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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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昭和の南座、古い資料をさぐってみた ― 座席から食堂まで -

洛東




現在の南座


 顔見世の番付

 前回、劇場の客席について、ぼんやりと考えてみました。
 今回は、そのつづきという感じで、南座。
 現在、耐震補強工事を控えて休館中で、今年(2016年)の顔見世も先斗町歌舞練場で開催される予定です。こういうことは、私の学生時代以来なので、随分久しぶりということになります。

  南座番付
  番付「当る戌歳 南座吉例顔見世興行」

 南座の古い資料のひとつめは、こちらです。
 関西で言うところの「番付」。現在のプログラムにあたるもので、東京の方では「筋書」と呼ぶそうです。

 この番付には、いつ発行されたということが書いてありません。ただ、表紙には「当る戌(いぬ)歳」とありますから、戌年であるということは分かります。
 大きく、南座の写真が載っていますが、どうも現在の建物らしい。
 そして、お馴染みの招き看板が、ざっと百枚余り掲げられています。百人以上の歌舞伎役者が出演したわけです。

 招き看板の最上段右端、トップの位置には「中村鴈治郎」と書かれています。
 その逆サイド、左端には「市村羽左衛門」とあって、羽左衛門(15代目)は東京の役者ですから、東西合同の興行だったのですね。

 羽左衛門は、太平洋戦争のさなか、昭和20年(1945)、疎開先の信州・湯田中温泉で亡くなっています。
 一方、中村鴈治郎(初代)は、それより10年早く昭和10年(1935)2月1日に阪大病院で没しています。
 鴈治郎最後の舞台は、前年の12月、南座で行われた顔見世、「鎌倉三代記」の三浦之助でした。すでに身体はかなり衰えていて、周囲が慮って軽い特製の鎧(よろい)を用意したら鴈治郎に “アホか” と叱られた、という逸話も残っています。しかし、さすがにしんどかったのか、3日目から休演になりました。そのまま、年明けの2月に亡くなっています。

 さて、番付を開いてみると、昼の部の四番目に「鎌倉三代記」とありました。あわてて、昭和10年の干支を調べて見ると、戌年でした。
 つまり、これが鴈治郎最後の公演の番付だったのです。そう思うと、ただの番付でなく、思いもひとしおです。

 念のため、鴈治郎の写真を1枚あげておきましょう。

 スケートに見入る中村鴈治郎
 中村鴈治郎(『中村鴈治郎を偲ぶ』より)

 素顔の鴈治郎。晩年です。
 何をしているかというと、スケートを見ているのだそうです(笑) 
 昭和7年(1932)に竣工した大阪歌舞伎座に、スケート場も併設されていて、そこで見ているところです。
 こうして素顔を見ると、面長の美男子であることが分かりますね。
 ちなみに、うしろの人は、松竹の白井松次郎社長だと思います。

 
 昭和4年にできた南座

 いま建っている南座は、昭和4年(1929)に完成した建物です。
 平成2年(1990)から翌年にかけて、改修工事が実施されています。このときの顔見世が、臨時に祇園・甲部歌舞練場で行われたのですね。

 南座竣工番付
 「南座竣工記念顔見世興行 狂言御案内」(昭和4年)

 こちらは、その竣工年に行われた顔見世の番付です。
 表紙にも「昭和四年十一月卅日開場」とあるように、1929年11月30日に新築開場しました。

 公演は昼夜二部からなり、中心は中村鴈治郎。加えて、中村福助、中村魁車、鴈治郎の次男・扇雀(二代鴈治郎)、東京から松本幸四郎(七代目)らを招きました。
 鴈治郎は、昼は「近江源氏先陣館」の盛綱、夜は「心中紙屋治兵衛」河庄の段の紙屋治兵衛。時代物、世話物の当たり役を演じました。


 新築のパンフレット

 もうひとつ、新築時に発行された小冊子です。

 南座観劇手引草
 「新築南座観劇手引草」(昭和4年)

 新しくできた南座を紹介しています。
 表紙は、いにしえの鴨河原の光景。三百年にわたる歌舞伎の歴史をイメージさせます。

 掲載された竣工時の写真です。

  竣工時の南座 竣工時の南座

 もちろん鉄筋コンクリート造ですが、いわゆる桃山風ですね。
 これより5年前に建設された東京の歌舞伎座も、同じように鉄筋の桃山風で、時代の雰囲気が感じられます。

 ちなみに、これに先立つ大正時代の南座は、こんな感じでした。

 大正の南座
  大正時代の南座(『新撰京都名勝誌』より)

 木造建築です。大正2年(1913)に完成しました。掲げられた大きな旗が印象的です。
 昭和の南座は、このイメージを念頭においているのでしょうか。

 新しい南座は、地上4階・地下1階。
 観覧席は3フロアあって、各階の左右には桟敷席(76間)が設けられました。
 しかし、他は椅子席で、定員1,612席の大劇場となりました。

 南座の客席
  東の桟敷から西北を望む

 1階と後方には椅子席が広がり、写真奥に桟敷があります。

  南座座席表 座席表

 
 どんなイスだったのか?

