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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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【駅から、ふらっと1時間】京阪・祇園四条駅から木屋町を歩く(その1)





四条大橋


 駅から歩く、1時間の小旅行 

 京都は、昔から市街地に鉄道が余り走っていないところで、JR(東海道線・山陰線)や京阪は街の外縁部を通っているし、阪急も戦後まで四条大宮止まりでした。
 もっとも、大阪市なども、かつては国鉄や私鉄は市街地には乗り入れておらず、京都より徹底していたように思われます。

 そのため、街中の公共交通は明治以来、市電であり、京都の場合、昭和53年(1978)まで活躍していました。
 その後、地下鉄が敷設され、現在は烏丸線と東西線があるのはご存知の通りです。

 ですから、今年の新企画<駅から、ふらっと1時間>も、JRや阪急、京阪などの鉄道駅からスタートするほか、地下鉄駅が起点になることも多いと思います。

 申し遅れましたが、この企画は、タイトル通り、駅から歩いて1時間ほどで楽しめる “小旅行コース” をご紹介するものです。
 基本は、A駅から歩き始め、B駅で終了するワンウェイになっています。
 
 京都の場合、駅から30分も歩けば、必ずと言ってよいほど由緒ある古社寺があるものですが、この企画ではそういった場所にこだわらず、ビビットな京都の街の姿を紹介できればと思っています。

 では、さっそく第1回の旅に出掛けてみましょう。


 京阪・祇園四条駅からスタート 

 京阪電鉄・祇園四条駅は、2008年までは「四条」駅と呼んでいました。京阪電鉄の京都市内の各駅が「神宮丸太町」「清水五条」などというふうに改称されたもののひとつです。
 駅名の通り、駅は四条通との交点にあり、駅の東方は花街・祇園のエリアです。

 駅は、四条大橋東詰の地下にあります。

 京阪四条駅
  京阪・祇園四条駅

 背後のビルが早くも気になりますが(笑)、スタートする前に今回のコースを紹介しておきましょう。

 四条ー三条ルート
 青線がコース。下の●が祇園四条駅、上の●が三条駅
 (明治44年=1911年刊行の地図による)

 祇園四条駅をスタートし、四条大橋を渡り、高瀬川沿いの木屋町を北上します。終点は京阪・三条駅です。距離は、約1km。ふらっと見て歩いても、1時間のコースです。

 では、スタートしましょう!

 まず、おすすめは、四条大橋でゆっくりと時間を取ること。
 北側の歩道から、上流を眺めてみましょう。

 鴨川

 遠くに北山の山並みが望めます。
 京都は、北と東西を山に囲まれた盆地です。

 そこを北から南に流れる鴨川は、大阪の淀川や東京の隅田川などに比べると川幅も狭いのですが、堤が散策路のようになっていて、川に近付くことができるのです。
 まず、四条大橋の南側に下りてみましょう!

 四条大橋

 四条大橋の左にそびえる建物は、東華菜館(トウカサイカン)です。名前の通り、老舗の中国料理店。
 大正15年(1926)に建てられた近代建築で、当初は矢尾政(やおまさ)というレストランでした。戦後、東華菜館となりました。
 国の登録文化財になっており、設計はW.M.ヴォーリズです。
 
 東華菜館
  東華菜館 左は料亭ちもと

 空に突き出す塔屋が印象的ですが、全体がベージュっぽい色合いで、多彩な装飾を施したスパニッシュな建物です。
 正面玄関に付けられたテラコッタ(陶板)の飾りも見どころです。

 東華菜館 東華菜館玄関細部

 内部も、開業当初のエレベーターがあったりと興味が尽きません。ここで食事して、1時間の小旅行を終えるのも一興かも?


 景観が変わる四条大橋 

 東華菜館の正面が見えるのは、四条大橋西詰。交番の前ですね。
 交番の脇を下に降りる階段がありますので、そこから再び鴨川の堤防に下りてみましょう。

 南座と菊水ビル

 すると、四条大橋越しに2つの建物が見えてきます。
 左がレストラン菊水、右が南座です。

 菊水も、大正15年(1926)に西洋レストランとして開業しました。
 こちらもベージュ色の建物ですが、塔屋が表現派のようで目立ちますね。
 南座は、少し遅れて昭和4年(1929)の開業。いずれも登録文化財です。

  レストラン菊水
   レストラン菊水

 このように、昭和初期、四条大橋の両側には立派な西洋建築がそびえることになりました。おだやかに東山を望む景色は一変したことでしょう。

 大正初期の四条大橋
  大正初期の四条大橋(『新撰京都名勝誌』より)

