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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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新京極にあった2つの松竹ビルは、インバウンド需要でホテルに変貌





松竹第3ビル建替


 松竹兄弟と新京極 

 新京極と言えば、京都のなかで観光客が多いエリアのひとつで、土産物店などが多数並んでいます。

 いまでこそ面影が失われたものの、明治時代より、この通りは京都随一の興行街でした。劇場、映画館、寄席など、庶民に娯楽を提供する施設が集中していました。

 現在、演劇・映画の大手・松竹も、ここを創業の地としています。松竹は、明治10年(1877)生まれの白井松次郎と大谷竹次郎という双子の兄弟により創業されました。弟の竹次郎は、明治28年(1895)、新京極の阪井座の興行主となり、そのことを以て同社の創業としています。

 このあたりのことは、『大谷竹次郎演劇六十年』に書いてあるので、引用しておきましょう(一部句点を補い、適宜改行しました)。

 大谷(竹次郎)が十七、八歳の頃、父の栄吉は祇園館の縁から、新京極の「道場の芝居」といはれた「阪井座」の売店の経営を初め、やがてその歩(ぶ)を持つに至つた。
 
 興行に歩を持つとは、共同出資の金主(きんしゅ)の一人になることで、阪井座、大黒座、その他新京極の劇場は金主が三人、五人で金を出し合つて経営し、いづれも他に本業がある人達が片手間や道楽で興行してゐた、
 栄吉もその仲間でどこまでも売店が本職であつたが、芝居の歩を持つ金主であれば、興行師と呼ばれるのに何のさしつかへもなく、又劇場で「旦那」と敬称されるのにも、誰に遠慮もなかつた。しかるに栄吉は自ら旦那と呼ばれない位置に立つた。

 (中略)

 大谷の父栄吉が、それほどの金主、京都の阪井座の金方(きんかた)になりながら、旦那と呼ばれぬ位置に立つたのは何が原因かといふと、次興行の金主と定まると栄吉は、大谷を膝元に読んで、
「竹次郎、お前、俺の代りに阪井座の仕切場に坐つてんか、来月からお前はこの阪井座の金主や、御仕打はんやぜ、ええか」

 売店の荷を肩にした大谷は、父の言葉に無言で棒立ちとなつたまゝだつた。(11-13ページ)  


 父に才覚を認められた竹次郎は、阪井座の金主(共同出資者)になるのでした。
 一方、兄・松次郎は……

 その頃、松次郎の方は、父の手元を離れ、(新京極)夷谷座の売店全部の権利を握つてゐた白井亀吉のところに働きに出てゐたが、その亀吉の家は夷谷座に隣接し、劇場内と外の通りに店があり、寿司が本業で俗に三亀の名で手広く商売をして居り、娘の「おしか」「お八重」の二女は年頃で、京極の小町娘とうたはれていた。

 その亀吉に見込まれた松次郎は、妹娘のお八重の恋婿に選ばれ、長男の身を、他姓を冒して白井松次郎となつた。(13-14ページ) 


 お兄さんは、これまた才能を買われて、誓願寺前にあった劇場・夷谷座の仲売り・白井亀吉の娘婿候補となり、養子に入ったのでした。


 松竹第3ビルの建て替え

 いつも松竹のことになると、この兄弟のことを語ってしまいます。もちろん、松竹自身も創業者を大切にされているのは当然で、この看板をご覧ください。

 松竹看板

 上記のように、新京極・阪井座の興行主として創業したと記しています。
 末尾の「新京極通りで創業し、ご当地京都の皆様に育てていただいた松竹は……」といった言い回しが、歌舞伎の興行主らしくもあり、京都っぽくもあります。

 で、この看板はどこに掲げられているかというと……

 松竹第3ビル建替え

 この工事現場のフェンスに張ってあります。
 場所は、新京極四条を上がって約50mのところ。ここには、かつてSY松竹京映という映画館がありました。

 ちなみに、さかのぼると……

  SY松竹京映
    ↑
  SY京映
    ↑
  京極映画劇場 
    ↑
  歌舞伎座 (明治33年~昭和11年)
    ↑
  阪井座 (明治25年~33年)
    ↑
  四条道場芝居

 という感じです。(『近代歌舞伎年表 京都篇』)

 昔、この場所には金蓮寺(こんれんじ)という時宗の寺院があり、場所柄、俗に四条道場と呼ばれていました。
 そこに出来た芝居小屋が、“道場の芝居” です。

 これが、阪井座となり、さらに歌舞伎座となりました。京都にも、歌舞伎座という名前の劇場があったわけです。
 この歌舞伎座は、明治の終わり頃には活動写真館になっています。

 そういう歴史を持つ劇場・映画館でしたが、2001年に映画館が閉館したあとは、商業ビルとして利用されていました。ビルは、松竹第3ビルと称していたのです。

 旧SY松竹
  かつての松竹第3ビル

 1階にカジュアル衣料品店・ライトオンなどが入っていました。
 ビル壁面には、松竹マークがありました。

  松竹マーク

 ビルは、2016年に解体され、2017年2月現在、更地になっています。
 あのマークはどうなったのかなぁ、なんて思ってしまいます。

 と、ここまで書いて、今日なぜこの記事を書いているかという理由が出て来ます、ようやく(笑)

 松竹が2月7日(2017年)に行ったプレスリリースによると、2018年の秋、この場所にホテル&商業施設の複合ビルが建設されるというのです。
 そのビル名は「京都松竹阪井座ビル」!
 なんと、明治中期の劇場名をビルの名前にしたのです。

 リリースによると、ビルは地上9階建で、1階がテナントの店舗、2階から9階がホテル・東急ステイになるそうです。


 六角のピカデリー跡地もホテルに
 
 一方、新京極を上がった六角の角は、明治初期から夷谷座という劇場でした。白井松次郎の養父が中売りをしていたところです。
 戦後は、京都ピカデリー劇場という映画館として賑わいました。ビルは、松竹第2ビルと言いました。

 旧ピカデリー劇場
  旧ピカデリー劇場

 こちらも、壁面の松竹マーク&劇場名が何とも言えませんね。
 私も学生時代など、ここに映画を見に行きました。

 残念ながらすでに取り壊され、新しいビルがほぼ竣工のようです。

 ホテルグレイスリー京都新京極

 この夏、ホテルグレイスリー京都新京極(仮称)としてオープンするそうです。客室はツインルーム128室。
 運営は藤田観光ですが、すでに近所の寺町通にできているホテルグレイスリー京都三条とあわせ、ちょっとしたホテル街になりますね。
 ちなみに、藤田観光は、京都ではホテルフジタや京都国際ホテルを閉館していただけに、再度地歩を築いていきそうです。

 松竹系の劇場や映画館がホテルに変貌するというのも、時代の流れなのでしょうか。
 京都の繁華街らしい新京極を引き続き見守っていきたいと思います。




 阪井座跡

 所在  京都市中京区新京極通四条上ル中之町
 見学  自由
 交通  阪急電鉄「河原町」下車、徒歩約1分



 【参考文献】
 脇屋光伸『大谷竹次郎演劇六十年』講談社、1951年
 『近代歌舞伎年表 京都篇』10、八木書店、2004年



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