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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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清水寺の音羽の滝、その前にある建物とは?

洛東




音羽の滝と拝殿


 金色の水・音羽の滝

 清水寺は、いつも大人気ですね!
 先日ご紹介した大手旅行サイト・トリップアドバイザーの「外国人に人気の日本の観光スポット2016」でも、堂々10位にランクインですから、国際的な人気です。

 私もちょこちょこ訪れるのですが、今回も外国人と小学生で一杯でしたね。
 今日レポートするのは、有名な “清水の舞台” ではなく、その下にある音羽の滝です。

 音羽(おとわ)の滝といえば、清水寺の創建と深くかかわる存在です。
 清水寺縁起では、お寺を開いた僧・賢心(のち延鎮)が夢のお告げにしたがって清泉を求めていくうちに、音羽の滝の清水に至りました。そこで永年修行をしていた行叡居士(実は観音の化身)と出会い、彼の残した霊木に観音像を刻みました。これが清水寺のそもそもの始まりです。
 縁起には、賢心が遭遇した流れが「金色の水」と記されています。音羽の滝が、しばしば黄金水と称されるのは、ここによっているのでしょう。

 音羽の滝
  音羽の滝


 音羽川と錦雲渓

 今回は、いきなり音羽の滝に行くのではなく、下流からさかのぼってみたいと思います。
 音羽の滝の末流は、本堂(舞台)の南方を西へ流れています。

 水量の少ない流れの割には深い谷になっていて、錦雲渓(きんうんけい)と呼ばれています。

 音羽川
  
 このように、ふだんはほとんど流れていないようです。

 滝の下から上を眺めた光景。茶店の露台が見えています。
 
 音羽川

 およそ10mばかりの谷になっています。
 ここに注ぐ水は、音羽の滝から流れて来ます。

 音羽川

 石垣に穿たれた穴に、石の樋が付いていて、そこから水がほとばしっています。
 音羽の滝の水ですね。

 音羽川

 実は、この石垣の上に建っている建物が、私の興味の的なのです。


 滝の前にある建物は…

 こちらがその建物。

 拝殿
  南から望む

 背後(北)に清水の舞台が見えています。
 参拝者たちが立っていますが、その右に音羽の滝があります。

 つまり、この建物は音羽の滝の真正面(西)に建っていることになります。
 
 反対側から見ると、建物と滝の関係がよく分かります。

 音羽の滝と拝殿
  
 左が音羽の滝です。
 まさに滝の前に建つ建物です。
 いったい滝とどんな関係があるのか?

 屋根は入母屋造、本瓦葺きで立派なものです。
 少々古い資料を見てみましょうか。

 花洛名勝図会
 「花洛名勝図会」(部分)

 幕末の京都を克明に描いた「花洛名勝図会」(1864年)。
 その清水寺の中に、音羽の滝も出来てきます。図に「タキノ宮」「音羽ノタキ」とあります。
 
 花洛名勝図会の拝殿

 クローズアップしてみると、分かりましたね。
 「ハイデン」と書いてあります。そう、この建物は拝殿だったのです。
 音羽の滝と不動明王を祀る滝の宮(不動堂)の拝殿です。
 
 このことは、建物の中から外を見ると、よく分かります。

 音羽の滝

 建物センターの真ん前に、音羽の滝が見えています。
 まさに、拝殿というのがピッタリですね。


 音羽の滝の拝殿を見る

 この拝殿、入母屋造本瓦葺で、桁行は三間、梁間二間です。

 拝殿
  北側を見る

 コンパクトな建物ながら、屋根が立派です。
 清水寺は寛永6年(1629)9月、西門、馬駐などを除く伽藍の大半を焼失しました。本堂をはじめ、大部分の建物は大火後に再建されたものです。『清水寺史』によると、この拝殿もその時期に造られたと言います。

 もちろん細かいところを見ると、かなり改造されています。

 拝殿

 こういった建具、これはガラス窓(引違い)ですが、もちろん近代になって取り付けられたものです。
 江戸時代の絵図類を見ると、現在窓のある部分は開放されていたことが分かります。
 上の「花洛名勝図会」の絵などでは、谷に向いた部分に、鴨川の床みたいな張り出しも造られています。たぶん、そこに座って飲み食いするんでしょうねぇ。

 拝殿

 この拝殿は、どうやら昔から扉などは付いておらず、吹き放ちになっていたようです。
 おそらく、そこに腰を掛ける床几(しょうぎ)などが設置されていたのではないでしょうか。
 現在では、大きなものがひとつ、置かれています。

