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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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先斗町にある「鴨川の見える場所」は、かつて……





鴨川河川敷


 鴨川から見た先斗町

 京都で暮らすものが、ほっとする景色のひとつが鴨川ですね。

 鴨川
  四条大橋たもとから三条大橋方向を望む

 川べりの堤防も歩けるので、川との距離が近いですね。
 私は、もっと上流の方で育ったのですが、小中学校の頃は、いつも川に入って遊んだりしてました。賀茂川は意外に浅かったので、じゃぶじゃぶと歩くことができたのです(三条・四条あたりは深いので入らないように、念のため)。

 三条と四条の間、写真に写っている建物は先斗町(ぽんとちょう)界隈です。

 鴨川

 今回は、この写真から見える風景がテーマです。
 なにか気付きますか?


 先斗町のナゾの空間

 写真の中央あたりです。
 
 近寄って、クローズアップしてみると……

 車道橋跡

 わかるでしょうか、家と家が離れていますよね。
 それで、向こう側の建物が見えています。このスペースは、いったい何なのでしょう?

 車道橋跡

 こちらからは上れないので、先斗町の通りに行ってみましょうか。

 先斗町
  先斗町

 京都を代表する花街のひとつ、先斗町。細い街路の両脇にお茶屋さんや飲食店が並んでいます。
 四条通から、100mほど北上すると……

 先斗町

 右に道みたいなのがある、問題の場所です。

 曲がってみると!

 車道橋跡

 広場みたいになっています。
 お地蔵さんもありますね。

 お地蔵さん

 鴨川がよく見えます。
 修学旅行生なども、よろこんでますね。

 河川敷

 と、現地に来てみたものの、ここには答えは書いてありません。
 さて、どうするか。

 みなさんに考えていただいている間に、私は地図を持ってくることにします。


 明治時代の地図をみると……

 木屋町をご案内した際に使った明治44年(1911)の地図を持ってきました。
 いまから約100年前の京都の様子を表しています。

 どうやら、ここに答えが載っているようです。

 車道橋

 青い丸で囲ったところ、橋があったのですね!

 その名は「車道橋」。「くるまみち」橋と読むのでしょう。
 四条大橋の約100m上流に架かっていたのです。比較的狭い木の橋でした。

 この橋は、別名「竹村屋橋」とも称しました。
 幕末の絵図には画かれていないので、明治時代にできたのでしょう。
 橋なので対岸に渡れるのはもちろんのこと、納涼イベントなどの際には、臨時の昇降道を橋に付けて河原に降りられるようにしたそうです(「明治後期の京都鴨川における河川空間の広場的利用に関する研究」)。
 鴨川は、古くから河原が広く、納涼や芸能の場となっていました。明治時代にも、そういう状況があり、車道橋が活用されたということですね。

 一説には、大正8年(1919)に撤去されたというのですが、地図を見る限り、昭和初期にも画かれているので、そのあたりまでは架かっていたようです。昭和10年(1935)の鴨川の洪水の際に流されたという話もあり、そちらの方が正しいのかなと思います。


 名前の由来

 ところで、この橋の名前なのですが、竹村屋橋という呼び名は、おそらく架けた人か付近の店の屋号(竹村屋)に由来すると推測されますね。
 一方、車道橋という変わった名称は何に由来するのでしょうか?

 下の絵は、幕末に刊行された「花洛名勝図会」(1864年)に描かれたこの付近です。

 花洛名勝図会より鴨川
  右の橋は四条大橋(「花洛名勝図会」1864年より)

 矢印のところ、荷車を曳いた牛が見えますか?

 江戸時代、荷車は橋を渡ることが許されていなくて(橋が傷むから)、河原におりて川の中を渡っていたのですね。
 鴨川には、主な橋の脇に、渡る場所がありました。「花洛名勝図会」を見ると、白川などでもそうしていたようです。

 絵をよく見ると、上の矢印のところ、家並みが途切れて河原に下りるスロープが付いているのが分かるでしょう。場所は、どうやら三条大橋の下流を描いているようです。

 このような荷車の渡るところを車道と呼んでいました。

 ということは、四条大橋の北側にも、かつては車道があったのでしょうか。
 そのあたりに架けられた橋ということで、車道橋と呼ばれたのでは、と思います。

 なお、車道については、2度ほど書いていますので、そちらもご覧ください。

 記事は、こちら! ⇒ <牛で荷物を運んでいた時代、三条通の白川はどう渡った?>
  ⇒ <鴨川に架かる荒神橋の脇にあるナゾの小道とは?>

 ずいぶん前ですが、三条大橋と四条大橋の間に、橋を架けるというアイデアが出されて大騒動になったことがありました(結局ボツになったのですが)。それは、まさにこの車道橋の再生といった感じでした。

 先日、たまたま映画「本能寺ホテル」を見ていたら、冒頭、主人公(綾瀬はるか)がチラシをもらうシーンが、まさにこの場所で驚きました。

 映画のカットで

 映画のカットは、こんな感じ。
 たぶん、狭い先斗町の中で、カメラを置く引きがあってよかったのでしょうね(笑)




 車道橋跡

 所在  京都市中京区四条通先斗町上る鍋屋町
 見学  自由
 交通  京阪「祇園四条」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 「花洛名勝図会」1864年
 「本願寺宗祖大師御遠忌記念 京都市街地図」1911年
 林倫子「明治後期の京都鴨川における河川空間の広場的利用に関する研究」(「景観・デザイン研究講演集」6、2010)



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コメント

知っておられますか?

京都先斗町の竹村家橋がかつてあった場所のたもとのあの空間に関西電力の大きな変圧器?が五つも設置されます。ショックです。
先斗町の景観を良くするための無電柱化の為だそうですが、
逆にあの空間を台無しにして、
京都市の考えが信じられません。
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