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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

岐阜県で見た京都からの技術伝播

建築




どんぶり会館


 地方へ伝わる産業技術 

 京都新聞のウェブサイトを読んで、2020年は “丹後ちりめん300年” ということを知りました。
 先日から、“応仁の乱550年” に関心を持っていただけに、○○年 というのを見ると、敏感に反応してしまいます(笑)

 記事によると、丹後ちりめんは峰山出身の森田治良兵衛が、西陣で学んだ技法を丹後に持ち帰って創始したものだそうです。それが、1720年のことだと言います。
 1720年というと享保5年。暴れん坊将軍、じゃなかった、米将軍(米公方)として有名な徳川吉宗が享保の改革を断行していた頃ですね。
 西陣と丹後は技術や人の交流があったのですが、現在、京丹後市にある830の織物事業所のうち、9割は西陣織専業なのだそうです。
 
 この例から分かるように、歴史的にみて産業先進都市であった京都からは、各地へ先端技術が伝わっていったのでした。


 岐阜県多治見市の “タイルの里”

 たまたま、昨日は仕事で岐阜県多治見市を訪ねていました。
 博物館の友の会で、同地への見学会を行ったからです。

 多治見は、かつての美濃国の東の方、いわゆる東濃地域の中心都市です。
 美濃焼の産地として知られています。

 私たちが訪れたのは、笠原町というところ。
 10年ほど前、多治見市に合併されたのですが、それまでは笠原町で、大正12年(1923)までは笠原村でした。

 ここも焼き物の産地ですが、古くは飯茶碗の産地として有名でした。一村あげて茶碗ばかりを造っていたわけです。

 笠原茶碗
  笠原茶碗

 美濃焼の窯がある村々は、“ウチはこれ!” という1品に特化した生産を行っていました。
 例えば、市之倉という村は盃(さかずき)、駄知という村は丼、下石(おろし)という村は徳利というふうに、それぞれに全国のトップシェアを誇っていました。行ってみると小さな村々なのですけれどね。

 そのなかで、笠原は茶碗の村だったのですが、昭和の初めになって、タイル生産を始めました。建築に用いるモザイクタイルです。
 現在も、笠原の事業所の多くはモザイクタイルを手掛けています。岐阜県のシェアは全国の85%にのぼり、そのほとんどが笠原で作られているのだそうです。
 私たちが見学させてもらったカネキ製陶所でもこれを製造されていて、とりわけマンションなどの外壁用タイルを数多く作られていました。

 タイル見本 タイルの見本

 このような製品で、よくイメージするモザイクタイルよりは大きいのですが、5cm×15cm程度の細長いタイル。外装モザイクタイルというものです。

 
 笠原への技術伝播

 カネキ製陶所は、大正7年(1918)の創業で -来年100周年ですね!-、最初は茶碗の高台を作っていたのだそうです。高台(こうだい)は、茶碗の一番下の接地している部分ですね。
 私的には、高台づくり専業だったのか! と、ものすごく興味がわいたのですが、詳しいことは聞きそびれてしまいました。
 その工場がタイル生産に転換したのが、戦後復興のさなか、昭和21年(1946)のこと。茶碗からタイルへと移り変わったのです。

 そんなタイルの町・笠原なのですが、そこでタイル生産を始めた人物が、山内逸三(1908-92)でした。
 山内は明治41年(1908)、笠原に生まれ、地元の土岐窯業学校を卒業したあと、京都にやってきます。京都市立陶磁器講習所で学ぶためでした。
 陶磁器講習所は、もともとは明治29年(1896)に創立された京都市立陶磁器試験所がルーツです。全国各地から集まる若者たちに技術を伝習することも行われ、大正9年(1920)に陶磁器講習所となったのでした。
 
 山内も15歳の時、この講習所で学び始め、6年ほど京都に滞在。実際に工場で経験を積んだりして、昭和4年(1929)、笠原に帰郷します。
 そこで彼が行ったのは、釉薬を施したモザイクタイルの製造でした。これを施釉磁器モザイクタイルと言います。
 訪れた多治見市モザイクタイルミュージアムの学芸員さんによると、この施釉をしたという部分が山内の画期的なところで、これにより壁面などを装飾するモザイクタイルが興隆したのだそうです。

 多治見市モザイクタイルミュージアム
  多治見市モザイクタイルミュージアム

 山内のモザイクタイルは、当時、大阪・御堂筋に建築された大阪ガスビルで使用されるなど、さまざまな建物で用いられます。
 彼が作った大ぶりの陶板などを見ると、ちょっと芸術的ですね。

 このように、昭和から現在に至る笠原のモザイクタイルの歩みは、なかなか興味深いものです。
 その技術者が京都で育まれということは、京都という場所が先端技術のインキュベーターだったことを示しています。こういう話を知ると、私たち京都の者にとってもうれしいですね。


   どんぶり

 


 多治見市モザイクタイルミュージアム

 所在  岐阜県多治見市笠原町
 見学  大人300円ほか
 交通  JR中央線「多治見」からバス




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