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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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吉田山にある竹中稲荷社は、不思議な雰囲気を醸し出す

洛東




竹中稲荷神社


 吉田山を散歩

 前回、吉田神社の大元宮まで歩いた吉田山散歩。
 今回は、さらにその奥へと進んでいきます。

 東へ100mほど進むと、右手に宗忠神社の入口が見えます。こちらは裏側ですね。この神社は、幕末に開かれた新宗教である黒住教(くろずみきょう)の神社です。開祖の黒住宗忠(むねただ)を祀っています。
 興味深いのですが、今日は目を左に向けて……

 すると、こんな鳥居がありました。

 竹中稲荷神社

 竹中稲荷社。
 鳥居の額には「正一位 竹中稲荷大神」と記されています。
 
 参道は北に向かって長く、200mくらいでしょうか、続いています。
 千本鳥居のように、ややまばらに鳥居が並んでいますが、右側が駐車場や道路になっているために、開放的な雰囲気です。

 朱塗りの玉垣が築かれています。

 玉垣

 左端に「永末英一」という奉納者名があるでしょう。
 この人、懐かしい名前です。
 ごっつい縁のメガネをかけて、独特のオールバック。あのインパクトのある顔のポスターは、一度見たら忘れられないでしょう。

 京都選出の民社党の国会議員で、最後は民社党委員長も務められました。亡くなってから、もう20年余りになるようですが、僕ら世代にはお馴染みの人物です。

 玉垣の記載で、永末さんがこの神社の講社会長だったことが分かります。


 手水鉢、石灯籠、拝殿

 この竹中稲荷社は、現在は吉田神社の末社です。
 神社のウェブサイトによると、祭神は宇賀御魂神、猿田彦神、天鈿女神で、「竹中稲荷社と称し、商売繁盛の御神徳をお授け下さいます」とのこと。
 現在地には、天保11年(1840)に造営され、明治5年(1872)、吉田神社の末社となりました。

 竹中稲荷神社

 長い参道が終わると、朱の鳥居。
 右には社務所がありますが、左にはこんな石造物が置かれています。

 延宝7年の手水鉢

 手水鉢ですね。

 いまでは使用されていませんが、一見して古そうなもの。
 かがんで刻銘を見てみると、「延宝七己未年」と記されています。延宝7年というと、1679年。徳川綱吉が将軍になる前年。300年以上前のものでした。

 鳥居を潜ると、数基の石灯籠が立っています。

  石灯籠

 いつ頃のものだと思いますか?

 かっちりと造られているし、蓮華座の彫刻も綺麗ですね。
 答えは、裏側に……
 
  灯籠裏面

 大正2年(1913)。
 割と新しかったですね。

 境内を見てみると、鳥居や石造物に大正時代のものが多く、その頃に少し整備されたのかも知れません。

 拝殿です。

 竹中稲荷拝殿

 小ぶりの拝殿。
 よく見られますが、舞殿ふうになっています。
 こちらも、そんなに古くはなさそうですね。

 拝殿の蟇股

 拝殿の蟇股(かえるまた)です。

 意匠は、古式ゆかしい感じですね。鎌倉時代のような雰囲気。
 ということは、本当の鎌倉建築ではなくて、明治・大正時代頃に、いにしえの様式にならって復古式で造営された建築なのでしょう。
 誰が設計したんでしょうか。よく分かりません。


 本殿の背後には……

 そして、本殿に参拝です。

 竹中稲荷本殿
  竹中稲荷社 本殿

 流造で、手前に拝所が設けられています。

 ということで、参拝はおしまい……ではないんです。
 実は、背後に奥社があります。

 竹劔稲荷社

 竹劔稲荷神社。2字目は、社号標には<金へん+刄>という文字。異体字ですかね。
 この場所も、ちょっと奥まっていて雰囲気があります。
 けれども、もっとすごいのが本殿と奥社の間なんですね。

 御塚

 たくさん石の墓標のようなものが立っているでしょう。これが「お塚」です。
 お塚と言えば、伏見稲荷大社が有名。社殿の背後にある「お山」に無数のお塚が林立しています。いま無数と言いましたけれど、昭和40-41年(1965-66)の調査では、7,762基あったあそうです。現在では1万を超えるという話も。昭和14年(1939)には2,500しかなかったとされていますので、戦後爆発的に増加したことになります。

 竹吉大明神

 お塚は、お稲荷さんを「○○大明神」「○○大神」などと号して個人的にお祀りしたものです。上の写真のような感じですね。
 ここ竹中稲荷社の本殿背後にあるお塚ですが、やはり近代、大正、昭和に造られたものが多いみたいです。
 石を立てただけのものもありますが、鳥居などを持つ立派なものもあります。

 鳥居のある御塚
  鳥居のあるお塚

 神社の中にありながら、私的かつ自然発生的に造られていったお塚。
 どういう信心が秘められているのか知りたいけれど、ちょっと怖いような気もしますね。


 竹中稲荷の狐




 竹中稲荷社 (吉田神社末社)

 所在  京都市左京区吉田神楽岡町
 拝観  境内自由
 交通  市バス「京大正門前」下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 直江廣治編『稲荷信仰』雄山閣出版、1983年


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