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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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蛇を助けて富者になった男の話 - 今昔物語集 -

京都本




 今昔物語集


 へびは「へみ」?

 院政期の説話集「今昔物語集」を読んでいると、へびの話が大変多く登場します。
 有名な南山城・蟹満寺の縁起(へびが娘を嫁に取ろうとするが、恩返しのカニにやられてしまう)や、へびの干物を魚だとだまして売る女の話など、さまざまです。私個人は、後者の話が昔から忘れられず、今昔物語集のへびというと、余り気持ちいい感じがしませんでした。
 今回は、巳年ということで、それを払拭する意味でも、よいへびの話をしましょう。

 その前に「蛇」の読み方について。
 岩波文庫や古典文学大系には、漢字に読み仮名が振られています。もちろん昔の本には振り仮名は基本的にはなく、諸本のうち最も古い鈴鹿本(国宝、京大蔵)にも読み仮名はありません。現在の活字本の読み仮名は校訂者が付けたものなのです。
 手もとの岩波文庫には、「蛇」に「へみ」というルビが振られています。

  へみ?

 いつも読むたびに軽い違和感とオモシロ感が同居していました。今回、せっかくの巳年ですので、調べてみました。
 『岩波古語辞典』には、次のように記されています。

 
 へみ【蛇】 ヘビの古称。「四つの-五つの鬼(もの)の集まれる」<仏足石歌>。「蛇、倍美(へみ)、一云久知奈波、日本紀私記云、乎呂知、毒虫也」<和名抄> (後略)


 そして「へび」の項には「『へみ』の転」とあって、「へみ」が古い呼び方だと記しています。

 『日本国語大辞典』は、「へみ」の語源説を掲載。


 (1)ハヘムシ(延虫)の約[大言海]
 (2)フセムシの反[名語記]
 (3)ハヒムシ(這虫)の義[名語通]
 (4)ハヒ(匍)の義[言元梯]
 (5)ハムの義か[日本釈名]
 (6)ヘビの訛り[加賀なまり]


 はう虫だから「へみ」なのか? ちなみに(1)の大槻文彦『大言海』を見ると、


 へみ(名) 〔延虫[ハヘムシ]ノ約(白虫、しらみノ類)、転ジテへびトナル、(黍[キミ]、きび、夷[エミシ]、えびすト同趣)長虫[ナガムシ]ノ名モアリ〕 虫ノ名。今、へび(蛇)ト云フ。(中略)クチナハ。略シテ、み。


 とあります。なるほど、「へみ」だから略して「み」(巳)か……
 語源説は、なかなか難しいです。

 今昔物語集は平安時代後期ですが、ずっとくだって、ローマ字のヘボン式で知られるJ.C.ヘボンが明治9年(1886)に上梓した『和英語林集成』を開いてみました。すると、そこにも……


 Hemi ヘミ i.q. hebi.


 つまり、「ヘミ ヘビに同じ」。明治初期まで「へみ」という言い方が残っていたのですね。


 へびを助けた男

 そんなわけで、まだ「へみ」と言っていた平安時代ですが、わかりづらいので、ここでは「蛇」で行きましょうか。
 今昔物語集の巻第16は、観音菩薩の霊験譚が集められています。その中の第15が「観音に仕りし人、竜宮に行きて富を得たる語[こと]」です。さっそく筋をたどってみましょう。


 昔、京に年若い男がいた。貧しかったが毎月十八日の観音さまへのお詣りは欠かさなかった。
 ある年の九月十八日、寺参りをしていると、南山科のあたりで、五十歳位の男に出会った。杖の先に何やら懸けているのでよく見ると、一尺ほどの斑の小さな蛇だった。
 若い男が「その蛇をどうするのか」と尋ねると、男は「必要があって取ったのだ」と言う。「何の必要があるのだ」と再び聞くと、「自分は“如意”という孫の手を作っているが、それに使う牛角を伸ばすのに小蛇の油が要るのだ」と答える。
 若い男が「自分の衣を与えるから蛇を譲ってほしい」と言うと、着ていた綿入れと交換に蛇をくれ、「あそこの小池にいた蛇だ」と告げて立ち去った。
 蛇をもらった男は、その蛇を池に放してやった。

