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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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光秀ゆかりの「明智門」は、ほかの門とともに移動した

洛東




南禅寺金地院明智門


 南禅寺金地院の「明智門」

 南禅寺の塔頭のひとつ金地院。歴史の教科書にも出てくる金地院崇伝(以心崇伝)の寺としても知られています。

 金地院を訪ねて、拝観窓口から左に進むと、小ぶりな唐門があります。これが、明智門です。

南禅寺金地院明智門
 明智門

南禅寺金地院明智門
 明智門懸魚

南禅寺金地院明智門
 明智門大瓶束

 この門は、よく知られているように、大徳寺から移築されたものです。
 18世紀後半の大徳寺の様子を捉えた「都名所図会」(1780年)。

都名所図会より大徳寺

 センターライン上に、勅使門、山門、仏殿、法堂と並んでいます。法堂の右手には方丈があるのですが、その門が明智門でした。

都名所図会より大徳寺明智門

 赤い矢印のある門が、明智門。その名の通り、明智光秀ゆかりの門です。

 光秀は、天正10年(1582)6月2日、本能寺で織田信長を討ちます。その後、豊臣秀吉らの反抗に会い、6月13日、自身も果てるのですが、その間に五山や大徳寺などに銀を寄進しています。大徳寺には、銀子100枚を寄進しました(『大日本古文書』のうち大徳寺文書)。明智門は、光秀の冥福を祈るために、その銀を用いて方丈の南門として建てられたと伝えられます(『龍宝山外志』)。
 光秀の冥福云々については、よく考えねばならないと思いますが、「明智門」の名はここに由来します。

 ちなみに、「都名所図会」にも「方丈門ハ明知[ママ]光秀寄進なりといふ」と記されていますので、江戸時代の人達もよく知っている話だったのでしょう。


 金地院の門は……
 
 江戸時代、大徳寺にあった明智門ですが、明治になって南禅寺金地院に移築されました。以下に述べる事情から、明治10年代のことと考えられます。

 まず大徳寺ですが、金地院に明智門を譲った後、その位置に山内にあった「日暮門」を移築します。日暮門は、聚楽第の遺構と考えられる国宝の唐門です。以前紹介しましたので、詳しくはこちらをどうぞ ⇒ ≪国宝・大徳寺唐門は、聚楽第の遺構≫

 では、金地院側はどうだったのか。
 明智門が移築される前、そこには何があったのか?

 実は、別の門があったのです。

豊国神社唐門 豊国神社唐門

 この門、京都国立博物館の北にある豊国神社の唐門(国宝)です。京都の門のなかでも、西本願寺の唐門などと並んで華麗な門のひとつですね。この唐門が、明智門の前に金地院にあったのです。

豊国神社唐門 豊国神社唐門

 入母屋造の四脚門で、前後に唐破風を付けた大きな門。明智門とはスケールが違います。金地院側としては相当スケールダウンした印象です。
 豊国神社唐門は、もともとは伏見城の門と伝えられます。ということは、およそ1590年代(文禄・慶長頃)の城門だと考えらえるでしょう。実は、金地院の本堂(方丈)も伏見城遺構と伝えられていますから、ここには伏見城から複数の建物が移築されていた可能性があるわけです。
 
 ところが明治維新後、東山・阿弥陀峰に祀られていた豊国大明神が山麓に境内を賜り鎮座することになったのです。これが豊国神社で、明治11年(1878)に起工し、明治13年(1880)に竣成しました。その神門とするため、金地院の門が豊国神社に移築されたのです。たしかに、伏見城の遺構であれば秀吉を祀る神社の門としてはふさわしいといえますね。
 門を豊国神社に譲った金地院は、大徳寺から小さな明智門を移築したというわけです。


 まとめると、

 【豊国神社唐門】国宝
(桃山時代)伏見城に建立[伝] → (江戸時代)金地院に移築 →
(明治初期)豊国神社に移築……現在に至る

 【明智門】
(桃山時代)大徳寺方丈に建立 → (江戸時代)大徳寺方丈に →
(明治時代)金地院に移築……現在に至る

 【大徳寺唐門】国宝
(桃山時代)聚楽第に建立 → (江戸時代)大徳寺に移築 → 
(明治初期)大徳寺方丈に移築……現在に至る

 どうでしょうか。
 3つの門が微妙に絡み合いながら、玉突きのように動いています。
 光秀ゆかりの明智門は、豊国神社が創建されたことが引き金になって、大徳寺から金地院に移築されたのでした。
 日本の木造建築は、ばらしたり組み立てたりが自在ですから、何度も移築することができ、このような奇妙な現象も生じるのですね。
 それぞれの譲渡、融通の詳細は、さらに考えてみないといけないようです。

南禅寺金地院明智門
内側からみた南禅寺金地院「明智門」




 南禅寺金地院

 *所在 京都市左京区南禅寺福地町
 *拝観 大人400円ほか
 *交通 地下鉄蹴上駅下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 「都名所図会」1780年
 『国宝重要文化財 大徳寺唐門勅使門 修理工事報告書』京都府教育庁、2003年
 『京都市の地名』日本歴史地名大系27、平凡社、1979年



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