06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
MENU

NEW ARRIVAL

PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

【新聞から】発掘調査で分かった食い違いのある街路のナゾとは…





東洞院通


 秀吉流 ずらして防御 京の町 
 戦乱想定「碁盤の目」再整備
 産経 2016年5月3日付 


 大型連休中、産経新聞の朝刊1面に大きく出た記事。
 おそらく大阪本社版だけだとは思うのですが、意外に大きな扱いです。

 もっとも、最近は豊臣期に関する発掘のニュースも多く、聚楽第や指月伏見城の石垣なども出土していますから、関心が高まっているのでしょうか。それとも、いまだに “太閤さん” 人気のなせるワザなのか? 産経は大阪色の濃い新聞なので、こうなったのかも知れません。

 記事が取り上げたのは、三条東洞院の交差点(中京区)付近。
 現在、この場所に行くと、交差点が微妙に食い違っているのが分かります。つまり、クルマで走ると、少し曲がらなければ交差点を通過できないということなのです。

 東洞院三条角
  食い違っている東洞院通(南から北を望む)

 写真でも分かるように、北東角にあるレンガの建物(中京郵便局)が飛び出していますよね。

 次は、三条通の写真です。

 三条東洞院角
  食い違っている三条通(東から西を望む)

 左奥のお店が張り出していますね。

 国土地理院の正確な測量図を見ると、確かに三条通も東洞院通も、この交差点で食い違いをみせています。
 もっとも、地図を見ていくと、このような食い違いは各所にあり、ここだけというわけではありません。

 記事では、かつての東洞院大路が、三条通との交差点を境に、直線的な街路から、ずらした街路に作り替えられていることがわかった、として、ずれた道のマージンに沿って民家が建てられてゆき、見通しを悪くしたとしています。
 その理由として、見通しがよい平安京は防御向きではないので、秀吉が戦乱を想定して、守りやすい見通しの悪い交差点を作ったと考えられる、とまとめています。

 実は、つい1週間ほど前、ある集まりでこの話が出たのですね。まさに、この東洞院通と三条通のことも。
 発掘調査を行えば、古い時代から新しい時代に至る土地利用の変化が分かります。それを追って行けば、通りをずらして家屋にしたことが分かるわけです。
 できることなら、文献史料など別の資料によって、これを裏付けられればよいですね。何らかの資料があるのだとは思いますが、残念ながら記事には触れられていません。
 


スポンサーサイト

コメント

非公開コメント