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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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三十三間堂の正月行事「通し矢」、昔と今はどう違う?

洛東




三十三間堂通し矢


 正月の恒例行事「通し矢」

 毎年お正月、成人の日ころに行われる三十三間堂の通し矢。2013年は1月13日(日)に行われます。

三十三間堂通し矢

 この通し矢、現在では看板にもあるように「大的大会」と呼ばれていて、京都府弓道連盟と三十三間堂を管理している妙法院門跡の主催事業です。弓を射るのを場内アナウンスでは「奉射」と言っていますから仏事の面もあるのですが、歴とした弓道の全国大会です。
 振袖姿の若い女性が射ることで有名ですが、これは新成人女子の部。新成人男子の部もあり、一般の部もあります。朝の8時頃から始めるようですが、延々2000人くらい射るので、午後3時か4時頃までかかります。寒さの中で全部見学するのは至難の業。

 競技は遠的というもので、60m離れた大きな的を射ます。三十三間堂の西側でやるのですが、お堂の中央やや北から南に向けて射ます。三十三間堂は、南北の長さ(桁行)が約120mありますから、その半分の距離です。

三十三間堂通し矢
 *競技写真は全て2012年1月15日の模様

 射場の北側に集合です。

三十三間堂通し矢

三十三間堂通し矢

 12人横に並んで、一斉に射ます(実際には揃いません)。1人2本矢を持っていて、所要時間は2分ほどでしょうか。2射で何本当たったかを競います。
 
三十三間堂通し矢

三十三間堂通し矢

 的をめがけて射るのですが、競技ですから、もちろん審判が判定します。上の審判写真は女子の部のため、軒並み「×」。的に届かない人も多く、1本当たれば上出来です。2本当たると決勝進出ですが、女子の場合、2012年の例では10人ほどの難関でした。

 見学者は、射場の西側から見ることができます。無料ですので、ぜひどうぞ!


 通し矢は江戸時代に大ブレイク

三十三間堂通し矢(都名所図会)

 この絵は、おなじみの「都名所図会」に描かれた三十三間堂ですが、当然のように通し矢の場面となっています。
 場面のタイトルは「大矢数のてい(体)」。「大矢数(おおやかず)」をやっている様子、くらいの意味です。
 大矢数というと、国文学に詳しい方なら西鶴を思い出されることでしょう。長時間、休みなく俳句を作り続けることを「矢数俳句」などと言い、「大矢数」とも言いました。この呼び名は、一昼夜休まずにたくさん射る通し矢から拝借したネーミングなのです。

 お堂の手前には矢来(柵)が設けられ、見物人が群集しています。「見物さんじき(桟敷)」と記された小屋掛けもあって、今と似ていますね。
 ところが、現在と大きく異なる点があります。まず、射手はお堂の西縁の上に座っています。そして、南の端から北に向けて矢を放っています。絵の左隅に丸印を書いた板が見えますが、これが的なのでしょう。すると、距離も120mほどあるということになります。

 つまり、

 (1)南から北に射た
 (2)縁の上に座って射た
 (3)種目によっては、現在の倍の約120m射た
 (4)的に当てるというより、射通す(距離を射る)ことが目標だった

 などの点が、大きな違いです。

 江戸時代、一昼夜に何本射通すかを競う「大矢数」は人気の超絶競技でしたが、最高記録は8,133本! 毎分9本射通した勘定になる物凄さです。貞享3年(1686)に、紀州の和佐大八郎という若者が成し遂げた記録です。的中率は約6割。縁に座り、上に庇(ひさし)が掛かるという制約の中で遠的をやるわけですから、すごいの一言です。当時は、尾張藩と紀州藩の技比べが過熱していました。
 記録を出した大八郎の奉納額は、今も三十三間堂内に残されていて、見ることができます。


 お堂に当たる矢は……

三十三間堂通し矢

 通し矢が行われた三十三間堂の西縁です。
 当時は、お堂側を向いて縁に座り、まっすぐに射通さねばなりませんでした。右に逸れるとお堂に当たってしまいますし、距離を出すために高く射すぎると上の庇(ひさし)に当たってしまいます。直線的に100m以上射るには、かなりの剛腕が必要でした。
 そのため失敗は数知れず、その失敗対策、つまり建物をガードする必要が生じました。
 それが、下の写真です。

三十三間堂通し矢

 丸く出っ張った柱の部分に鉄板が巻かれています。これを「鎧(よろい)板」などと呼んでいます。
 慶安2年(1649)の修理の際に付けられました。

三十三間堂通し矢 三十三間堂通し矢
(左)刺さった矢の跡が残る (右)南半分だけ取り付けられている

 写真で分かるように、鎧板は南半分だけに付けられています。南から北へ射たためです。
 それでも鉄板に多数の穴が空いていますから、かなり強力な矢だったようです。

三十三間堂通し矢

 こちらは、庇の下にある組物。ここにもガードの鎧板が張られています。
 往時は、これらのプロテクターを掻い潜って多数の矢が刺さったようで、お堂の中には矢が無数に刺さった古材が展示されていて圧巻です。

 三十三間堂も、通し矢という観点で眺めてみると、また愉しいものです。


 三十三間堂通し矢




 三十三間堂(蓮華王院)

 *所在:京都市東山区三十三間堂廻り町
 *拝観:1月中旬の「楊枝のお加持・大的大会」当日は無料 ※平常は一般600円ほか  
 *交通:京阪七条駅より徒歩約5分



 【参考文献】

 「都名所図会」1780年
 『国宝 三十三間堂』妙法院門跡、2009年
 



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