09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
MENU

NEW ARRIVAL

PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

椹木町通は、狭い通りだけれど風情ある老舗がいっぱい





椹木町通


 御所から西へ延びる椹木町通

 今日は堀川丸太町辺に少し用事があったので、幸い天気もよいし、その近くを歩いてみることにしました。

 椹木町通。
 読みは「さわらぎちょうどおり」。丸太町通を1本北へ上がったところにある通りで、御所(京都御苑)の西=烏丸通から真っ直ぐ西へ延びています。
 
 椹木町通
  椹木町通(烏丸通から西を望む)

 椹木町通は、平安京の中御門大路(なかみかどおおじ)に相当するそうです。そのため、中御門通という呼称もあり、また魚棚通(うおのたなどおり。上魚棚通)という別称もあります。
 江戸時代の地誌「京雀」(1665年)には、通りの東の方は椹木町通と言い、西の方は魚棚通と言うと記されているそうです。

 この通りの北は下立売通(しもだちうりどおり)、南は丸太町通です。丸太町通は現在では大通りで、下立売通も2車線あってこのあたりでは狭い街路ではありません。2つの通りに挟まれた椹木町通は、車線もない東行き一方通行の道で、トラックなどが来ると、歩行者は立ち止まって避けなければなりません。

 その分、と言うべきか、古い町の面影が少しばかり残っているのです。
 今回は、この通りを東から西へ歩いてみることにしましょう。


 いきなり長屋門

 椹木町通

 烏丸通から西へ入ったところ。
 いきなり、こんな風景です。

 椹木町通

 大きな長屋門ですね。
 このあたりは、御所の西隣ですから、かつては公家屋敷や藩邸もあった地区です。この真南、烏丸丸太町の角(現・大丸ヴィラ)辺には、讃岐丸亀藩邸(京極家)がありました。また真北、下立売烏丸の角には、唐門や長屋門を持つ京都地裁の所長官舎があって、これは有栖川宮邸を移築したものです(現在は平安女学院が所有)。

 京都市明細図(京都府立総合資料館蔵)を見ると、戦前、ここは「古賀邸」だったと記載されています。しかし戦後には空地になったようです。
 現在は、航空写真によると更地ですね。
 この古賀さん、いったい誰なんでしょうか。
 ちなみに、西隣は「三井別邸」、道路の向いの南西には「島津邸」があったようです。

 椹木町通


 武衛陣町という町名

 少し歩くと、室町通と交差します。
 ここの町名は変わっていて、武衛陣町(ぶえいじんちょう)と言います。

 椹木町通

 椹木町通の北側、室町通を挟んだ両側町です。

 椹木町通

 平安女学院の脇に碑が建っています。碑自体は大正時代に建てられたようです。
 室町時代、幕府の管領・斯波(しば)氏の邸があったことから、この名が付いたと言います。五百年も六百年も前の話で、なんというか、感心するというか、ちょっと放心しますよね、このスパンの長さに。


 日赤病院と釜座通

 しばらく歩くと、第二赤十字病院が見えて来ます。

 第二赤十字病院

 通りの上に空中通路が見えてきて、京都ではこの光景は珍しいと思います。
 私は最近ここによく来ているので、慣れ親しんだ場所になってきました。

 第二赤十字病院
  第二赤十字病院

 日赤病院の前、街路樹のある広い通りは釜座通(かまんざどおり)です。
 丸太町通より南側は、ふつうの狭い通りですが、北は側道を持つ幅広い道です。これは北に京都府庁があるためでしょう。

 釜座通
  釜座通からみた京都府庁舎

 このあたりは、幕末は京都守護職があったところなので、それがなくなって広い土地が確保されたというわけです。
 いまでも、府庁、府警、日赤など官庁街的な色彩を示しています。


 とうふ、ふ、仕出し、老舗の町

 釜座通を渡ると、いきなり道は狭くなります。先ほどよりもかなり狭い印象。

 椹木町通
  釜座通から西を望む

 まず、南北の道、西洞院通(にしのとういんどおり)と交差します。
 どちらの通もたいへん狭いのです。日赤に来るとき、よく西洞院通をクルマで通るのですが、この交差点は要注意で必ず徐行しますね。
 
