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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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女義太夫のアイドル・竹本綾之助は美少女?、それとも美少年 ! ?

人物





  星と輝き花と咲き 松井今朝子『星と輝き花と咲き』 講談社文庫


 女義太夫の世界にひたる

 大型連休中は、お出かけの方も多いことでしょう。
 私は、仕事柄、どちらかというと出勤の方が多いので、行き帰りの電車の中で読書にふける、というのがレジャーになっています(笑)

 しかし、おもしろい本を見付けたのですね。小説です。

 松井今朝子さんの『星と輝き花と咲き』(講談社文庫)。

 松井さんは、京都・祇園のお生まれだそうで、早稲田の大学院から松竹に入社され、のち武智鉄二に師事されたという、歌舞伎の世界のいいところを歩いて来られた方。ぴあの歌舞伎本は著名ですし、お芝居の普及に力を注がれていますよね。小説家としても時代小説を中心にたくさんの著書があり、『吉原手引草』で直木賞を受賞。
 その松井今朝子さんが、竹本綾之助という女性の人生を描いた小説が『星と輝き花と咲き』(2010年)です。

 竹本綾之助(たけもと あやのすけ)。

 といっても、いまは忘れられた存在です。
 彼女は、明治の初め、大阪で生まれ、幼少より義太夫節に天賦の才を認められ、東京に行って大活躍。今でいう “追っかけ” のファンがいっぱいできた「元祖アイドル」なのです。
 
 義太夫節というと、文楽(人形浄瑠璃)で聴ける語りものですよね。
 裃(かみしも)をつけた太夫(たゆう)さんと、三味線を弾く人がコンビになって、いろんなストーリーや登場人物のセリフを聴かせてくれます。
 義太夫節(以下、義太夫)は、大阪が発祥で、昔はふつうのおじさんなんかが稽古して、素人名人会みたいなものも盛んに行われていたほど、好まれていた芸能です。
 プロの太夫も、基本は男性なのですが、それを女性がやる場合、特に「女義太夫」とか「娘義太夫」と言いました。

 この女義太夫は、江戸時代から、江戸でも盛んに行われていました。はやりすぎて禁止になったりもするのですが、明治時代になると、大阪の竹本東玉や名古屋の竹本京枝らが東京に出て、ブームとなりました。
 もちろん、ファンは女性が語るから聴きたいという、ちょっとやらしい気持ちもあったんだと思います。だから、逆に言うと、少々軽蔑されていた芸能でもあって、「タレ義太」なんて馬鹿にされたものです。「タレ」は、人形浄瑠璃業界で「女」を指す言葉なんだそうです。大阪では、「あほたれ」など、「○○たれ」というと蔑称になるんですが、そこから来ているのかも知れません。

 その明治の東京の女義太夫界に、忽然と現れたスターが竹本綾之助だったのです。
 

 綾之助の美声と美貌

 小説の中で、綾之助は「ぼん」「坊や」、つまり男の子みたいで、いつも男の子に間違われると描かれています。
 彼女の写真はたくさん残っているので、その顔だちはよく分かります(インターネットでも検索できます)。
 面長で、目は切れ長、あまり男の子という感じもしませんけれど、表情はきりっと締まっているので、髪型や衣装次第ではそう見えるのかも知れません。なにせ10歳そこそこの話です。

 綾之助は、明治8年(1875)生まれですが、12歳でデビューしています。いくら昔と言っても早熟です。

 明治大正の民衆娯楽 倉田喜弘『明治大正の民衆娯楽』岩波新書

 私の本棚に学生時代から並んでいる倉田喜弘さんの『明治大正の民衆娯楽』には、当時の評判記に書かれた綾之助評が紹介されています(句読点を変更し、濁点を加えています)。

 声自在に出でゝ至りて通り善く、節わだかまりなくまはりて、密(こま)かに行渡たり、怜悧(りこう)に語りこなして、仲々に貫目あり。別けて詞(ことば)巧み。(160ページ)

