09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
MENU

NEW ARRIVAL

PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

庶民が弓を射ることがブームだった明治時代、けれども円山公園には今でも射場がある

洛東




園山大弓場


 大正時代の日記にも登場する「大弓」 

 昨年から途切れ途切れに、市川箱登羅(はことら)という歌舞伎役者の日記を読んでいます。

 最近読んでいた大正2年(1913)のところに、こんな記述が出て来ました。

 四月二十六日 (中略) 夜飯後芦辺館へ行 九女八の安宅ヲ見物いたし 帰り掛け晴月へ立寄久々ニテ大弓を引 (「市川箱登羅日記」菊池明 翻刻) 

 箱登羅は、中村鴈治郎の長男・林長三郎と一緒に、大阪・千日前にある劇場・芦辺倶楽部(あしべくらぶ)へ行きました。そこで、市川九女八(くめはち)という女性俳優の「安宅」(あたか、歌舞伎の舞踊)を見ました。
 帰り、久しぶりに「晴月」に立ち寄って、大弓を引き、夜遅くに帰宅したのです。

 この中で、私が興味を持っているのは、市川九女八という俳優と、それを箱登羅が見たということなのですが、どうしても引っかかるのが「大弓を引」という一節なのです。

 そういえば、この箱登羅日記には、しばしば大弓を引いて遊ぶ記述があったような……
 これって、どういうことなんでしょうか。


 円山公園にある大弓場

 そんな春の一日、何の用事の帰りだったか、岡崎公園から知恩院へ歩を進め、円山公園に入りました。
 そうそう、この辺は「いもぼう」のお店がたくさんあったなぁ、この店、学生時代に来たことがある、などと思いながら、公園の北端の道を西へ歩いていました。

 そろそろ公園を抜けようというそのとき、目に留まったのが、この店でした。

 園山大弓場

 あれ、これは!

 園山大弓場

 「健康は弓から/大弓射場/園山」と書いてある。

 へぇ、今どき弓を引く店があるのか、と思って内を覗くと、確かに営業されている様子。
 さすがに入る勇気はないのですが、写真だけは撮影。

 軒下の看板は、年季が入っています。

 園山大弓場 「弓場」の額

 後日、インターネットで調べてみました。
 すると、園山大弓場というウェブサイトが出て来たのです。

 それによると……

 園山は「えんざん」と読み、歴史は幕末にさかのぼります。
 浪人となった萩藩士・福井元造は、日置(へき)流弓術の免許皆伝の腕前で、文久2年(1862)、現在の円山公園の一画(山鉾収蔵庫の辺り)に大弓場を開いたと言います。
 幕末の政情の中、元造は捕えられ獄死しますが、その後も大弓場は息子・長次郎、孫・清之助に引き継がれました。
 明治20年(1887)頃、北方の現在地に移転し、いまのご当主は6代目なのだそうです。

 ということは、150年の歴史を持っているわけで、老舗ですね。

 ウェブサイトを見ると、ふつうに毎日営業されていますし(定休日あり)、一見の人(非会員)でも練習できるよう。800円からと値段もリーズナブルです。しっかり指導もしていただけ、用具も貸してもらえるそうなので、初心者でも手ぶらで行けそうですね!


 大弓、半弓、楊弓

 ところで、この大弓、「だいきゅう」と読みます。
 今日行われている弓道で使われている本式の弓です。かつては7尺5寸(約2m27cm)ばかりあり、現在競技で使用されているものは7尺3寸(約2m21cm)が並寸です。身長によって、若干寸を詰めたり伸ばしたりするそうです。

 これより短い弓に半弓(はんきゅう)があります。
 例えば6尺3寸(約1m90cm)ほどで、座ったまま射ることが出来ます。
 
 さらに、楊弓(ようきゅう)というものもあります。
 これは、楊柳(ヤナギ)で出来たさらに短い弓で、2尺8寸(約85cm)などの長さ。遊び用の弓です。

 立射

 こういった本式の弓や遊戯用の弓が、江戸時代から併存していたわけです。
 それが明治維新以降も続いていきます。

 明治初期に開かれた新京極は、京都随一の娯楽街として発展します。この街にも、弓を射ることが出来る娯楽場がありました。
 今でも、縁日や温泉場に射的(しゃてき)場があるように、明治時代には弓を射て遊んだのです。