 前回、劇場の椅子の話をしました。
 昭和7年(1932)に竣工した大阪歌舞伎座の椅子は、シートが折り畳める椅子でした。現在の劇場でよく見る椅子です。
 このタイプの椅子が大劇場に導入されたのは、大阪歌舞伎座がほぼ初めのようなのです。ということは、3年前に建った南座の椅子は、折り畳みではなかったことになります。
 小冊子には、次のように書かれています。

 桟敷、椅子には一々番号を附し、三日前から一等席を限つて御所望の席の番号付切符を販売し、椅子席の座下には帽子を納むる装置がある。

 座席表の一部
  番号を振った座席

 今日と同じように座席番号があって、一等席は希望の席のチケットが買えるとしています。
 そして、座席の下には、なんと帽子を入れられる「装置」がある!

 「装置」ってなんだ ! ?

 たぶん箱状のケースなのだろうと思いますが、紳士が帽子を被っていた時代らしいですね。
 別の箇所には「御携帯品は御座下に納めらるゝ装置あるも」とも記載されています。つまり、座席下のボックスに、ちょっとした手荷物なら入れられたということなのです。
 まあ、この装置があるために、座席を折り畳むことはできないのですね。

 逆に考えれば、座席を折り畳んだら、こういったボックスを造ることは無理なわけです。現在のシートを見れば分かります。

 座席を折り畳めた方が、座席間が広々するし、通行にも便利です。でも、荷物を入れるボックスがあった方がいいよね、と思う方もあるでしょう。

 
 食堂も登場!

 古いタイプの劇場では、観劇の際、芝居茶屋を通して席を押さえたり、食事の用意を頼んだりしていました。帰り、人力車で帰ろうと思ったら、茶屋が呼んでくれるわけです。たいへん便利なシステムですが、費用は掛かります。
 
 南座を経営した松竹は、演劇界の革新者、合理主義者ですから、こういう制度を撤廃していきます。
 『新築南座観劇手引草』を見ても(というか、こういう手引きが発行されること自体、革新ですが)、チケットは正面入口左のチケット売り場で買ってくれと書いてあります。
 そして、これまでお茶子さんなどに渡していた心付け(チップ)は一切要らないと書いてあります。

 当座の御観覧には観覧券代の外、一銭の御支出を要せず、使用人に対しても御祝儀御心附は一切申受けませぬ
 
 という、ドライな感覚。いまと一緒です、90年も前ですが。

 桟敷で芝居見物していた時代、お芝居を見ながらご飯をむしゃむしゃ食べ、お酒をちびちび飲んでいたわけです。ところが、新しい南座では「御食事は一切食堂で願ふことゝなつてゐる」のでした。

 そのため、南座内には何か所も食堂が設けられていました。

 南座の食堂
  食堂

 『手引草』によると、次のようになっていました。

・東館1・2・3階
  和食(御弁当、定食、一品料理、鰻飯、鮨、しるこ)
・東附属館2・3階
  和食堂
・西館2・3階
  洋食(定食、一品料理、喫茶)
・西館地階
  丼物、蕎麦

 東館には、ちもと食堂が入っています。これはおそらく、四条大橋を渡った西石垣にある料亭・ちもとの出店でしょう。また、附属館には、島家寿司食堂が出店しています。これは今も南座に隣接する矢倉寿し志満家ですね。
 西館の洋食は、菊水食堂です。こちらは、南座向いの菊水ビルのレストランでしょう。
 やはり、地元に配慮したわけです。いくら松竹が劇界の革命児だといっても、食堂の業者は入札で決めよう、とならないのは時代です(役所じゃないしね)。

 南座の休憩室
  休憩室

 そんなわけで、パラパラと手もとにあった南座の資料を見てきました。

 演劇にまつわる研究でも、劇場については建築史の方面で扱うことが多いですね(それも隅の方で)。でも、劇場の変化は興行の変化とリンクしているし、何といってもお客さんにとって劇場がどんなふうかは重要な部分ですよね。たとえば、トイレが綺麗かどうか、とか(笑)
 でも、椅子のことひとつとっても、なかなか分からないのが、もどかしいです。

 暇を見付けて、劇場のことも調べていきたいと思います。 




 南座 (国登録有形文化財)

 所在  京都市東山区四条大橋東詰
 見学  外観自由
 交通  京阪電車「祇園四条」下車、すぐ



 【参考文献】
 「南座竣工記念顔見世興行」南座、1924年
 「当る戌歳 南座吉例顔見世興行」南座、1934年
 「新築南座観劇手引草」松竹土地建物興業、1934年
 『新撰京都名勝誌』京都市、1915年
 白井松次郎『中村鴈治郎を偲ぶ』松竹興業、1935年


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