 これは、大正初期の四条大橋の風景です。西から東を見ています。
 奥の右端に南座がありますが、余り大きな建物は建っていません。
 ちなみに、四条大橋は大正2年(1913)に架け替えられていました。

 昭和初期の四条大橋
  昭和初期の四条大橋(『京都名勝誌』より)

 ほぼ同じ位置から撮影しています。
 中央に、大きく菊水が写っており、景観の変化がうかがえます。おそらく、菊水側から見ると、矢尾政(東華菜館)がドーンとそびえ立っていたことでしょう。

 なお、四条大橋の下(西側堤防)には「四条大橋の歴史」という案内板があり、古い写真も掲出されているので、あわせて見てみると楽しめます。


 木屋町を上がる

 スタート地点の四条大橋のまわりだけでも、かなり時間を食いそうです(笑)
 実は、もうひとつ興味深い点があるのですが、それは改めて取り上げるとして、歩を先に進めましょう。

 四条ー三条ルート

 四条大橋を西へ進むと、最初の信号が高瀬川との交点です。架かっている橋は、四条小橋と言います。
 上の地図を見ると、高瀬川の脇に赤い線が引いてあるでしょう。これは、市電の線路を示しています。

 現在の私たちからすると、“あの狭い木屋町通に路面電車が走っていたの ! ? ” と思いますが、そうなのです。
 当時、河原町通は、今のように拡幅されておらず、木屋町(きやまち)がメインでした。市電は、二条通以北は寺町通を、それ以南は木屋町通を走っていたのです。

 木屋町通
  木屋町通

 この幅でも、市電が走っていたの! と驚きますが、昔の広かった高瀬川を埋めて拡幅して、ようやくこの幅員になったのです。

 いま(2017年1月)、木屋町を歩くと、高瀬川の工事が行われています。年度末には終わるかな?

 高瀬川
  高瀬川

 この通りは、高瀬川沿いであるだけに、片側町の様相を呈しています。
 材木商が多かったことに由来するという、そんな町の名を持つ木屋町。高瀬舟による水運で賑わった木屋町。

 しかし今は、京都を代表する花街のひとつ、先斗町と背中合わせであるだけに、京都きっての飲み屋街であり、あえて古い表現で言えば、雑居ビルの立ち並ぶスナック街のようなところです。
 昼間、改めてこの街を眺めてみると、小さなビルが林立していることに驚きます。

 こう書くと「京都らしくない」と思われるかも知れません。
 たしかに、京都らしくない(笑) でも、それがかえって京都らしい気もする、そんな木屋町。

 どんな顔があることやら、次回はその辺を探ってみましょう。


 (この項、つづく)




 【コース】
 スタート:京阪・祇園四条駅 → 木屋町通 → ゴール:京阪・三条駅 【距離:約1km】



 【参考文献】
 『新撰京都名勝誌』京都市、1915年
 『京都名勝誌』京都市、1928年


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コメント

線路跡

京の街は、同じ所を何度歩いても飽きませんね。

クルマに乗って交通渋滞で時間を費やすより、余裕を持って歩く方が贅沢な時間の過ごし方に思えます。

京都へ行った帰途は京阪枚方市駅まで座って帰りたいので、夜に四条から木屋町か先斗町を三条まで歩くことが多く、言い換えれば昼間は余り歩かないのです。

それから、三条通のコンビニで何かを買って腹ごしらえしてから特急に乗りますが、樟葉駅の付近で眠ってしまって枚方市駅を通り過ごしたことが何度かあり、「眠ってしまいそうだ」と思った時は、立って帰るか準急に座って帰ることもあります。

調べたら、木屋町を通る路線は京都電気鉄道の伏見―京都駅間に続いて開業したようで、地図で木屋町二条の交差点を見ると、電車が寺町方面と岡崎方面へ向かって行ったと想像される幅になっていますね。

因みに、枚方市にも軍用鉄道の線路跡があり、機関車が曲がれるようになっていた為に、近所にある跡地の三叉路では歩行者が横断し易いように歩道がせり出して、その歩道の車止めにぶつかる車が跡を絶ちません。

木屋町

いつもご愛読ありがとうございます。

木屋町は、やはり夜に歩くことが多いわけですが、改めて昼間歩いてみると、なかなか面白いことが分かりました。
1軒1軒の雑居ビルなどを眺めていると、ちょっとした発見もあります。
観光客向けの「観光地」ではないでしょうが、こういう京都も面白いと思い、記事にしてみました。

京都も、大阪などと同様、昭和以前と以後では、都市計画の関係でだいぶん街が変わりました。
そのあたりも調べて行ければと思っています。
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