 拝殿

 拝殿

 明和4年(1767)に書かれた「京師順見記」には、「滝の前に腰掛これあり、九尺に三間ほどに見へる」と記されています。これが拝殿のことでしょうか。

 いまは、建物の北側一間分は、改造されてお守りなどの授与所になっています。

 拝殿

 床は石敷きです。
 昔は、床面に溝があって、そこを滝水が流れていきました。いまでは暗渠になっています。そして、先ほど見たように石垣の穴から放出されているのでした。


 滝で水垢離

 音羽の滝は、いまでこそヒシャクで水を汲むみたいな形になっていますが、昔は滝行のように、滝に打たれる水垢離(みずごり)が行われていました。
 水垢離は、冷たい水を浴びて、神仏に祈願する行為です。
 
 花洛名勝図会 「花洛名勝図会」より

 幕末の「花洛名勝図会」には、ふんどし姿で水垢離を取る男性たちが描かれています。
 ちなみに、手前の屋根が拝殿です。

 拝殿

 拝殿の中には、「水垢離の方は必ず行衣(白衣)を着用ください」との札が打たれているので、いまでも早朝などに行っている方がいるのでしょうか。

 そこまでは……という向きには、霊水を頒けていただけます。

 音羽霊水 音羽霊水

 室町時代の参詣曼荼羅を見ると、桶(おけ)で音羽の滝の水を汲んでいる女性たちがいることが分かります。
 桶を頭上に載せたりしていて、おもしろいのですが、これは近辺の茶屋などで利用するためのものでした。この水は、霊水としてご利益があり、湯浴みに用いることもあったと言います。瘧(おこり)に効くという話もありました。

 また、水垢離を取る人は、ただ滝に打たれるだけでなく、滝と本堂の間を往復することも行いました。
 観音さまだけに33度行き来します。絵を見ると、手に樒(しきみ)を持っていたりして、それで回数を勘定したのかも知れません。
 音羽の滝と本堂の間には急な石段があります。江戸時代の史料には71段などと書いているものもありますが、いまは80段以上ありますね。

 「山城名所寺社物語」(1717年)に、「諸事のねがひあれば滝もふで[詣で]とて、此滝へおりて奥の院と本堂へ参る事、三十三度なり」とあるそうです。
 昔の人たちも、いろいろな願掛けをしたのでしょう。


 祈願のあとは飲食も

 そして、お約束なのですが、お詣りのあとは必ず飲み食いするわけです(笑)

 滝沢馬琴の「羇旅漫録(きりょまんろく)」には、「此辺すべてしらいと餅を売る」とあって、糸をねじったような餅を「白糸餅」と称して売っていたのです。滝の白糸というわけです。
 馬琴のイラストによると、形は、ねじり糸コンニャクそっくりでした!

 もっと本格的なのは、料亭に繰り出すわけです。
 音羽の滝あたりは、清水の境内では、滝の下と呼ばれていました。
 「洛陽勝覧」(1737年)には、滝の下には精進料理を出す坊がいくつもある、と記されています。メニューは、一汁五菜と香の物。まあまあ豪華かも?

 精進料理を出す坊の代表が、南蔵院でした。通称は、浮瀬(うかむせ)。
 音羽の滝から、徒歩すぐ。

 花洛名勝図会の浮瀬
  「花洛名勝図会」の「ウカムセ」

 もう、お寺なのか料亭なのか分からない本格派。

 都林泉名勝図会
  「都林泉名勝図会」のうち「清水滝下 南蔵院」

 見晴らし良さそう。
 本当に、こんな高い場所だったのかなあ? ふつうの料亭となんら変わりないです。

 浮瀬は、大坂にもあったのです。
 新清水寺という京都の清水さんを写したお寺のそばに。
 そこでは、珍しい貝を盃にして酒を飲むのが評判だったのです。
 
 そう思って、南蔵院の図を見ると、こちらもアワビのような盃を使っていますね(クローズアップでご覧ください)。

 都林泉名勝図会より浮瀬

 なみなみとお酒を注いで、なんだか楽しそう!

 京都の浮瀬は、大坂の浮瀬をマネして宝暦年間(1751-1764)頃にできたそうです。のち、江戸にも出来たほどの流行でした(『浮瀬 奇杯ものがたり』)。

 舞台で有名な清水寺も、実は本堂の下がおもしろかったという、少し意外なお話でした。
 
 


 清水寺 音羽の滝、拝殿

 所在  京都市東山区清水
 拝観  自由
 交通  市バス「五条坂」下車、徒歩約15分



 【参考文献】
 『清水寺史』音羽山清水寺、1995~2011年
 「洛陽勝覧」1737年(『京都見聞記』1 所収)
 「京師順見記」1767年(『京都見聞記』2 所収)
 「羇旅漫録」1803年(同上)
 「都林泉名勝図会」1799年
 「花洛名勝図会」1864年
 坂田昭二『浮瀬 奇杯ものがたり』和泉書院、1997年


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