05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
MENU

NEW ARRIVAL

PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

不明門通をさらに北へ進むと……





不明門通仁丹町名板


 詰所のある東本願寺界隈

 前回につづき、不明門通(あけずどおり、あけずのもんどおり)を歩きます。

 楽しい念珠店のあった上珠数屋町通から北へ。
 歩いていると、町家から着物の女性が出て来られました。看板を見てみると……

 となみ詰所

 「となみ詰所」と書いてあります。
 「となみ」は、砺波なのでしょう。越中(富山県)の地名です。

 この詰所というもの、本願寺界隈にある旅宿です。もともとは、本願寺のご門徒が設けられた滞在所でした。
 江戸後期から幕末にかけて、東本願寺は4度も焼亡し、そのたびに堂宇の再建がなされました。この事業に、全国のご門徒が奉仕に参集され、滞在所となったのが詰所です。
 禁門の変で焼けた御影堂や阿弥陀堂は、明治28年(1895)に完成したので、その後、詰所は本山に参拝される方たちの宿となりました。現在では、一般の方も宿泊できます。

 明治中期には50軒近くあったという詰所も、いまでは5軒に。
 この砺波のほか、富山県、飛騨(岐阜)、伊香、東浅井(滋賀)です。

 そういえば、今年2月の京都新聞に、東浅井詰所の建て替え工事が完了したという記事がありました。前にあった昭和10年(1935)築の入母屋造、木造2階建を改築(4階建)したというものです。施設維持のため、詰所8室を確保したほかは、賃貸マンションにしたそうです。 
 滋賀県の旧東浅井郡には、真宗大谷派の寺院が163か寺もあって、もともとはそのご門徒が詰所に宿泊されていました。ところが、近年は湖北からも日帰りできるようになったため、一般の旅行者にも門戸を開放していたそうです(京都新聞2015年6月11日付、2016年2月7日付)。

 このあたりの事情は、境内にマンションを建設する神社の問題とも似て、いかに維持していくかという苦心がにじみでています。
 代表理事の方は「守っていくための変化」だと述べておられます(京都新聞)。

 こういう記事を見ていると、なんとなく泊まりたくなってきましたねぇ、詰所に。


 意外な老舗もある五条通以北

 となみ詰所からさらに進むと、東西の細い街路と交わっていきます。

 仁丹町名板

 「的場通不明門西入 下平野町」。

 クルマ1台ほどの幅のある的場通と交差します。

 的場通
  的場通

 ここで一番の驚きは、角のお宅が的場さんだったことでしょうか。
 こちらが通り名の由来? と思うと、ちょっとすごいですね。

 付近図
  矢印が的場通との交差点

 ここまで来ると、もう五条通が見えて来ます。

 五条通
  五条通

 横断できないので、一旦烏丸通の交差点を渡ります。
 さらに北上すると、マンションの一画に吉水稲荷神社がありました。

 吉水稲荷神社
  吉水稲荷神社

 私が気になったのは、その向いのお店でした。

不明門通

 普通の町家に看板が出ています。

 板前洋食弥生

 「板前洋食 彌生」

 別の看板には、

 板前洋食弥生
 
 「逸品欧風料理/独特 彌生弁当/板前洋食 彌生」

 この「板前洋食」という表現、すごく気になりますね。
 
 昔、河原町の映画館で、幕間のCMで「板前にぎり金兵衛」というのをよく見たんですね。これは、板前さんが握る寿司屋という意味でしょう。
 そうすると、板前洋食は、板前さんが作る洋食店ということですね。割烹と洋食の融合というか……

 看板が少々古びているので、てっきりお休みされている店かと思いましたが、帰宅後調べてみると、ちゃんと営業されていました。どうやら私が通ったのが午後2時頃だったので、ランチタイムが終わっていたらしい。営業中は、のれんを掛けられるようです。

 ここにも、ぜひ一度入ってみたくなりました(笑)


 そして、因幡堂へ
 
 その後も、不明門通を上がって行くと、松原通に至ります。
 真正面に、因幡堂(いなばどう)が見えて来ます。

 因幡堂前

 因幡堂は、平等寺とも言い、薬師如来を祀ります。
 平安京の昔からこの地にありました。平安京内には、東寺と西寺のほかは原則的に寺院は置かれませんでしたが、お堂は例外で、六角堂や革堂、因幡堂などは存在していたのです。

 ということは、不明門通よりも因幡堂の方が前からここにあったということでしょうか、因幡堂で不明門通は突き当りになっています。
 前回から保留にしていた「不明門」という名前の由来ですが、因幡堂の南門が常に閉ざされていたので、不明門の名が付けられたとも言われます(『京都坊目誌』)。

 因幡堂

 現在、因幡堂には門らしい門はありません。「都名所図会」(1790年)を見ると、南に門があり、門前に川が流れていますが、この門を閉じるとお寺に入れませんね……
 ちょっとこの由来説も、疑問が拭えません。

 ちなみに、「京羽二重」には「因幡堂つきぬけとをり」という名称も併記されており、他にも「薬師突抜」(薬師如来を祀ったため)という呼称もあったようです。不明門通という名前以外にも、このようなストレートな呼び方もあったのですね。


 通りは途切れるけれど……

 ということで、不明門通はここで終了。
 ものの本では、この通りは因幡堂のある松原通から七条通、あるいは塩小路通までなどと記載されています。
 ただ、因幡堂の裏に道があるのも事実。

 因幡堂横

 因幡堂の左へ回り込みます(地図の矢印)。

 付近図

 そこを北へ進んで右折すると、不明門通のつづき? のような道が。

 因幡堂裏

 これですね。
 
 ただ、この道も北にある高辻通で突き当りになります。
 ところが、高辻通から先も、狭い路地がつづいているのも事実。

 高辻通

 ここは、匂天神社(においてんじんしゃ)があり、この路地は匂天神町の町内です。
 路地は一旦突き当たって、カギの手に曲がり、さらにつづいています。

 匂天神町 「匂天神町」の文字が

 匂天神町

 味わい深い長屋のある路地ですが、片側はすでに駐車場になっています。
 この路地には名前があって、竹之辻子(たけのずし)と呼ばれているそうです。

 ここを抜ければ、仏光寺通へ。

 仏光寺通
  仏光寺通

 でも、目の前にはビルが聳え立っています。
 
 この北にも、実はまた路地があるのですが(上の地図の青矢印)、際限がないのでこの辺で。

 ところで、この不明門通、因幡堂の前の松原通で途切れているのですが、約1.2㎞も北方の姉小路通で再び始まっているのです。ただ、名前は車屋町通と変わっているのですが。
 これを見ると、この通りが豊臣時代に造られた新たな街路で、市街中心部の鉾町だけ新街路が出来なかったということをよく表しているようです。

 車屋町通は、また機会があれば歩いてみましょう。




 不明門通

 所在  京都市下京区烏丸通松原上る因幡堂町ほか
 見学  自由
 交通  地下鉄「四条」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 『日本歴史地名大系27 京都市の地名』平凡社、1979年
 『京都の大路小路』小学館、2003年
 碓井小三郎『京都坊目誌』(『京都叢書』所収)
 足利健亮『中近世都市の歴史地理』地人書房、1984年


スポンサーサイト

コメント

非公開コメント