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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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2017年を「論壇」をめぐる言説から占うと……

その他




  中央公論  『中央公論』2017年1月号


 論壇から140文字の時代へ?

 2017年がスタートしました。
 本年も、よろしくお願い申し上げます。

 年末年始、少し充電しながら、年越しと迎春という時期のせいか、日本の、そして世界の来し方行く末について思いを巡らせました。
 そう言うと、ちょっと大袈裟ですが、変化が激しい世界情勢などを見ていると、どうしてもそんな気分になってきます。

 年明けの報道で話題になっているのは、やはりトランプ次期大統領。
 トヨタのメキシコ工場建設を批判したり、名女優メリル・ストリープに反論したりと、喧しい。その発信に彼が使っているのが、ツイッター。つぶやくや否や、世界中にその言葉が拡がります。
 トランプ氏は記者会見をせず、140字の一方的な発信しかしないという点が、政界やジャーナリズムからも批判されるようになってきました(ついに先日会見したようですが)。“140字の世界” は、まさに今日的な問題と言えるでしょう。

 雑誌『中央公論』1月号は、「論壇の岐路」という特集を組んでいます。
 明治20年(1887)、京都・西本願寺系の学生が発行した『反省会雑誌』から出発した『中央公論』は、戦前から日本を代表する総合雑誌で、今年130周年を迎えます。現存する国内の雑誌としては最長寿だそうです(同誌による)が、ルーツは京都にあったわけですね。
 言論界をリードしてきた老舗雑誌です。

 今号の特集は「論壇の岐路」ですが、論壇という言葉自体、あまり耳にしなくなったので、一応辞書の定義を確認しておきましょう。

 論壇(ろんだん)
 1 議論をたたかわせるために設けられた壇。論争の場所。演壇。
 2 言論界。 (『辞林21』三省堂)


 1の意味は、具体的な場所を指しており、それが転じて2になったのでしょう。
 いずれにせよ、議論をたたかわせる場が論壇ということで、論文等が掲載される雑誌も論壇になるわけです。

 特集は、山崎正和氏の寄稿「『論壇』の危機と回復への曙光」にはじまり、松岡正剛氏と佐藤優氏の対談、宇野重規・湯浅誠・渡辺靖の3氏の鼎談、そして15人の言論人からの提言などから構成されています。


 タコツボ化! 

 「言論人からの15の提言」は、いろいろな見解が披露されていて面白く読めました。
 そのなかで、複数の方が使っている言葉もあって、そのひとつが「タコツボ化」。

 批評家の東浩紀氏は、1990年代までは「論壇は元気だったように思う」と述べた後で、次のように指摘しています。

 しかし、論壇誌のいくつかは休刊となり、かつての活気はなくなってしまった。それはなぜか?
 原因は、保守に対抗するリベラルの軸がなくなったことに尽きる。2000年代に入ると、かつて活発だったリベラルの研究者、作家がそれぞれの現場に撤退し、タコツボ化してしまった。その結果、リベラルは全体を論じることができなくなり、部分しか語ることができなくなってしまった。(132ページ)


 対極の保守論壇が、差別的主張に走るなど問題を抱えながらも、「大きなヴィジョン、国家観を提示することに挑戦している」のに比べれば……、ということです。

 他方、現在のリベラル陣営は、それぞれの研究現場、たとえば労働問題や女性問題などの世界に引きこもってしまった。現場に寄り添うことで個々の声をよく拾えるようになったのは評価できる。しかし、政治はトレードオフで、ある人々を救済すれば、もう片方の人々は割りを食う。リベラルは、あらゆる弱者の声に寄り添おうとした結果、自己矛盾に陥ってしまった。一つの問題は語れても、大きなテーマを論じることができなくなってしまったのだ。(132-133ページ)

