雲。ところが、天沼俊一博士の説明を読むと、中央左にワシ爪(3本爪)のようなものがあって、それが“龍の脚”なのだそうです! 言われてみないと分かりませんが、「龍が昇天する所」を彫ったものと推測されています。
 そこまでこらなくても! という意匠で、感心してしまいます。

妙心寺浴室

妙心寺浴室 煙出し

 浴室ですので、屋根には蒸気を出すための煙出しが付いています。この浴室の場合、棟上に大きな煙出しが設けられています。このように屋根をうがって出す形もあれば、建物の背面の壁から出す場合もあります。下の写真は、相国寺の浴室ですが、背面に煙出しがあります。

相国寺浴室 相国寺浴室

 湿気対策に、しっかりと漆喰が塗られています。珍しいタイプかも知れません。


 お風呂の内部は?

 室内に入るとどうなっているのでしょうか。
 平面図を掲げておきます。

妙心寺浴室
  典拠:大場修『風呂のはなし』鹿島出版会

 図の右が入り口です。入り口を入って、網掛けの部分が土間になっています。ここは入浴する際、順番待ちをするスペースで、支度をするところ。また土間の正面には跋陀婆羅(ばっだばら)菩薩が祀られています。
 そこから段を上がると、板敷のスペースになっています。ゆるい傾斜が付いていて、使った湯水が中央の溝に流れるように工夫されています。
 そして、浴室中央にある、ほぼ正方形の区画が風呂屋形。蒸し風呂です。唐破風のある小部屋で、下の潜り戸から入ります。中ほどの戸は蒸気を抜くもの、上方には採光のための戸があります。
 後方はカマドがある区画。蒸気を出すものと、湯を沸かす釜2口があります。水は外の井戸から引いてきます。
 左上の畳敷きのスペースは、住持などが入る際に使う脱衣・休憩室といいます。

 ここは蒸気風呂、現代風にいえばサウナだったわけですが、桶に湯を汲んで身体を流すことはやっていたようです。ただ湯船はないので、つかるわけにはいきません。
 もちろん、身体を洗う作法もあり、なかなか窮屈そうですね。
 
 内部は、毎日拝観を受け付けています。
 京都の禅寺の浴室の中でも旧状をよく伝えるもので、いつでも見られるのが魅力です。

妙心寺鐘楼 浴鐘楼

 なお、浴室の左隣(北)にある鐘楼は、かつてはお風呂が準備できたとき(「開浴」)に合図として鳴らされていた浴鐘楼で、春日局の寄進になります。いまの鐘楼は、戦後焼失後に再建されたものです。


 「明智風呂」のいわれ

 この浴室は、いつの頃からか「明智風呂」と呼ばれています。もちろん、明智光秀ゆかりの風呂です。
 『増補妙心寺史』によれば、本能寺の変で織田信長を討った後の光秀の行動は、およそ次のように記されています(要約)。

 6月2日のたそがれ、光秀の軍勢は勝鬨をあげて妙心寺に引き上げた。長年の宿怨を晴らした光秀は心置くこともないので自害しようと仏殿に礼拝し、辞世をしたためた。このとき、妙心寺の僧が光秀の気持ちを悟り、自刃を戒めた。

 光秀没後5年の天正15年(1587)、塔頭である太嶺院の僧・密宗が光秀の菩提を弔うために、この浴室を建てたといいます。密宗は、光秀の叔父にあたる人物です。
 このような建立の経緯から、ここは僧侶たちの入浴の場としてだけでなく、光秀を供養する場として長く用いられていました。

 明智光秀は余り人気の高い武将ではないようですが、彼にまつわる伝説を史跡で目にするたび、少しずつ同情の念が強まるのでした。




 妙心寺 浴室(重要文化財)

 *所在 京都市右京区花園妙心寺町
 *拝観 浴室・法堂 大人500円ほか
 *交通 JR花園駅より、徒歩約3分



 【参考文献】
 大場 修『風呂のはなし』鹿島出版会、1986年
 川上孤山『増補 妙心寺史』思文閣、1975年
 木村静雄『妙心寺-650年の歩み』小学館、1984年
 芳賀幸四郎ほか『京の禅寺』淡交社、1960年
 天沼俊一『日本建築細部変遷小図録』星野書店、1944年
  



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