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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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【大学の窓】勤労感謝の日に、大学教育を考える

大学の窓




大学キャンパス


 生産財としての学位と消費財としての学位

 今日は勤労感謝の日ですね。
 昔風に言うと、新嘗祭(にいなめさい)ですか。1年の収穫を感謝する日。祝日ということで、お休みの方も多いでしょう。

 少し回顧的になりますが、私は今の仕事に就い、てそろそろ四半世紀になろうとしています。
 世間的には「ベテラン」の類かも知れませんが、自分ではそういう気にはなれません。

 私は、大学の学部(文学部)を出たあと、大学院の修士課程に進み、さらに博士課程に入ったのですが、その途中で今の職に就きました。大学院を中退して就職したわけですが、当時から院生の就職口はたくさんあるわけではなかったのです。
 それでも、先輩や後輩で同業者になった人は多く、現在に比べると、就職はしやすかったのだと思います。ちょうどバブル期から、その直後くらいの時期でしたので。

 当時、大学進学率は30%程度でしたが、現在は約50%です。大学院に進む人も多いのですが、みな職探しには苦労している様子です。

 たまたま読んでいた上野千鶴子さんの『サヨナラ、学校化社会』(ちくま文庫)--少し古くて2002年の刊行ですがーーに、「学位インフレ時代」という言葉が紹介されていました。
 「修士号・博士号の取得者が増えて、学位の市場価値が下がってしまう時代。ひらたく言えば、学位を持っていてもどこにも就職できない人が増加する時代」(同書の注より)なのだそうです(131頁)。

 15年ほど前の著書にこういう指摘がすでにあり、上野氏自身は20年近く前から言われていたようです。

 さらに、上野氏は、学位を<生産財としての学位><消費財としての学位>に分けます。
 職業を獲得する手段になるのが、生産財としての学位。
 そうならないのが消費財としての学位。こちらは「学位を得ること自体が自己目的になる」というものです。つまり、例えば授業を受けていて、それ自体が楽しい、おもしろい、ためになる、という感覚を得られる、といったことですね。

 この点から言えば、就職につながらない修士・博士号は、生産財の学位であろうとして、そうなれなかったものを意味します。
 これは、学部卒の学士についても似たようなものでしょう。大学時代の後半2年間が就活タイムと化し、大卒という称号(?)が職業を得るための手段になっているわけです。

 一方で、上野氏が指摘するように、社会人入学が増え、学位=就職と結び付けない学生が増加すると、生産財としての学位は無意味になってきます。逆に、彼らは、消費財としての学位を求めるのです。
 そうなると、大学(院)の教育の質そのものが問われるようになってきます。そのとき、現在の大学は彼らの期待に応えられるのか?
 
 そこで私は、大学院に通ったことのある社会人にずいぶん取材しました。そういう人に会うたびにつかまえては、満足度はどうでしたかということを聞いてみた。

 そうすると、「若い人にまじって勉強するのが学生時代に返ったみたいでうれしい」とか、「学食(学生食堂)が新鮮」とかいろいろおっしゃるわけですが、そういう体験はどれも教育の周辺利益です。

 周辺ではなく核心ーーつまり、学校という制度が提供できる商品は授業であり、学校という制度のインフラは教育者という人材とカリキュラムですから、それに満足できましたか、ということを食い下がって聞くと、私が大学側の人間だということに遠慮してか、返事があいまいになっていく。
 (中略)
 ある私学の大学院の授業料は年間百万円だそうです。二年間で二百万円。それだけの金を使って修士号をとられたあるかたが、「私は修士号をとりましたが、そのための投資の二百万円に見合うとは思えません」とハッキリおっしゃいました。(133-134頁) 


 こういう認識から、「学校は授業で勝負せよ」、つまり教育自体の質を高めよという考え方につながっていくのです。

 大学校舎


 学生と教師の共犯関係

 日本の大学では、自分自身で研究を行っている研究者が、学生を指導する教育者でもあります。
 言い換えれば、大学教員=研究者+教育者なのです。

 笑ってはいけませんよ、大学の先生は教育者! でもあるのです。
 でも、教育に対してよりも研究に対して熱心な人が多いように見受けられます。そして、それが悪いことだと思われている節はなく、むしろ推奨(?)されているようにも思えます。

 これはたぶん、大学教育を消費財として捉える学生が少数派で、多くの学生は生産財=就職の手段だと捉えていたからだと思います。少なくとも、これまでは。

 大学(教育)を生産財=就職の手段と割り切ってしまえば、授業は手ぬるい方が有り難い。「楽勝」大歓迎!
 学生と教師の “共犯関係” が成立していたのですね。

 ところが、相手が社会人学生となると、これはもう勉強に真剣、勉学自体が目的ですから、共犯関係は成り立たないことになります。
 
 そこで、日本の大学に社会人学生がどれだけいるのか調べてみました。
 文部科学省の資料によると、4年制大学に占める25歳以上の入学者の割合は、わずか1.9%だそうです(2012年)。
 国際比較では、アメリカ約24%、イギリス約19%など、OECD各国の平均は18.1%です。いかに日本が低いかが分かります。

 また、大学院での比率は、18.2%です(2014年)。

 なんだか、まだまだ共犯関係が続きそうな気配が……

 毎年のことですが、1年の授業が終わりに近付いてくると、指導力不足で自責の念にかられる私です。
 他人のことをあげつらう前に、自分の教育力をアップするのが先のようです。




 【参考文献】
 上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』ちくま文庫、2008年
 「社会人の学び直しに関する現状等について」文部科学省、2015年


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