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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

川勝政太郎「京都の街路の名」を読んで

京都本




通り名


 昔の随筆を読む

 いきなり脱線めきますが、最近 “ポスト・トゥルース” とか “フェイク・ニュース” というのが流行っていますよね。流行りというのは変ですけれども。
 自分の見解を述べる際には、客観的事実に基づいて発言するのは当然のこと。ところが、なかなかそうじゃないケースが多い昨今です。
 
 それとはまたずれるのですが、若い学生たちを見ていると、何かを調べるときに、だいたい今現在の参考文献を読んでくるわけですね。最たるものはインターネット情報ですし、書物でも2000年代になってからのものが多い。そんな傾向です。

 それとは逆に、私が薦めるのは、できるだけ古い参考文献を読もう、ということ。
 例えば、そのテーマについて、戦前の学者はどういうことを言っているのか、さらにさかのぼって明治時代はどうっだったのか、など。
 何も、最新の研究だけが優れているのではありません。その時代時代でさまざまな調査・研究がなされており、それを参照することはとても有意義なことです。

 特に、時代によって人が関心を持っていることは相当異なります。
 なので、違った時代の文献を読むと、自分が思いもよらない指摘に出会えることも多いのです。

 ということで、京都の話でも折にふれて古い書物を繙きます。
 今日は、昭和35年(1960)に出された『新編 随筆京都』を開いてみました。
 「新編」というタイトルの通り、『随筆京都』は戦前に出ているのですが、これはその戦後版というところ。京都本の老舗・白川書院から刊行されました。いまから半世紀以上前、私などの生まれる前の随筆集です。
 カバーに「日本の一流文人による文学的京都案内記」と宣伝文句があるところなど、時代を感じさせます。


 場所の示し方

  新編随筆京都 『新編 随筆京都』白川書院

 ここに、川勝政太郎氏の「京都の街路の名」というエッセイが載せられています。
 川勝政太郎と言えば、京都で著名な古美術研究家で、石造美術の研究などで知られています。

 この随筆は、こんな一節から始まります。

 京都の地理に不案内な人から「大宮へ行きたいのですが、どう行けばよいのですか」と言う風な質問を受けることがある。大宮と言えば或る地点を指すものだと思つているらしい。「大宮のどこへ行きたいのですか」と問い返すと相手は変な顔をする。大宮というのは京都の北から南へ貫通している街路の名だから、それだけでは目的地がはつきりしないのだと説明しなければならない。(88ページ) 
 
 こう述べて、京都では例えば「大宮三条」というふうに、南北の街路と東西の街路の交差点を指すことで地名を示すのだ、と言っています。

 このことは今日では京都以外の方にもよく知られていることでしょう。
 川勝氏によると、こういう表現は意外に古くて、すでに「平安時代の中頃、即ち藤原道長などが現われた頃」になると、高倉とか室町、油小路といった現在でも用いる街路名が登場し、タテヨコの路名の交差点によって地点を示す方法も起ってきたらしい、と言います。例えば、「大宮与三条」というふうな表現です。「与」は「と」ですから、“大宮と三条” という言い方です。案外古いのだなぁ、と思わせます。

 御幸町通


 通り名の覚え歌

 京都市内の地理を知るには従つて数多い縦横の街路を暗記する必要がある。何通の東が何通と言うことを覚えなければ、それこそ足も出せないことになる。以前、地方から京都の商店へ謂(い)わゆる丁稚奉公に来た少年が先(ま)ず課せられたことは、この街路名を覚えることであつた。(90ページ)

 これは大事な指摘なのです。
 私は、大阪でも同じことを聞いたことがあります。

 京都や大阪は、地方から奉公に上がる子供たちが多かったわけですが、彼らは、番頭さんなどから「どこそこまで、これ届けて来て」などと言い付けられたのです。
 地図など使わない頃、その場所は「○○町だ」と表現していたのでは、市街全部の町名を暗記しなければ用が足せません。
 このとき、例えば「その店は、四条室町や」というふうに言うと、四条通と室町通の交点へ行けばよいのです。実に合理的な指し示し方なのですが、通り名だけは最低限覚えなくてはなりません。

 京都も大阪も、市街地の街路には全て名前が付いています。こういうことは世界的にも珍しいのだと何かの本に書いてありましたが、本当かどうか、よく分かりません。
 いずれにせよ、京都の街路には、便宜のために通り名が付いています。
 そして、それを覚えるための歌が存在したのです(ちなみに、大阪にも同様の歌がありました)。

 [縦街] 丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条。
 [横街] 寺御幸麩屋富柳場、高間ノ東ガ車屋町、烏両替室町ヤ、衣新釜西小川。

 これだけで北は丸太町から南は五条まで、東は寺町から西は小川までが記憶される。又この域内が明治頃までの京都の重要な地域であつたことがわかる。(90ページ) 


 そう、よく知られているこの歌は「京都の重要な地域」も示しているのですね。

 通り名マップ


 地名の読みぐせ

 そのあと、川勝氏は、これらの通り名には読みぐせがあると言い、親切にすべての通り名の読み方を掲出しています。
 これを読むと、随筆が書かれた半世紀前と今日とでも若干の変化があることに気付きます。

 まず、「姉小路」。
 これは「あねこうじ」ではなくて、「あねやこうじ」と「や」を入れて読んでいます。
 ところが、随筆では「あねがこうじ」と「が」になっていて、「俗に「あねやこうじ」」と書かれています。50年前は、少しばかり古風に「あねがこうじ」と言っていたわけです。

 次に、「松原」です。
 これは「まつばら」じゃないの、と思います。
 でも、川勝氏は「まつわら」と書いています。
 「まつわら」かぁ…… そう言っていたんですね。

 その南の「万寿寺」も、「まんじゅじ」ではなくて「まんじゅうじ」だとしています。
 これはたぶん(ちょっとずれますが)、伏見区の「中書島」を「ちゅうしょじま」ではなく「ちゅうしょうじま」という類ですね。この方が言いやすいわけです。

 続いて縦の通り。
 「御幸町」は、「ごこまち」で、「幸」を「こう」と言わないのですね。これは現在でもこうなっています。

 烏丸通の1本西にある「両替町」。
 これは「りょうがいまち」と、「りょうがい」と読むのが習慣だそうです。

 そして、「室町」。
 これはもちろん「むろまち」でよいのですが、「古い習慣では「もろまち」と言う」とされています。「もろまち」ですか。

 あとは、「釜座」が「かまんざ」とか、「小川」が「こがわ」だとかいうことで、後者は今では「おがわ」と言っているのでしょうか。

 こう見てくると、微妙な部分とは言え、現在とはいろいろ変わっていることが分かります。
 こんなことも、些細なことに思えますが、地元の人にとっては大事なことでしょう。
 いまの本だけ読んでいるとなかなかわからないことばかり。やはり、たまには古い本を読んでみるものですね。




 書 名  『新編 随筆京都』
 編 者  臼井喜之介
 刊行者  白川書院
 刊行年  昭和35年(1960)



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