 二、三町ばかり歩いていると、綺麗な衣を着た若い女に出会った。こんな山深くで、と不思議に思ったが、女は「私はあなたの優しい心にお礼がしたくて参ったのです」と言う。実はこの女、先ほどの蛇だった。
 女は、父母も礼を言いたいのでと、むりやり男を連れて行こうとする。男はためらったが、池のほとりまで来てしまった。女は「しばらく目を閉じていてください」と言い、再び男が目を開けると、そこには都にもないほどの見事な門や宮殿が広がっていた。

 「ここは極楽か」と思うほどに、六十歳位の老人が現れた。老人が語るには「世の中の親で子を可愛く思わない者はない。今日の昼、末娘が池の辺りで遊びたいというので、制したけれども聞かないから遊ばせているうちに、人に捕らわれて死ぬところだった。そこに、あなたが通りがかって命を助けてくれたのだ。とても嬉しく思うので、御礼を申し上げたい」。
 男は、これが蛇の親かと思った。そのあと、主の老人はうまい食べ物を沢山出してくれた。
 老人は、「自分は竜王である。そこにある箱を差し上げる」と言った。開けてみると、厚さ三寸もある黄金の餅がひとつ入っている。老人はこれを半分に割り、半分を箱に入れ、半分を男に渡した。この餅を大切に端から使っていけば、一生のあいだ生活に困ることはない、というのだ。
 男が帰ると言うと、娘が送ってくれた。娘は重ねて礼を言うと、かき消すようにいなくなった。

 家に帰った男は、家人から何日も不在だったことを教えられた。そのあとは、ひそかにこの餅を割りながら用を足していくと、暮らしに困ることはなく、ついには富人になった。餅は使っても使っても、また元のように戻った。男は、いよいよ観音への信仰を篤くしたという。


 蛇を助けて富者となった男の話です。
 どこかで聞いたような、けれども楽しいストーリーに心ひかれます。


 放生ということ

 物語としては、いちおう観音信仰の大切さを諭すものと考えられますが、それ以上に強く感じるのは、生き物を助けて放してやるという行為が強調されていることです。
 次の巻第十七には、虎の子の金を払って亀を助けたおかげで、冥途から帰還できた男の話が載っています。これも地蔵信仰の尊さを諭すものですが、亀というところが、蛇以上に「放生(会)」という行為を連想させます。 

 今回、この話を思い出したのは、お寺にある放生池のことを考えていたからです。お寺にある仏像や建築は多くの人達の関心をひくけれど、池のことは余り興味を持たれません。けれども、多くのお寺には池があります。たとえば京都の禅寺の多くには池があり、その多くは総門と三門の間に設けられているわけですが、これを放生池と呼ぶ寺院(妙心寺、天龍寺など)と、そうでない寺院があるようです。そして、そもそもこの池は放生(会)のための場なのかという疑問もわいてくるのですが、私には少し難しいので置いておきましょう。

 いずれにせよ、院政期には、庶民生活に組み込んで生き物を助け放すという物語が自然にできたわけで、このことには感心させられます。
 
 今昔物語集には、若くして死んだ女の子が蛇に化身して、生前愛していた庭の木の下に現れる話もあります(巻第十三・第四十三「女子、死にて蛇の身を受け、法花を説くを聞きて得脱せる語」)。今日よりずいぶんと、へびが身近だったような気もします。
 巳年に、へびの物語を少し繙いてみましょうか。


放生池(萬福寺) 放生池





 書 名:今昔物語集 本朝部(上)
 出版社:岩波書店(岩波文庫)
 刊行年:2001年 



 【参考文献】
 大野晋ほか編『岩波古語辞典 補訂版』岩波書店、1990年
 大槻文彦『新編 大言海』冨山房、1982年 
 『日本国語大辞典』小学館、1972年
 J.C.ヘボン『和英語林集成』講談社学術文庫、1980年



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