 これは、もう、専門家の世界の末端にいる私には、よく分かる指摘ですね。
 もともと、ほとんどの学者は自分の専門領域にしか関心がなく、そのため専門分化した学術雑誌にだけ投稿し、『中央公論』などの総合雑誌には寄稿しなかったわけです。ただ、一部の優れた学者たちは、東氏が言う「大きなヴィジョン、国家観」などにも関心を持って論壇に上がっていたのでした。
 近年、研究の細分化がますます進み、また研究者をめぐる環境も変化して、専門世界以外での発言をする必要性、モチベーションが感じられなくなってきたのでしょう。

 若手の国際政治学者・三浦瑠璃氏は、同じタコツボ化という言葉を別の文脈で使っています。

 最近の事例を見れば、トランプ大統領の誕生には、世界的な意味での論壇の危機という側面があったと思っています。同氏は米国において一定の民意を救い上げることに成功したけれど、それは、多様性の尊重や寛容の精神など、民主主義が築き上げてきたものを犠牲にするものでもありました。
 つまり、民主主義の機能不全に先立つものとして、責任ある市民同士の対話が成立していなかった。そのためにも、現代において論壇は、“社会の蛸壺化”に、特に抗う存在でなければならないのです。(157ページ)


 論壇のタコツボ化ではなく、「社会の蛸壺化」? ! 
 三浦氏は、なぜ社会が蛸壺化するかという点について、社会が成熟するにしたがって蛸壺化は進むものであるとしながら、現代社会において富が「専門知の集中」から生み出されることが蛸壺化を進めていると指摘しています。
 加えて、インターネットやSNSなどが対話のあり方を変えているせいだとも指摘します。

 平たく言えば、お金もうけをするとき、昔は工場で大勢の労働者を雇って機械を動かしていたけれど、現在では専門的な知識を高度に活用してビジネスをしなければならなくなった。つまり、カラダを使うよりアタマを使って金もうけするから、各人が知っていることのジャンルがバラバラになる。だから、共通理解ができなくなって、タコツボ化する、という理屈です。
 タコツボ化とは、それぞれの棲息領域が異なる、ということなのです。

 たとえば、私はコンピュータなどITに詳しくありませんが、それに詳しい人はたくさんいます。詳しい人は専門用語をいっぱい使って会話してきますから、私は全く理解できません。これがタコツボ化です。

 三浦氏は、このような社会状況を踏まえて、論壇やメディアは「蛸壺化に抗う存在」であるべきだと述べています。


 ポピュリズム?

 経済学者の猪木武徳氏は、違った表現でこの状況を述べています。

 少し専門的な論考になると、難しい、面白くない、という理由で歓迎されない。誰にでもすぐわかる短いものが求められる。しかし複雑な人間と社会をめぐる議論は、簡単に結論の出る「面白いもの」ばかりではないはずだ。で、結論は何ですか、と問いたがる読者の性急さにも、自分で答えを探ろうという粘り強さの欠如を感じる。
 批判精神が薄弱になり、党派性も強くなり、意見の違いを認めたうえで自由に議論をしようという寛容さがなくなった。異論・反論のないところに進歩はない。(136ページ) 


 先ほどの流れに引き付けて言えば、世の中がタコツボ化したため、自分が知らないジャンル、事象が多くなった。そのため「ムズカシイ」と感じる事柄も増えてきて、それをスルーする(無視する)ようになった、ということでしょうか。
 もちろん、昔から『中央公論』や『世界』や『文藝春秋』を読んで、粘り強く自分で答えを求めようとした人は、そう多くはなかったでしょう。でも、いまはさらにその数が減ったということかも知れません。

 また、猪木氏は、トランプ現象などを念頭に置きつつ、「安っぽい率直さが、理念を語ることを無力化してしまった」という危惧を述べています。至言です。

 140文字の率直な言葉が、ストレートに人々の言葉に染み込んでいく。それに慣れると、長い言葉を用いて、論理的に考えることをしなくなります。
 新聞や雑誌も、いわば飯を食うために、読者に好まれる記事を掲載する必要があります。猪木氏は、そうなると「公論(public opinion)としての議論や専門性」を避けて「読者の感情(popular sentiment)」に流れる傾向が生じる、と言います。

