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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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新京極から祇園に移った「花月」、そして関西の喜劇について

洛東




祇園会館


 懐かしの吉本新喜劇

 今日は休みだったんですが、たまたまテレビをつけたら、NHK「スタジオパークからこんにちは」をやっていました。
 司会の竹下景子さんが鮮やかな黄八丈の着物姿で出ておられて、ちょっとびっくりしたのですが、ゲストは吉本新喜劇の座長・辻本茂雄さんでした。

 辻本茂雄といえば “アゴ” キャラで知られ、近年は「茂造」という、じいさんキャラで人気を呼んでいますね。番組でも、これを大きく取り上げ、後半では辻本さんが茂造に扮して再登場しました。

 竹下さんと一緒に司会を務める伊藤雄彦アナは大阪の出身だそうで、吉本新喜劇にも親近感があるようでした。
 もちろん私も、ずっと関西ですから、吉本新喜劇は小学校時代からいつも見ていました。ただ、見ていたと言っても、土日のお昼にやっているテレビ番組です。生で観劇したのは、実は去年が初めてでした。

 私たちの少年時代の話ですが、関西の小中学生(特に男の子)なら誰でも吉本新喜劇を見ており、学校でいつもその話をし、贔屓の役者もいて、そのギャグが教室で流行していたものです。
 岡八郎、花紀京、原哲男、船場太郎、山田スミ子、間寛平、木村進、平参平、谷茂、桑原和男、浜裕二(チャーリー浜)などなど、多彩な役者陣が揃い、みんな個性的でおもしろかったですね。


 新京極にあった京都花月

 劇場「花月」といえば、大阪になんばグランド花月(NGK)があり、かつては大阪・キタにも梅田花月がありました。
 そして、京都には、もちろん京都花月があったのです。
 場所は、京都随一の興行街であった新京極。

 京都吉本ビル
  京都花月跡(現・京都吉本ビル)

 現在、京都吉本ビル・パッサージオがあるところ。
 昭和62年(1987)まであったので、私も記憶にあるのですが、残念ながら中に入ったことはありませんでした。


 関西喜劇の二大潮流

 ところで、日本では悲劇に比べて喜劇が低く見られている、という見方があるようです。
 木津川計氏は、文学に「純文学」と「大衆文学」があるように、演劇にも(仮に言えば)「純演劇」と「大衆演劇」があるのではないかと述べ、大衆演劇は多くの場合、喜劇的なドラマで、日本では低くみなされるというのです(『上方芸能と文化』)。
 もちろん、木津川氏はそのような考え方に疑義を呈しているのですが、ひとつのおもしろいエピソードを紹介しています。

 あるとき、「上方お笑い大賞」の大賞をミヤコ蝶々さんに贈ろうとしたのですが、本人に意向を確かめると「私は女優ですから、お笑いの賞はいりません」と断られたのだそうです。
 やはり、お笑いは一段低いものなのでしょうか。

  上方喜劇 三田純市『上方喜劇』(白水社)

 いま手もとに三田純市『上方喜劇』という書物があります。関西の喜劇の歴史をその前史ともいうべき俄(にわか)から説き起こした通史です。1993年に出版されました。
 この本は、副題に「鶴家団十郎から藤山寛美まで」とあります。藤山寛美の名から分かるように、松竹新喜劇の歴史なのです。

 松竹新喜劇は、明治後期に生まれた曽我廼家五郎・十郎の喜劇の系譜に属しています。つまり、大阪で誕生した日本的な意味での喜劇のメインストリームなのです。
 私たちも、これまた子供の頃、藤山寛美さんの松竹新喜劇をテレビで見たことは、楽しい思い出です。

 一方、吉本新喜劇の歴史は比較的浅く、戦後、昭和34(1959)に発足しました。
 『上方喜劇』には、この吉本新喜劇のことはほとんど触れられておらず、短い最終章でちょこっと登場するのみです。
 
 三田氏は吉本新喜劇について特段の評価を書かれていません。ただ、吉本新喜劇は「上方喜劇の嫡出子としてのそれ(松竹新喜劇)へのパロディ」として看板を掲げた、としています。
 言い換えると、<松竹新喜劇は上方喜劇の嫡流=正統だ。正統でない吉本新喜劇は、それを逆手に取った戦略に出た>ということです。

 吉本の文芸部長(当時)だった竹本浩三氏の「うちの芝居はあくまでも漫才、落語などにはさまれた芝居」という言葉が紹介されています。
 吉本では、新喜劇を単体で勝負するのではなく、劇場で行われている演芸と一緒に上演するものとして捉えたのです。これは現在でもそうで、吉本興業の劇場では<演芸(漫才等)+新喜劇>という構成が取られていますね。


 祇園の花月へ

 先日から、このブログでは、「女義太夫」とか「吉本せい」とか、雑誌『上方芸能』休刊とか、いろんな芸能について綴ってきています。
 その理由は、今週2度ばかり人前でお話する必要があって、その下調べをしていたからなのです。
 もっとも、女義太夫とか吉本興業の話は、ほとんど出てこない。出てこないけれど、電車の中ではそんな本を読んでいる、というところなのです。

 祇園会館
  よしもと祇園花月(祇園会館)

 新京極の京都花月は、ずいぶん以前に廃絶していたのですが、現在は「よしもと祇園花月」として、祇園石段下にある祇園会館で公演が行われています。
 映画館時代の祇園会館には、しょっちゅう行っていた私ですが、吉本になってからはまだ訪れていません。
 こういうふうに書いていると、1度行ってみたくなってきましたね。




 祇園会館(よしもと祇園花月)

 所在  京都市東山区祇園町北側
 見学  劇場として興行中
 交通  京阪「祇園四条」下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 三田純市『上方喜劇』白水社、1993年
 木津川計『上方芸能と文化』NHKライブラリー、2006年


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