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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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ひと口に「伽藍配置」というけれど…… - 本法寺ほか -





本法寺


 教科書で「伽藍配置」とよく聞くが……

 「伽藍(がらん)配置」とは、<寺院における建物の配置>のことです(『建築学用語辞典』)。古代寺院の建物配置に用いられることが多く、学校の「日本史」の教科書でも、古代の文化史で登場します。
 そこでは、塔や金堂、講堂がどういうふうに並んでいるかで、飛鳥寺式、四天王寺式、法隆寺式、薬師寺式、東大寺式など、代表的寺院のパターンに分類されます。
 日本史の教科書では、伽藍配置の話は古代で終わり、私も記憶がはっきりしないのですが、中世の禅宗の部分などでは伽藍配置の話は出て来なかったようにも思います。

 伽藍配置を建物の配置と捉えるなら、中世だって近世だって近代だって、あるはず。たとえば、藤田勝也ほか編『日本建築史』には、「伽藍構成」の項を立てて、1.飛鳥・奈良仏教の伽藍、2.平安密教の伽藍、3.浄土教伽藍、4.中世の密教寺院と禅宗伽藍、5.浄土宗と浄土真宗、日蓮宗の伽藍 と、江戸時代まで取り上げています。


 江戸時代の浄土真宗の伽藍配置

 今回は、ビジュアルな「都名所図会」(1870年)を使って、京都における浄土真宗と日蓮宗の伽藍配置を見てみましょう。

都名所図会より西本願寺
 西本願寺

 浄土真宗では、西本願寺(浄土真宗本願寺派)、東本願寺(真宗大谷派)とも、阿弥陀堂と御影堂(ごえいどう)が左右に並ぶ構成を取っています。よく知られているように、西本願寺では右が阿弥陀堂、左が御影堂ですが、東本願寺では左右反対になっています。
 上の図でよくわかるように、西本願寺では、右に「阿弥陀堂」があり、左に大きな「本堂」(御影堂)があります。そして、それぞれのお堂には正面に門があります。門の様式も異なっていて、阿弥陀堂が切妻造に軒唐破風を付けた華やかな門、御影堂は入母屋造の大ぶりの門になっています。
 阿弥陀堂は宝暦10年(1760)、御影堂は寛永13年(1636)の建築で、この「都名所図会」に描かれたものが今日まで伝えられています。

都名所図会より東本願寺
 東本願寺

 東本願寺は、右に「本堂」(御影堂)、左に「阿弥陀堂」という構成。立派な御影堂には重層の「大門」付き、阿弥陀堂には軒唐破風付きの平唐門が構えられています。ここに描かれている堂宇は焼亡し、現在の両堂は明治28年(1895)に竣工したものです。

 東西本願寺ともに、阿弥陀堂は名前の通り阿弥陀如来を祀るお堂。いまでは阿弥陀堂と呼ばれていますが、本堂などと呼ばれたこともあり、少しややこしいのです。御影堂は、「都名所図会」には「本堂」と記されていますが、一般には祖師堂や大師堂というべき建物で、宗祖・親鸞上人の御像を安置しています。

 絵からわかるように、門とお堂の間に、広大な空地が拡がっています。例えば、西本願寺の御影堂は、外陣が441畳、1,200名以上が入れ、阿弥陀堂の外陣は285畳、800名以上が参拝できます。堂前のスペースも、これら大勢の参詣者に対応して設けられたものです。
 京都市内では、同じ浄土真宗の興正寺や仏光寺も、このようなスタイルを取っています。


 日蓮宗の伽藍配置は

 これに対して、日蓮宗の伽藍配置はどうなっているのか、上京区にある本法寺を例に見てみましょう。

都名所図会より本法寺
 本法寺

 画面左上の大きな建物が本堂、その右斜め下の屋根が二重に見える建物が「祖師堂」(開山堂)です。そして、本堂下方には多宝塔が見えます。
 建物が本願寺のように横並びにはならず、L形になるように配置されています。
 この本堂と開山堂前の広いスペースが“参拝者だまり”になっているのです。

本法寺
 本法寺本堂  桁行七間、梁間七間、正面・背面に向拝を付けた大きな本堂。文化3年(1806)頃築

本法寺
 本法寺開山堂  祖堂と拝堂の複合建築で、拝堂は二重の屋根。寛政8年(1796)頃築

本法寺
 本法寺多宝塔

本法寺
 本法寺鐘楼・経蔵 

 建物自体は天明の大火(1788)後に再建されたものです。その外観は、本堂は和様に、開山堂は禅宗様にと、使い分けられています(細部はそうでもないのですが)。江戸時代の日蓮宗では、こういうケースも多かったといいます。

 本法寺のような建物の配置は、日蓮宗にしばしばみられるパターンで、妙顕寺や本圀寺などもそうでした。

都名所図会より本圀寺
 本圀寺

 本圀寺(ほんこくじ)は、堀川六条あたり、つまり西本願寺の北に広大な寺地を持っていた日蓮宗寺院でしたが、戦後荒廃し、山科区に移転しました。
 このお寺も天明の大火で焼けたので、「都名所図会」にはそれ以前の伽藍が描かれています。本法寺と同じく、本堂(南面)と祖師堂(西面)がL形に配置され、その前が大きな広場になっています。
 火災後は、祖師堂は再建されたのですが、本堂は再建されないままだったそうです。

 ひと口に「伽藍配置」といっても、時代によって宗派によって、スタイルは異なります。寺の立地、宗派の儀式、参拝者の動向など、いろんな要因で変わっていくようで、興味がわいてきますね。




 本法寺

 *所在 京都市上京区小川通寺之内上ル本法寺前町
 *拝観 境内自由(庭園等は有料)
 *交通 市バス堀川寺之内下車、徒歩約3分



 【参考文献】
 「都名所図会」1780年
 『建物の見方・しらべ方 江戸時代の寺院と神社』ぎょうせい、1994年
 藤田勝也ほか編『日本建築史』昭和堂、1999年
 『建築学用語辞典』岩波書店、1993年



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