 ポピュリズムと言われる現代社会の難しい問題でしょうか。

 そもそも、論壇が成立するためには、「知識人と大衆」という図式が必要だと、社会学者・宮台真司氏は指摘します。
 「エネルギーはあるが方向性を知らない」大衆と、「規模は小さくエネルギーはないが方向性を知る」知識人が、一体化すれば社会全体が動く、という構図。知識人が論壇で意見を述べ、大衆をリードしていくわけです。
 しかし、宮台氏の見方では、この図式は1960年の安保闘争と1970年直前の学園闘争で崩れてしまったと言います。
 つまり、「知識人が当てにされなくなった」ということです。

 そして、現代では「感情的動員が巧みであれば、嘘八百でも道義的に不正でも人々を動員できるポピュリズム政治が常態化」したと指摘します(161ページ)。

 15人の論者の意見を読んでいると、日本の言論をめぐる難しい問題が浮き彫りになってきます。
 どうしてこんな状況になったのか、いろいろと思いはめぐりますが、長くなってきたので、それはまたいずれ。




 書 名  『世界』
 刊行者  中央公論新社
 


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コメント

史跡巡り

1月もあっと言う間に半ばになってしまいました。

新年を機に、HNをツイッターと共通にしました。

トランプ氏の武器として効果を発揮したと言われているツイッターだが、昨年よりTwitter社の経営不振に陥り、身売り先が決まらないというニュースが度々伝えられています。

確かに、日本では相変わらず人気が高いツイッターだが、140字という文字制限はアルファベットで呟くには短すぎ、更に多くのユーザーがツイッターアカウントを凍結された経験などから、他のSNSへ客を取られて、経営に行き詰まったと思っています。

確かに他人の名誉を毀損することは許されないが、何処までが社会常識として容認出来るか否かは、大いに主観によるところであり、多くのユーザーが身に覚えなくアカウントを凍結されたと感じているようです。

もしも自分がTwitter社の代表者なら、警告⇒一時凍結⇒永久凍結の手順を踏みますが、自分はAbemaTVに閉鎖されたチャンネルの再開を要望していて、突然永久凍結されました。

それで、Twitter社の凍結解除要請の手順に従って解除を要請しましたが、一切の返事が届きませんでした。

それで、今は別のメールアドレスで新たにアカウントを取得して使っていますが、Twitter社そのものが倒産すれば、この便利なネットワークが無くなる可能性もあるのです。

扨、間もなく日本第一党の各都道府県連本部の活動が始まれば、東京の党本部が主催している親睦会に習い、私も関西の党員の親睦会を開き、船越様のように史跡などを巡って講演する計画を練っています。

何故、そのようなことを企画したのかと申しますと、日本第一党にはお金が無いからで、党員の家族や友達と共に各自費用負担で史跡などに集まり、歴史に学ぶ政治学を面白可笑しく判り易く解説し、党員や支持者を増やそうと思い付いたからです。

既成政党の政治家だと、声高に政見を述べて支持者を得ようとしますが、自分はもっとソフトに物語風に喋って党員と支持者を増やすことを思い付いたのです。

尤も、党幹部は彼方此方の史跡に行って口八丁手八丁で講演出来る人材が党内にいるとは想像もしていないので、焦らずにユルユル活動を始めて行こうと考えています。

その折りには、船越様が書かれたブログの記事を参考にさせて頂きますので、宜しくご了承下さい。

ありがとうございます

ご愛読ありがとうございます。
京都市内は雪の一日となっています。

史跡巡りは1人でやっても面白いものですが、仲間と回ると別の楽しさがあります。
私なども、大勢の方をご案内する場合、いろいろと勉強したり下見したりして行っています。その際に、先学が著された書物などを参照しながら学んでいます。

このブログは断片的な記事ばかりですが、そういった参考資料になるようでしたら、ご活用いただければ幸いです。

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