 西洞院通の南北には、名の知られた老舗があります。
 南には、柿傳(かきでん)という茶懐石の仕出しの店。仕出しとは、平たく言うと料理のケータリングで、こちらは表千家などお茶の方面が主だそうです。創業は享保年間と言いますから、もう300年ですね。
 北には、麩嘉(ふうか)という生麩の店。
 こちらも、江戸後期の文化・文政期にはあったそうですから、もう200年近い老舗です。

 麩嘉
  麩嘉

 この西は、東魚屋町。
 最初にお話ししたように、魚棚通という別称にふさわしい町名です。江戸時代には、魚市場があったということらしいのです。
 ちなみに、ここは上魚棚通です。
 中魚棚通が錦小路通(中京区)、下魚棚通が六条通(下京区)にあたります。
 いずれの通りにも、東魚屋町という町名があります。マップで検索してみると、3つ出来てきますね。京都では、こういう同じ町名が幾つもあるというのが多いんですね。ややこしいですが。
 
 二和佐
  二和佐(米屋町)

 小川通を越えて、油小路通と交わる手前にも、古いお店があります。
 こちらは、二和佐(にわさ)という仕出し店。
 上方、つまり京阪には、昔から仕出し店が多いのです。来訪した客人をもてなすのに、料理だけは外から出前で取るわけです。法事などもそうですね。加えて、京都では茶事がありますから、先ほどのように茶懐石の仕出しもあるという次第。東山三条の辻留なども有名でしょう。
 
 二和佐

 こちらは、大正6年(1917)の創業だそうです。大正と聞いて「新しい」と思ったら、もう神経がマヒしています。百年前ですよ。

 その斜向かいには、とうふ店。

 入山
  入山(東魚屋町)

 なんとも言えません。
 創業は、文政年間だそう。文政で驚かないのも、またマヒしている証拠です。

 入山

 この辺のお店は、別に文化財でもないし、老舗々々しているわけでもない。ふつうに地元の人が買ったり頼んだりできる店。
 こういうのがいいですね。あまり名店ぶるのもよくないですし。

 両店とも、表の雰囲気がとってもよくて、今度はとうふを買ってみることにしましょう。

 入山
  油小路通から東を望む(左は入山)

 油小路通を過ぎると、もう堀川通です。
 
 堀川通
  椹木町橋

 堀川に架かる椹木町橋。
 ここには横断歩道もないし、時間も午後1時を回ったので、一旦丸太町通に出て昼食をとってから、再開したいと思います。

(この項、つづく)




 椹木町通

 所在  京都市上京区東魚屋町ほか
 見学  自由
 交通  地下鉄「丸太町」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 川嶋将生ほか『京都町名ものがたり』京都新聞社、1979年
 『京都の大路小路』小学館、2003年 
 「京都市明細図」京都府立総合資料館蔵


スポンサーサイト

コメント

涼しかった堀川端

昨年の『京の七夕』では、堀川会場へ7度行き、気の向くままに御所から堀川通の間の道を歩いたので、或いは椹木町通も通ったかも知れません。

『京の七夕』だけでは無く、北野天満宮へ参拝した帰りなどにも釜座通を通って京阪三条駅に向かうことがあるので、少なくとも椹木町通を横切ったことは確かです。

今年も、『京の七夕』堀川会場へは少なくとも5回は行くつもりなので、ご紹介の椹木町通を歩くことも楽しみにしています。

余談ですが、昨年8月2日に京都で39.1℃を記録した日も、京阪三条駅から徒歩で堀川通に向かいましたが、然程に暑いとも思わずに上七軒の芸舞妓さんの演舞を見ていました。

そして、帰りは出町柳駅から京阪電車に乗り、枚方市駅に降り立った時の方が『暑い!』と感じました。

ご愛読ありがとうございます

ご愛読ありがとうございます。

このあたりの通りは、観光地でもなく、なんの変哲もない町並みですが、そういうところのほうが、むしろ新鮮な発見に満ちているように思います。
丸太町通や下立売通は時折通る道ですが、その中間の椹木町通は、とても狭いこともあり、京都の人でも普通は通らないところでしょう。

先日は、帰りに御所に立ち寄ってみたのですが、すでに桜が咲き始めていました。
観桜かたがた御所の西方を歩くのも面白いかも知れません。
非公開コメント