きょうの散歩 - まいまい京都で、大阪・谷町ツアーに行ってきました - 2016.10.30 -
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大阪マラソンの当日に…
秋晴れの10月末の日曜日。
いつもお世話になっている<まいまい京都>のみなさん約20名と、今日は大阪ツアーに出掛けました。
場所は、谷町四丁目(大阪市中央区)付近。
開催日を決めてから気付いたのですが、10月30日(日)は<大阪マラソン>の当日でした!
マラソンはこの近くを通るのですが、幸い午前中に実施。私たちのツアーは、午後2時からということで難を逃れましたが、危なかった ! !
まず、大阪歴史博物館の常設展示を見学。10階から大阪平野を見渡し、また大阪城を見たあと、7階を見学。
そのあと、3時から街に出て、2時間ばかり歩きました。
「谷町」という地名
歩いた場所は、南北に通る道路・谷町筋の付近。
なぜ、ここが谷町と呼ばれるのか? ちょっとしたナゾなのです。
この街路は、上町台地という南北に伸びる台地上を走っていて、どこが谷かな? と思わせる地形。
でも、よく観察すると、道がうねうねとアップダウンしています。
近松門左衛門の「曽根崎心中」を読むと、冒頭の観音廻りの部分に谷町付近が登場します。
主人公の女性がそこを歩くさまを表現しているところに、「のぼりゃすなすな、くだりゃちょこちょこ、のぼりつをりつ谷町すじを、あゆみならはずゆきならはねば」と書いています。
上りの道は「すなすな」と、下りは「ちょこちょこ」と、女性が歩む様子です。
「すなすな」は今は使いませんが、おしとやかな身のこなし、特に静かに歩むさまを表す言葉です。
上りの坂道は、ゆっくり上ったのでしょう。逆に、下り坂は勢いが付きますから、ちょこちょこと小走りになったのですね。リアルな表現です。
そんな谷町付近には、こんな感じで谷があります。

私たちが「立呑み屋のあるとこ」と言っている坂です(笑)
谷町筋から1本東へ入ったところの南北道ですが、どーんと落ちくぼんだ地形になっています。くぼみの底に風呂屋があるのも一興。
このあたりは、江戸時代(明暦元年=1655)の絵図には「小谷町」と記されています。「こたにまち」と読むのでしょうか。この地名も、谷町筋の地名の由来のひとつと考えています。
小谷町の西に当たる谷町筋には、「北谷町」「南谷町」という地名があって、このあたりの谷が谷町地名の語源になっていると推測しています。
もともと、谷町筋の東にある上町筋は、小高い台地上にあり、標高約20m。そこから西、谷町筋の方向になだらかに下っています。
それを、おそらく江戸時代、武家屋敷を造る際に、整地して崖を造成したのでしょう。崖は、明治時代に陸軍施設が置かれると、より堅固になったと思われます。
そのため、歩兵第三十七連隊跡に当たる国立病院機構大阪医療センターの西には、急な階段が4つもあります。

落差は、5~6mあるでしょう。
まったく意識しない場所に、突然現れる急階段です。
こんなふうに地形がおもしろい谷町周辺。
ほかにも、江戸時代に造られた下水網「背割り下水」をのぞける場所もあります。

南大江小学校西側ののぞき窓から見られる
これらの下水は、俗に「太閤下水」といって豊臣秀吉が造ったように言われていますが、ほぼ徳川時代に形成されたものと考えられています。「背割り」と称するのは、町と町の後ろ、つまり背中(町境)を分ける下水のため、そう呼ぶのです(これもたぶん戦後の呼称かと思いますが)。
狭い範囲を2時間ばかり、ちょこちょこ歩いた谷町ツアー。
なかなか興味深く、参加者の皆さんからも好評でした。
また行ってみたいと思います。
谷町四丁目付近
所在 大阪市中央区谷町ほか
見学 自由 (背割り下水も、いつでも自由にのぞける)
交通 大阪市営地下鉄「谷町四丁目」下車、すぐ
【お知らせ】
11月1日(火)、NHK「ニュースほっと関西」(18:10~19:00)に、コメントにて出演予定です。
お芝居に関する特集コーナーです。よろしければご覧ください。
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