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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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御所の門を移築した大徳寺勅使門は、桃山の彫刻が美しい





大徳寺勅使門


 近世の京都御所造営

 京都御所というと、平安京の昔から今の位置にあるように錯覚されがちですが、かつての内裏はもっと西、現在の千本通に近い場所にありました。
 南北朝時代、里内裏だった土御門東洞院殿が皇居に定められて以来、そこが御所となりました。
 もちろん、建物もたびたび改築されてきました。あるときは火事による焼失で、あるときは時の権力者による新築などで。近世だけでも、次のように頻繁に造替が行われました。

 天正19年(1591)
 慶長18年(1613)
 寛永19年(1642)
 承応 4年(1655)
 寛文 2年(1662)
 延宝 3年(1675)
 宝永 6年(1709)
 寛政 2年(1790)
 安政 2年(1855)

 天正は豊臣秀吉による造営、慶長は徳川家康、寛永は徳川幕府による造営でした。しかし、承応以後は、火災による焼失で新築されたものです。
 そこで、私たちの興味をひくのが、天正・慶長・寛永の御所の建物が寺社などに下賜されて残されていることです。

 たとえば、この建物。

仁和寺金堂
 
 仁和寺金堂(国宝)です。桁行七間、梁間五間、入母屋造の堂々たる建築ですが、これは慶長18年(1613)に造営された御所の紫宸殿でした。木造建築は、ばらして運べば、また組み立てられますから、このように移築できます。
 仁和寺では、他にも御影堂が慶長の清涼殿を移したものとされています。
 また、南禅寺方丈は天正19年の内裏の建物ですし、同じく南禅寺勅使門は慶長18年の内裏の門でした。このように、京都の各所に御所の旧建物が移築されて、現存しているのです。

 そして、今回取り上げる大徳寺の勅使門(重文)。

大徳寺勅使門

 こちらも、仁和寺金堂や南禅寺勅使門と同様、慶長18年の御所の門を寛永の造替に先立って移築したものです。大徳寺の記録には、寛永17年(1640)に下賜されたと記されています。
 2002年まで行われていた修理工事で、この勅使門から「御内裏西之かわ 南ノ門」とか「西かわ南御門」といった墨書が確認されて、御所の西側の塀に開かれた南門だということが裏付けられました。


 勅使門の位置

 大徳寺勅使門は、総門を入って西に進んだところに建っています。京都の禅宗寺院では、総門と勅使門を別々に造るのがふつうで、両者が左右に並んでいる場合もあります。ここでは、直角の関係になっています。
 勅使門の先には池があり、さらに三門、仏殿、法堂と一直線に並びます。大徳寺も、このパターンをとっています。

都名所図会のうち大徳寺
  「都名所図会」巻六、大徳寺

 この図の左下に見えるのが勅使門です。ちなみに、左上の門は「日暮門」とも称された唐門、右上の大きな楼門は三門です。唐門については、こちらの記事をご参照ください。 ⇒ <国宝・大徳寺の唐門は、聚楽第の遺構>

 少しおもしろいのですけれど、上の図のうち、三門は自前で建てたものですが、勅使門や唐門は他所からもらってきたものなのですね。

都名所図会のうち大徳寺
 「都名所図会」巻六、大徳寺(勅使門)

 「都名所図会」(1870年)に描かれた勅使門は、実物よりちょっと貧弱に見えます。けれども、切妻の屋根に唐破風を付け、左右に袖壁があるところなどは、きちんと画いていますね。左手にある立派な松は今はないようですから、枯れたのでしょうか。


 多彩な彫刻が目を引く門

大徳寺勅使門
  勅使門の軒唐破風

 桃山の建築だけあって、細部はなかなかこっています。

大徳寺勅使門

 軒唐破風の細部。上から、懸魚(げぎょ)、大瓶束(たいへいづか)、蟇股(かえるまた)と並びます。懸魚の左右には鰭(ひれ)の飾りが付いています。これは菊なのでしょうか、花の模様です。よく見ると、中央にも菊文が入っていて、元御所の門らしいですね。
 大瓶束にも、左右に笈形というヒレが付いています。この花は牡丹でしょうから、牡丹唐草、桃山時代の特徴を示す笈形で、華やかですね。

  【上の写真の拡大です】
大徳寺勅使門


 懸魚など

大徳寺勅使門
  妻側(西面)

大徳寺勅使門

大徳寺勅使門

 妻に付く懸魚は三花懸魚です。これも中央に菊文が付けられています。
 藤原義一先生の評を引用しておきましょう。


 主として唐様手法に成り、随所に大小彫刻を充填し、殊に太瓶束の両脇を飾る笈形の唐草彫刻は見事である。
 軒唐破風が大きくて屋根が重厚なのが、普通ならば不均合と感じられるところであるが、此の場合には柱、枓栱、虹梁、太瓶束等の構成する気宇に雄大さがあり、其間に充たされた彫刻もこれに相応する力強いものであるので、屋根の重圧を優に支へ、門全体として一種の壮重さを現はしてゐる。
 桃山式華麗な彫刻を多く用ひ乍ら、華麗さよりも壮重さを多く現はしてゐるところに此門の特徴があり、次に記す唐門と比較すれば此性質が一層はつきり感じられる筈である。(『京阪沿線の古建築』)


 なるほど、屋根と彫刻とのバランスですね。たしかに、大ぶりの軒唐破風に負けないくらい彫刻がぎっしりです。

大徳寺勅使門
  木鼻

 勅使門などというものは、どちらのお寺でも地味で目立たない存在ですが、なかなか立派なものが多いのです。この門も、京都の四脚門の中で自慢できる逸品ではないでしょうか。


大徳寺




 大徳寺

 *所在 京都市北区紫野大徳寺町
 *拝観 境内自由  ※塔頭などは別途
 *交通 市バス大徳寺前下車、すぐ



 【参考文献】
 『国宝重要文化財 大徳寺唐門勅使門修理工事報告書』京都府、2003年
 「都名所図会」(1870年)
 藤原義一『京阪沿線の古建築』京滋探遊会、1936年
 天沼俊一『日本建築細部変遷小図録』星野書店、1944年
 三好和義『京都の御所と離宮1 京都御所』朝日新聞出版、2010年



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