 明治9年(1876)、新京極には大弓を射るところ9軒、半弓が3軒、楊弓が15軒あったそうです(守屋毅『京の芸能』)。
 かなりの軒数ですが、過半数が楊弓場でした。

 同じ年に刊行された『明治新撰西京繁昌記』には、これらが詳しく紹介されています。
 大弓の店について、「播山」「柴山」「亀山」「文山」などという店があったと記しています。円山公園にある大弓場が「園山」でしたから、いずれも「山」が付いています。何か意味があるのでしょう。

 説明文に、リアルな絵が添えられています。
 片肌脱ぎをした袴姿の男が、立って大弓を射ています。足元には、4、5本の矢が見えます。
 店の奥に黒っぽい幕が張ってあり、そこにアトランダムに大小の的が取り付けられています。右の壁には、4本ほどの弓が立て掛けられており、矢のストックも置かれています。
 男の左には、煙草盆を前に座り、キセルをくわえている男がいます。連れなのでしょうか。

 的

 一方、同書には、楊弓の店も紹介されています。
 そこには、「今の楊弓ハ(中略)子供遊びの戯ふれの玩弄物」だと書かれています。

 何故か滅多無性に流行し、踵(きびす)を接ぎし遊客冶郎、夜を日に続で絶間なし。
 楊弓店の有名なる者、都山(とざん)といひ、玉山(ぎょくざん)といふ。其他名称衆多、枚挙に暇あらざるなり。


 なぜか分からないけれど、めったやたらに流行していて、お客が一杯来るというのです。ここも「山」の付く店のようです。

 ところが、読み進めていくと、? という記述が続いています。
 店の者は「皆婦女子」で、「三五の女」や「二八の娘」、つまり3×5=15歳とか2×8=16歳位の年頃の娘さんが、美しさを競って接客しているというのです。彼女らは、お客さんに対面して、右手に弓を取り左手で矢をつがえ(つまり通常の逆向きで)、見事に射るのだそう。
 これはまさに「武用に益無」い、女性との遊びと化しているわけです。
 お客も「書生」「丁稚」から「山僧」まで、さまざま。

 ここにも絵が添えられていますが、着流しに兵児帯を占めた男と、前垂れをした女が向かい合って座っている様子です。小さな衝立が、弓を射る店とも思えず、なにやら小料理屋のような雰囲気を醸し出しています。

 ちなみに、絵と本文については、国立国会図書館ウェブサイトの近代デジタルライブラリーで自由に閲覧できます。


 武道から遠く離れて

 昔、時代劇を見ていると、江戸の話なのでしょうが、矢場(やば)というものがよく出て来ました。
 弓を引いて遊ぶところで、やはり必ず女性が相手をしていて、矢が当たると「当たぁ~りぃ~」なんて言って太鼓を打ったりしていました。
 
 槌田満文氏の『明治大正風俗語典』は、楊弓店について詳しく解説しています。
 それによると、大弓はスポーツなのですが、楊弓は風俗営業なのだそうです。
 
 ここまで出てきた箱登羅日記の大弓や、円山公園の園山は、健全な運動としての娯楽です。
 ところが、楊弓は、弓を引くのは仮の姿で、実の目的は女性なのだ、ということでしょう。
 
 槌田氏は、楊弓店では「矢が的に当たれば「カチン」はずれれば「ドン」と音を立てた」(248ページ)と書いています。
 つまり、「ドンカチン」というわけですが、大阪でも明治時代の娯楽に「ドンカチン」というものがあって、これは的に当たると滑稽な造り物が上から落ちて来る、とうい類のもの。この店で、女性が出した桜の湯を飲むと、弓矢以外のことを承諾するサインになったのだそうです。

 京都でも大阪でも東京でも、同じようなことをやっていたわけです。
 しかし、これらの営業も、取り締まりの関係で明治後期には廃れたということです。




 園山大弓場

 所在  京都市東山区円山公園北林
 見学  弓道場として営業(非会員800円~)
 交通  京阪「祇園四条」下車、徒歩約15分



 【参考文献】
 増山守正「明治新撰西京繁昌記」1876年(『新撰京都叢書』所収)
 槌田満文『明治大正風俗語典』角川選書、1979年
 守屋毅『京の芸能』中公新書、1979年
 菊池明翻刻「市川箱登羅日記」(「歌舞伎 研究と批評」各号)
 高橋好劇「千日前覚え帳」(「上方」10号、1931年)


スポンサーサイト

コメント

非公開コメント