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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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上賀茂神社の特別参拝で気付いた、ちょっとしたこと ー 神話について ー





ならの小川と石橋


 特別参拝でのご由緒の説明

 先日、上賀茂神社(賀茂別雷神社)に参拝した話の続きです。

 その日は、団体で特別参拝させていただきました。
 これは、ふだん参拝する中門よりさらに内側へ入らせていただき、本殿・権殿に近いところで参拝させていただけるものです。
 もっとも、本殿の前にある祝詞屋の手前から拝むので、本殿と権殿は下半分が垣間見えるくらいでした。

 参拝前、神社の方から15分くらいでしょうか、上賀茂神社についてのご説明があります。
 正式名称のことから、ご由緒、ご社殿などについての丁寧なお話です。

 そのなかで、おやっ、と思ったことがありました。
 それは、ご祭神に関する話でした。

 上賀茂神社の祭神は、賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)です。神社の正式名にもなっていますね。
 この神さまのお母さんが、玉依日売命(たまよりひめのみこと)です(漢字はいろんな字の当て方があります)。

 ある日、玉依日売命が川で遊んでいると、丹塗り矢(にぬりや)が川上から流れて来た。
 それを持ち帰って、床に挿し置いておいたら、男の子を授かった。

 という誕生神話があります。


 山城国風土記の賀茂伝説

 簡単に言うと、寝所に流れて来た矢を置いといたら、男の子が生まれた、という話なのです。
 あるいは、端的に言うと、矢は男性の象徴で、そのおかげで子供が出来た、ということですね。

 この神話は、「山城国風土記」逸文に記されているものです。あとで、少し詳しくみます。

 参拝の説明で、おやっと思った点は、この部分。
 神官の方は、丹塗り矢は天から降って来たと説明され、さらにお父さんは天津神(あまつかみ)だとおっしゃっいました。

 部屋の長押の上には、川を流れて来る矢を受ける玉依日売命の絵も掲げられています。どういうことかなと思いました。
 参拝の際に頂戴したパンフレットをよく見てみました。ここにも、同じ絵が掲載されているのですが、説明文には「上流より天降りし丹塗矢が流れて来た」と書いてあります。
 なるほど。流れて来た矢は、天から降って来たのか、と。

 さらに、後段には、別雷神が「我が父は天津神なり」と言った、と記されています。

 ならの小川

 「山城国風土記」逸文は、次のようになっています。

 玉依日売、石川の瀬見の小川に川遊びせし時、丹塗矢、川上より流れ下りき。乃ち(すなわち)取りて、床の辺に挿し置き、遂に孕みて男子を生みき。

 簡潔に、こう記されています。

 一方、自分の父の名を問われた別雷神が、それを答える場面は、こうです。

 人と成る時に至りて、外祖父、建角身命、(中略)子と語らひて言(の)りたまひしく、「汝の父と思はん人に此(こ)の酒を飲ましめよ」とのりたまへば、即て(やがて)酒杯を挙げて、天に向きて祭らむと為(おも)ひ、屋の甍を分け穿ちて天に升(のぼ)りき。
 乃ち、外祖父のみ名に因りて、可茂別雷命と号く(なづく)。謂はゆる丹塗矢は、乙訓(おとくに)の郡の社に坐(いま)せる火雷神(ほのいかつちのかみ)なり。


 男児(のちの別雷神)が成人して、母方の祖父・賀茂建角身命(かものたけつのみのみこと)ら大勢と祝いの酒を飲んでいた。
 そのとき、祖父が「あなたのお父さんと思う人に酒を飲ませてみなさい」と言うと、男児は屋根を突き破って、天に上った。
 外祖父の名にちなんで「賀茂別雷命」と名付けたのだが、例の丹塗り矢は乙訓郡の神社にいる火雷神のことである。

 というような伝説です。
 「山城国風土記」逸文には、丹塗り矢=お父さんは、乙訓郡の火雷神だとしています(異説に大山咋命とするものがある)。

 古事記などの神話では、天上の高天原(たかまがはら)にいる神さまが天津神です。
 別雷神が天の上ったということで、父上が天津神という考え方なのかと思います。

 このあたり、岡田精司氏が分かりやすく説明しておられます。

 新しくつくった御殿の天井をうちやぶって、盃をもって父神のいる天にのぼっていったというのです。これはふつうの人間わざではない、神のすることであって、しかも雷神の子であるが故です。なぜなら、天にのぼったということで雷の子であることが分かるのです。
 この頃は一般に、天なる神は雷神であると考えられていたようです。いわゆる高天原というのを想定していた宮廷神話の世界と、民衆の神話は大きなちがいがありました。(『京の社』46ページ) 

 
 ここで言われている宮廷神話というのは、もちろん古事記などのこと、民衆の神話とは風土記のようなものを指しています。

 神話の世界ですから、いろいろ解釈できます。
 私が興味深かったのは、伝説というのはこういうふうに出来ていくのか、というのが感じられたこと。
 ちょっと愉しかったです。


  藤木神社 藤木神社




 上賀茂神社(賀茂別雷神社)

 所在  京都市北区上賀茂本山
 拝観  境内自由 特別参拝は500円
 交通  市バス「上賀茂神社前」下車、すぐ



 【参考文献】
 『日本古典文学大系 風土記』岩波書店、1958年
 『日本古典文学全集 風土記』小学館、1997年
 岡田精司ほか『京の社』人文書院、1985年
 志賀剛『式内社の研究』3、雄山閣、1977年
 谷川健一編『日本の神々』5、白水社、1986年
 柳田国男「玉依姫考」(『定本柳田国男全集』9 「妹の力」所収)


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コメント

興味が尽きない神社ミステリー

ご存知とは思いますが、山城国風土記と似た話は古事記にも載っていて、こちらは勢夜陀多良比賣が厠で拾い上げた丹塗矢を床邊に置いたら麗しい壯夫になり、比賣多多良伊須氣余理比賣(神武天皇の皇后)が生まれた話です。

これは、大和での伝説が山城に伝わったのか、山城の伝説が大和に伝わったのか、定かではありませんが、似た伝説が複数の土地に伝わっているのは珍しいことではありませんね。

因みに、個人的には阿遲志貴高日子根神を祀る葛木の鴨の神南備(高鴨神社)の再興に尽くした賀茂建角身命が、山城国風土記に載っているように山代の葛野河のと賀茂河の合流地点に移り住む時に、祀っていた阿遲志貴高日子根神の分霊(賀茂別雷神)を奉斎したと考えています。

古事記には、伊邪那岐命が伊邪那美命を追って黄泉国に行かれた時、誓いを破って伊邪那美命を見て、伊邪那美命の身に八雷神が成っているのに驚き逃げ帰られた話が載っているが、この八雷神が天のカミナリではあり得ないのと同じく、賀茂別雷神の雷(いかづち)も天のカミナリでは無く、「御稜威が強い神霊」の意味だと自分は考えています。

社伝というものは古くから伝わっているように思えるが、例えば大和の飛鳥坐神社の祭神には多くの異説があるように、実際には結構忘却されているもので、それだからこそ「神社ミステリー」に惹かれ、探索を続けているのです。
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