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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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「活断層」の提唱につながった奥丹後地震の郷村断層





郷村断層


 昭和2年の大震災

 昭和2年(1927)3月7日、午後6時27分、京都府北部を震度6の激烈な揺れが襲いました。奥丹後(北丹後)大地震です。
 震源は京都府竹野郡(現在の京丹後市網野町)の郷村で、マグニチュード7.4の地震でした。

 この年は、3月といっても寒さが厳しく1mもの残雪があり、家庭では暖を取っていた上に、夕食の時間帯であったことも重なって、揺れのあと各所で火災が起こりました。倒壊した木造家屋は次々と燃え上がり、峰山町や網野町を中心に、2,925名もの人たちが亡くなり、負傷者7,806名、全壊家屋は12,584棟、焼失家屋は8,287棟など、甚大な被害が出ました。特に峰山町では、実に家屋の9割以上が全壊・全焼し、住民の1/4が亡くなるという惨事となりました。


 保存された3つの断層

 京都市内で生まれ育った私も、小学生の頃から、この地震について知っていました。それは、「郷村断層」という言葉とともに知っていたのです。

郷村断層
  郷村断層のうち小池断層

 郷村(ごうむら)断層。
 郷村は、断層ができた場所の地名です。
 奥丹後地震には2つの断層があって、郷村断層と山田断層がそれにあたります。そのうち、将来の研究材料とするため保存された場所が3か所あります。郷村断層のうちの小池断層、樋口断層、生野内断層です。
 上の写真は、小池断層です。国の天然記念物に指定されているので、このような石標が立っています。

 下は、小池断層の案内板に掲出されている当時の写真です。

郷村断層

 人が立っているところは道路なのですが、手前と大きくずれていることがわかります。左右方向に約3m、垂直方向には約80cmのずれが生じたそうです。完全に道路が食い違っているところに、地震の力の大きさが実感できます。このずれた道を保存して、下の写真のように「起点」と「転位」の2本の石標を立て、水平のずれ幅を示しています。

郷村断層
  約3mの幅で動いた

 他の断層は、風化を防ぐために覆い屋をかけて保存されています。

郷村断層

 樋口断層です。ガラス張りをのぞくと、

郷村断層

 このように断層が残されています。樋口断層は、上下方向では60cm動いたそうです。


 「活断層」は、ここから生まれた

 郷村断層は、日本海に面した網野町浅茂川から、郷村、峰山を経て、大宮町の口大野に至る18kmの断層です。活断層は、1000年間の平均変位量で、AAからCまでの等級付けがなされています。郷村断層は、そのうちのC級なのだそうです。

 しかし地震研究史の上では、郷村断層は大きな意義を持っています。それは、現在さかんに使われる「活断層」という概念が、この断層をきっかけに定義されたからです。
 東京帝国大学の多田文男は、奥丹後地震後、雑誌「地理学評論」(1927)に、「活断層の二種類」という論文を寄せ、冒頭で次のように述べています。


 極めて近き時代迄地殻運動を繰返した断層であり、今後も尚活動す可き可能性の大なる断層を活断層と云ふ。


 これが現在でも通用している活断層の定義です。ちなみに、「極めて近き時代」というのは、あくまで地質学的な時間感覚で、数十万年から数百万年という単位だそうです。

 昭和4年(1929)12月、郷村断層は国の天然記念物に指定されました。時を同じくして、峰山の小高い丘の上には丹後震災記念館(京都府有形文化財)が建設されました。また、記念館の脇をはじめ、各所に記念碑が建立されています。
 この頃は、関東大震災(1923)や、兵庫県の豊岡、城崎などに大被害を与えた北但馬地震(1925)など、大地震が頻発していました。人びとは、それを忘れないために、さまざまな形見を残したのです。関東大震災でも、昭和5年(1930)に震災記念堂(墨田区)が建てられています。

 昭和7年(1942)刊の旅行案内書『日本案内記 近畿篇 上』は、郷村断層を詳細に紹介し、その意義を次のように述べています。


 従来地震に際し断層を生じたことはその例が稀ではない。しかし明かに花崗岩を切断して滑面を生じ、且地層運動のため生じた条線を印したことは未だないから、天然記念物として指定されたのである。
 (一)と(三)[樋口断層と生野内断層]は保存のため、家屋を設けてこれを覆ひ、(二)[小池断層]は石柱を建てゝ滑面、条線、転位を明かにしてある。


 峰山の震災記念館は、学生時代に一度訪ねたのですが、当時はひっそりと静まり返っていました。いま、改めて訪ねてみたい気がしています。




 郷村断層(天然記念物)

 *所在 京都府京丹後市網野町郷、高橋、生野内
 *見学 自由
 *交通 北近畿タンゴ鉄道網野駅下車、丹後海陸交通バス間人線で高橋下車、徒歩



 【参考文献】
 『日本案内記 近畿篇 上』博文館、1942年
 「地理学評論」第3巻下、1927年
 『網野町誌』上、網野町役場、1992年 



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