 綾之助の声は、とっても通りがよくて、その上げ下げも自在だったのでしょう。つまり、美声の持ち主でした。
 もっとも、大阪の義太夫界では、美声よりも味わいのある声の方が好まれる傾向があります。むしろ、「濁り」がある方がよいという見方もあります。
 このあたりのことを松井さんは作品の中で、こう書いています。

「いやいや、あっしゃ坊ちゃんの巡礼唄に心底しびれちまった。ちゃんと腹の底から出した義太夫節の声で、ああいう花のある甲声(かんごえ)が聞かせられるのは、さしずめ越路太夫か、この坊ちゃんくらいですよ」

 天下の越路太夫と比べられてはさすがにお勝の顔も面映ゆげだが、一瞬そこに何やらハッと気づいたような表情が浮かんだ。

「なるほど、そういうことだっか。太夫の名人はほかにいくらもあるのに、なんで越路さんだけが東京でそこまで受けるんか、あてはずっとふしぎに思てましたが、きっと東京のお人は高い声がお好みなんやろ。千歳座で見た菊五郎はんの踊りでも、清元たらいう地方(じかた)がえらい甲高い声でおました」 (59ページ)


 もちろん、綾之助は評判記に「容色絶倫、技芸絶妙」とあるくらいですから、義太夫が上手だったのはもちろんですが、通りのよい高い声に加え、美しい少女だということで人気が出たのは事実でしょう。

 長谷川時雨も、「わが竹本綾之助、その女(ひと)もその約束をもって、しかも天才麒麟児として、その上に美貌をもって生まれた」と書いています(『新編 近代美人伝』151ページ)。

 近代美人伝 長谷川時雨『新編 近代美人伝(上)』岩波文庫


 熱いファン “ドースル連”

 そんな綾之助ですから、ファンもめちゃくちゃ熱くて、追っかけがいたくらいでした。
 ファン層は、主に書生(学生)。
 彼らは「ドースル連(れん)」と呼ばれたのですが、その説明は、笹山敬輔さんの奇書?『幻の近代アイドル史』でみておきましょう。

 明治から大正にかけて、娘義太夫にハマったファンたちは、「ドースル連」と呼ばれていた。ドースル連は、「追っかけ連」と呼ばれることもあったように、自分の推しメンを追っかける熱心なファンのことである。
(中略)
 この名前は、曲のクライマックスで一斉に「ドースル、ドースル」と掛け声をかけたことに由来している。ここぞというところで声をあげるのだから、今のMIXやコールと同じであろう。
 なぜ「ドースル」という掛け声なのかを問うことにそれ程意味はない。(中略)自然発生的なものが定着していったのだろう。(23ページ)


 いやぁ、やっぱり、なぜ「ドースル」なのか、知りたいですよね(笑)
 
 ドースル以外にも、「ヨウヨウ」とか「トルルー」というのもあったとか……
 「トルルー」ってなに??

 幻の近代アイドル史 笹山敬輔『幻の近代アイドル史』彩流社

 当時のドースル連は、学校によって推しメンが分かれていたそうです。

 そうそう、私はこの「推(お)しメン」という言葉が分からなかったのです。
 調べてみると(笑)、イチ推しのメンバー、という意味だとか。

 それはともかく。
 「慶応は綾之助、明治は竹本小土佐、早稲田は竹本住之助であったという」(34ページ)

 学校ごとに違っているなんて、意外ですね。
 小土佐も住之助も、人気と実力を兼ね備えていました。ちなみに、俳人の高浜虚子は「われは小土佐に恋せり」と言うほど、彼女の大ファンだったそうです。

 ドースル連の若者たちは、綾之助の乗る人力車を追っかけて行ったり、新聞に投書して、さながら投書合戦の様相を帯びたりと、それは熱いものでした。
 笹山さんの本を読むと、ファン心理って昔も今も同じだなぁと、うならされます。

 そんな大ブームを巻き起こした綾之助ですが、人気が出るにつれ、意外な展開が待ち構えています。
 お話ししたいのはやまやまですが、それは読んでのお楽しみ!

 『星と輝き花と咲き』、ぜひ読んでみてください ! !




 書 名  『星と輝き花と咲き』
 著 者  松井今朝子
 出版社  講談社(講談社文庫)
 刊行年  2010年(文庫版は2013年)

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