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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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ぼんやり考えてみた、劇場の客席について

建築




客席


 歌舞伎の話題

 ここのところ、歌舞伎の話題で盛り上がって来ましたね。

 というと、ワイドショーをよくご覧になっている方はニヤッとされるでしょうけれど、見ていなければ何のこと? という話です。

 ほんとうに、中村芝翫(しかん)というのは大きな名跡(歌舞伎俳優の名前)です。5年前に亡くなった芝翫さんは、お顔立ちが古風で江戸時代の人みたいで、私は好きでした。
 今回襲名される橋之助さんは、元気があって若々しいイメージですが、私と同年配のようで、それなりのお歳になられたわけです。

 こういう形で芝翫という名跡が多くの方々に知れ渡るのは嫌な感じかも知れませんが、いつの時代も人気者にはゴシップがつきもの。これで来月(2016年10月)からの襲名披露が話題を呼べばいいのでは、と思えます。
 
 そんな中で、私も仕事の関係で、何かと歌舞伎について考えることが多い今日この頃。
 今回は、劇場の椅子の話について、ぼんやりと考えてみます。


 お芝居をイスで見る時代

 いま劇場に行くと、どちらも椅子席ですね。
 ところが、江戸時代は椅子でなかったことは、どなたもご存知でしょう。

 当時、お客さんが大勢入る中央スペースは平土間(ひらどま、土間)などと呼ばれていて、大相撲にあるような枡席(ますせき)でした。
 お米などを計るマスのように、グリッドに仕切られていて、もちろんペタッと座って観覧します。

 この写真は、大阪・堀江演舞場「此花踊り」です。

 『日本地理風俗大系』9
 堀江演舞場の内部 (『日本地理風俗大系』9より)

 演舞場なので、さほど広くはないのですが、お客の女性たちが座って見ているのがうかがえます。
 
 こういった座り式の劇場から、椅子席に変ったのは、いつ頃なのか?
 東京や大阪、京都の主要劇場では、大正時代から昭和初期にかけて、椅子席が導入されていきました。西暦で言うと、1910年代から1930年代といった時期でしょう。

 
 跳ね上げ式の椅子も登場!

 大正頃の劇場の椅子が、どんなものだったのか、私はよく知りません。
 ただちょっと面白い史料を見付けました。

 開閉椅子
 寿商店の座席開閉連結椅子(雑誌「道頓堀」昭和7年10月号より)

 寿商店というところの広告に載っている写真なんですけれど、上に「特許寿式 並ニ 唖関節式座席開閉連結椅子」と書かれています。
 長いですが、連結椅子というのは左右にズラッとつながっている椅子(つまり現在劇場でよく見るもの)として、「開閉」というところですよね。
 これは「座席開閉装置」を持った椅子ということで、こういうやつです。

 椅子
 
 現在では、跳ね上げ式などと言うようですが、要は座面が畳める椅子のことです。これも劇場ではポピュラーですね。
 ちなみに「唖関節式」とは何なのか? 推測するに、広告にアームのことが記されているので、「唖(あ)」がアームの略で、アームを用いた装置により座面を開閉する、ということなのだと思います。

 この寿商店は、現在もコトブキシーティングという社名で営業されています(本社・東京)。公共施設の椅子などを納入されている会社です。
 同社ウェブサイトによると、東大・安田講堂に初めて連結椅子を納入したのが大正14年(1925)。それから、その方面の営業を強化されていったようですね。
 当時の安田講堂の内部写真を見ると、連結椅子の座面は畳まれているようですので、最初の連結椅子から跳ね上げ式だったようです。

 ということは、広告が掲載された当時(昭和7年=1932年)、跳ね上げ椅子は今後普及していく新アイテムだったことが分かります。
 主な納入先が上げられているのですが、各帝国大学や早慶などの学校、日比谷公会堂や学士会館などのホール、百貨店や病院などがあげられています。

 しかし、劇場はほとんどありません。
 実は、この広告は、昭和7年(1932)に大阪歌舞伎座がオープンした際に、雑誌に掲載されたものです。
 そのため、納入先に大阪歌舞伎座があるのは当然としても、他には大阪北演舞場しかないのでした。北の演舞場は、北新地の芸妓さんが踊りなどを披露する場所なので、一般の大劇場とはやや異なります。とすると、ふつうの劇場で跳ね上げ椅子を導入した第一号は、大阪歌舞伎座ということになるのでしょうか。

 こんな昔からあったのかとも、意外に遅いんだなとも思える、跳ね上げ椅子の歴史です。


 なぜ椅子席なのか?

 そんなわけで、大正から昭和にかけて、各劇場で椅子席化が進められていきました。
 これまで私は、それを当然のことのように考えていたのです。現在から振り返ってみると、進化論よろしく、“マスが淘汰されてイスになる” という思考に染められていたのでした。
 今回、改めて立ち止まってみました。

 なぜ椅子席にする必要があったのだろうか、と。

 単純に考えれば、欧米の劇場の影響、これは間違いなくあるでしょう。
 さらに、座り式ですと、履物を預かる必要が生じます。以前も書いた “下足問題” ですね。
 大阪歌舞伎座では、下足預かり(要はゲタを預かる)もするけれど、できるだけ靴や草履で来てね、とパンフレットに書いています。下足を管理し出し入れする手間は、大変な労力で、トラブルの原因でもありました。

 今回、私が気付いた理由は、活動写真(映画)の普及です。
 大都市では、明治後半から、活動写真が上映され始めます。大正時代になると、飛躍的に上映が増えました。
 専用の活動写真館で映写する場合もありましたが、従来からあった芝居用の劇場で上映する、あるいはその劇場が活動写真館に転換してしまうケースも多かったのです。そこでは、当然、枡席で映画を見ることになるわけで、今日では考えられないヘンテコリンな風景が拡がっていたはずです。

 芝居見物で枡席が便利だったのは、和気あいあいと飲み食いしながら観劇できるところでした。
 横を向いたり後ろを向いたりして、家族や仲間と飲食するわけです。観覧時間も長いので、ずっと集中して芝居を見ているわけでもなく、適当に気をそらしながら、時間を過ごしたのです。

 ところが、映画の場合、場内は真っ暗になりますよね。
 こうなると、みんなで楽しく、というわけにもいきません。おのずとスクリーンに集中する感じになっていきます。

 そこで登場するのが椅子席です。
 椅子は、まっすぐ前を向いて着席する設備ですから、映画鑑賞には打って付けでした。

 これが、芝居だけの劇場にも波及して、枡席が椅子席に変っていったのではないだろうか――そんなふうに考えたのです。

 どうでしょうか?

 ちゃんと実証する必要がありますが、いままで気付かなかった側面があるかも、という話でした。




 【参考文献】
 「道頓堀」1932年10月号
 『日本地理風俗大系』9、新光社、1931年


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