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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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応仁の乱の西軍の将・山名宗全の邸宅跡を訪ねてみた





山名宗全邸跡


 上京で展開した応仁の乱

 史上名高い応仁の乱(1467-77年)は、10年以上の長きにわたって京都の街中で闘われた戦です。
 細川勝元率いる東軍と山名持豊(宗全)率いる西軍が対峙して、地方の武将も参戦し、長期間戦ったのです。

 当時、室町時代の京都は、上京(かみぎょう)と下京(しもぎょう)という2つの地域に分かれていました。
 上京は、足利将軍の御所があり、公家や武家の邸が集まっているところ。分かりやすく、ざっくりと言えば、現在の相国寺~京都御所の西のエリアです。
 一方、下京は商工業者が集住していた地区で、現在の三条、四条あたり。祇園祭で山鉾を出す地域です。

 応仁の乱は、貴顕が住む上京で展開されたのでした。

 前回の記事では、東軍は「東陣」を構えて戦った、という話でした。
 東軍の陣は、室町幕府の御所(花の御所)を中心としてエリアでした。
 当時の陣は、史料に「城」という言葉で表現されるように、堀を持った要塞でした。東軍の場合、(北)寺之内-(東)烏丸-(南)一条-(西)小川という広い範囲を堀と土塁で囲んだのです。このような要塞を「構(かまえ)」と呼んでいます。

 これに対し、西軍の大内政弘は、東陣を見張るために高さ約30mもある櫓(やぐら。「井楼(せいろう)」という)を建てて見張ったと言います。また、東陣を攻める際にも、高さ4m近くある櫓を造って、攻撃を仕掛けたと言います。それだけ高い土塁があったのでしょう(『図説 京都ルネサンス』)。

 公家や武家は、自らの邸を堀と土塁で囲み「構」化したので、市街各所に構が続出することになりました(『応仁の乱』)。
 例えば、細川成之邸に造られた構は、彼が讃岐守だったことから「讃州陣」「讃州構」などと称されていたようです。

 応仁の乱では、このような籠城戦というか攻城戦が行われたので、戦いが長期化したのだとも考えられています。早くも戦国時代の戦の様相が先取りされていたわけです。


 山名邸跡を訪ねる

 今回は、西軍を率いた山名持豊(宗全)の邸宅跡を訪ねることにしました。

 堀川通
  堀川通

 堀川今出川の交差点から少し北に上がり、五辻通のさらに先の通りまで歩きます。ガソリンスタンドが目印です。
 ガススタンドの北のマンションに、小さな石標が建っています。

 山名宗全邸跡石標

 「山名宗全邸址」と刻まれています。
 ちょっぴり小さいので、“がっかり名所” 的な感じがするのも事実。
 でも、それにめげずに、もう少しふらっとしてみましょう!


 町名も「山名町」 

 京都でよく言われる冗談に、京都の人が「この前の戦争」と言ったら応仁の乱を指す、というのがあります(笑) その真偽はさておき、いにしえの記憶が街に刻まれているのも事実です。

 山名町

 碑の建つ道は、こんな静かな家並み。国の登録文化財である藤田家住宅などもあります。
 左側には2つのコインパーキングが。

 Times のパーキング名を見てみると……

 タイムズ看板

 「タイムズ堀川山名町」。
 
 そう、この場所の町名は、山名町なのです。

 応仁の乱から550年が経過していますが、いまだに山名宗全の名が町名に使われている。これもまた京都らしいと言うべきでしょうか。江戸時代には、山名辻子(づし)もあったようです。
 ちなみに、この乱に参加した畠山氏の名を取った畠山町などもあります。
 

 もうひとつの石碑

 少し歩くと……

 山名宗全邸跡

 町家と町家の間に案内板が。
 そう、ここもまた山名邸跡を示す石碑なのでした。

 山名宗全旧蹟碑
 
 「山名宗全旧蹟」と書かれています。
 それにしても、こんな狭いすき間に石碑とは…… たぶん広大だった山名邸が、こんな小さくなったとは。

  山名宗全旧蹟碑 山名宗全旧蹟碑

 でも、碑としてはこちらの方が立派で、史跡に来たという感じがしますね。

 山名邸は乱の中で焼亡し、宗全も文明5年(1473)、陣中で亡くなりました。
 

   消火器箱




 山名宗全邸跡

 所在  京都市上京区堀川通今出川上る西入山名町
 見学  自由 
 交通  市バス「堀川今出川」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 佐藤和彦ほか編『図説 京都ルネサンス』河出書房新社、1994年
 呉座勇一『応仁の乱』中公新書、2016年



 



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